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〈実話不思議📷〉あんこ、幽霊連れて帰ってきた?

こんにちは😃、椿あんこです。
今日は、2010年にあった、とある件について書きたいと思います。

今回は、霊感のない私が体験したことなので、
不思議ではあるが何も幽霊は出てこない👻(笑)話です。




⛩️大垣・関ヶ原の旅


大河ドラマ、『天・地・人』を観たからなのか
『軍師官兵衛』を観たからなのか忘れてしまったのですが、
とにかく「関ヶ原に行ってみたい!!!」という気持ちが沸き上がっていた不肖あんこ。


父トシオとマミコと一緒に、
関ヶ原と大垣をめぐる旅に出たことがありました。
宿は、大垣駅傍にあるビジネスホテルに泊まりました。
我が家、ホテルは帰って寝るだけでよい、という感じなので、
宿はだいたいビジネスホテル素泊まりになります😃。



⛩️芭蕉が結びの句を詠んだ場所


一同「ばしょーが詠んだばしょ。
って全然面白くねーぞコラ❗」


ということで、
1泊2日の旅は、早くも2日目。
大垣市の中をちょこちょこと巡ることになりました。


父トシオが、
大垣には松尾芭蕉が、『奥の細道』の結びの句を詠んだ場所があるというので、
そこに行ってみることにしました。


旅をするとき、私はガラケーのネットでその土地のことを調べながら進む癖がついていました。


私「松尾芭蕉の碑の他に、この辺で見るところはないかしら~😁」

すると、懐かしい名前がヒットしました。


大垣市全昌寺
市村鉄之助の墓



⛩️少年、市村鉄之助


市村鉄之助。大垣藩。
数え年15歳の時に、兄と共に新撰組に入隊。
土方歳三の身の回りの世話を担当。
函館まで共に行く。
函館戦争も終盤になり、いよいよ総出で決戦、という時に、
土方歳三は自分の写真を市村鉄之助に託す。

土方歳三「これを、武州日野の、私の生家に届けてほしい」

土方は、市村少年にこの役目を与えることで、
函館から逃がしたとも言われている。
新撰組鬼の副長土方歳三のイケメンっぷりが
現代に伝わっているのは、
市村鉄之助少年がちゃんと、日野の土方の生家に
写真を届けたからである。

私「ねえねえ!芭蕉もいいけどさ、ここの全昌寺にいきたい!
市村鉄之助の墓があるみたい」


新撰組関係の場所は、京都、多摩、会津、函館でしたら想像できるのですが、
まさかのまさか、大垣市に市村鉄之助の墓があるなんて、
考えもしなかったのです。


私達は旅の最後に
若き新撰組隊士市村鉄之助の墓参りをして、
大垣をあとにしました。



⛩️会社の地域会議


旅から帰り、次の日は朝から赤羽で会社の会議がありました。
会議は14時頃終わりまして、赤羽駅から会社までどうやって帰るか考えました。
すると、京浜東北線に乗るより、
埼京線で渋谷に出た方が早いことがわかりました。

滅多に乗らない埼京線。
何の駅があるのかわからない埼京線。

私は、走り始めた電車の中で路線図を眺めました。


私「あ、板橋駅。。。」

赤羽駅の2つ先の駅に、板橋駅がありました。


⛩️新撰組ゆかりの駅、板橋


板橋と言えば、新撰組局長近藤勇が処刑された地です。
ですので駅前には、新撰組の永倉新八が建立した、
近藤勇と土方歳三の墓があります。
駅前のロータリーの傍に、どどーんと、墓。
新撰組ファン達の聖地です。

滅多に来ないエリア。
滅多に乗らない埼京線。
そして板橋駅。



私「途中下車して墓参りするか(駅前だし)。
いや、1分でも早く本社に戻らねば(勤務中だし)!
いやでもこんな機会は滅多にないし。。。」


と2駅分ほど悩んでいましたら、
あっという間に電車は板橋駅に到着。
それでも私は降りないつもりでした。

電車は1分ほど停車し、もうすぐ扉が締まるそのとき。


トン、


と、ホームに降りていました。


私「降りちゃったよ。。。」


⛩️近藤先生、土方先生の墓参り


こうなれば?、お墓参りに行くしかありません(確信犯?)。
ちゃちゃっと、降りて、
ちゃちゃっと墓参りしてこよう。そうしよう。
私は駅前の墓所に足早に向かいました。


かくして、二人の墓前に立った私。
目を閉じて、手をあわせます。

「近藤先生、土方先生、お久しぶりです😊💕」


ん?

私今、「先生」って言った?

板橋のお墓参りは久しぶりだったので、
「お久しぶりです」は間違っていません。

ただ、私は近藤勇と土方歳三のことは、
近藤さん、土方さん、近さん、トシさん、などとは呼んだことはありますが、
近藤先生、土方先生とは一度も呼んだことはありません。



しかしあの時だけは、しっかり、
「先生」と呼んでいました。


市村鉄之助………ついて来ちゃった?



市村鉄之助は写真を日野に届けたあと、
3年ぐらい日野に匿われていましたが、そのあと大垣に帰り、
結婚して子供が生まれて
残念なことにすぐに亡くなったそうです。
享年20歳。


土方歳三は市村鉄之助のことを、目をかけていたそうです。
負けん気が強くて利発だと。

市村鉄之助は、遠い大垣の地で、
自分が新撰組にいたことをひた隠しながら、
近藤土方両先生のことをずっと思っていたのかもしれません。
市村少年にとっては、143年ぶりの「お久しぶりです」だったのですね。
私の会社に戻るのの25分ぐらいの遅れは、
まあよしとしましょうか😁。



椿あんこでした。
今日もお読みいただきありがとうございました😊💕


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