【雑記】30分の出来事

先日。幼い頃からお世話になっていたご家族のお父さんが亡くなりました。
息子さんが私の一個上で子供の頃のはよくいじめられて泣かされてました。でも不思議と憎めない。大人になってからは会っていませんが、母づてに近況を聞かされ、就職したとか結婚したやら、諸々彼がどうしているかは把握していました。

お父さん(以下おじさん)は定年退職後、家族のいる大阪から離れて故郷の九州で単身スローライフを楽しんでおられました。私を含めまわりの人は年齢的なもの諸々心配だったのですが、おじさんは自分が決めたらやる人ですから家を買い1人で住み始めました。
畑を耕し野菜を育てて近所の人や遠方の私たちにまで届けてくださったりして、なんとなく楽しくやってるんだなというのは伝わっていました。そんな日々を5年間過ごした後、心筋梗塞で倒れて大阪に戻ってきました。

その後は奥さんとのんびり過ごしつつ、こちらでも野菜を作ったり、近くの山で蕨や筍を採ってこれまた近しい人たちに届けてくれていました。

強面だけど元気で優しい人でした。


先月、亡くなったと連絡があった時から帰省したらお線香をあげに行こうと決めていました。

母と共にお宅に伺うと奥さん(以下おばさん)と4匹の猫と1匹の犬が出迎えてくれました。

亡くなった時の状況をおばさんがポツリポツリと話してくれました。
おじさんは玄関先で座ったまま亡くなっていたそうで、近所の人が違和感を感じて様子を見てくれたときには冷たくなっていて、救急車をよんでくれたんだそうです。
おじさんが動いている姿をその30分程前にも見かけていたらしく、次に見たらその体勢になっていたらしいです。

亡くなる日の朝、おじさんは「よく寝た!気持ちがいいなー!」なんて話していて、体調が悪いなんて素ぶりはなかったそうです。
おじさんとおばさんの2人で植物園に出かけて、おじさんは気に入ったパンジーとデイジーを買い、家に帰ってすぐに庭に植えたんだとか。普段は面倒臭がって数日放置するのにその日に限って。とおばさんは言っていました。
いつも通りなんの前触れもなく。

おばさんと沢山話した後、「旦那さんを大事にね」と静かに、でも力強く何度も言われました。

旦那さん。大事にする。

それに家族も友達も。
東京に引っ越して距離が離れることで、1年に数回しか会うことは難しくなった。そもそもだが20代の頃は物事の終わりを意識した事は無かった。むしろ普遍的に変わらない事を強く望んではいた。終わってしまうかもしれないから終わらないように縋り付くようにしていた。
でも、望む望まないに関わらず何事にも等しく終わる時が来る。
楽しい時間も辛い時間も。

私におじさんの生きる姿が眩しく映ったのは、父の影響もある。両親は私が18の頃離婚し親戚関係の冠婚葬祭で何やかんやで23歳くらいまで父と年に一回くらい会っていたが、その後は一度も姿を見ていない。正直、他人の父という存在は20歳以降、自分には無いエピソードになるので共感することがない。友人の結婚式で見るご両親や人から聴く親の話の中にいる父親像は私には無い。父は生きていても私の父親として機能することは恐らく金輪際無いのだ。
おじさんを含む私の知り得る父と呼ばれる人達は、私の中にない父親像の代わりとなっている時がある。生き方や家族に対する姿勢、1人の人間としてどう歩むかという背中を勝手に学ばせて貰っている。感情的な依存ではない。
ただ、知識としての不在は埋めたかったのかもしれない。自分が世間でいうイレギュラーにならないために。

でももう自分も結婚し、アラサーも卒業しかけた年頃なのでいつまでも不在を追いかけていてはいけないとも分かっている。

旦那さんにも最低限は自立した人間であってくれと言われている。身に起きた不幸ばかり眺めていてはいけない。眺めるなら上手く消化もしなくてはいけない。人生は有限だと。長い時間を共にした人が居なくなったから少しずつ見に染み始めている。


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