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工場勤務だった地味な私が、東京でネイルサロンを開業するまでの話。


「学歴がなくても、お金がなくても、みんなが憧れるかっこいい仕事がしたかった。」

はじめまして!東京都でネイルサロン・ネイルスクールを経営している
こばやしちえ と、申します。

ネイルの仕事って「華やか」「楽しそう」「楽そう」

そんなイメージがあるかもしれません。
でも、私の場合、そんなことはなかったんですよね笑

今日は、「華やかではなかったけど、ネイルの仕事を選んで本当に良かった!」と思っている私の人生を少しご紹介しますね。



私は、東北の田舎で生まれ育ちました。
幼い頃、父が事故にあい、母が大黒柱に。
金銭的にはとても裕福とは言えない家庭環境でした。

私が高校3年生の時、同世代の子がどんどん進学を決めていく中、英語を使った仕事をしたいという自分の夢があるのにもかかわらず、金銭的な理由もあり、進学しなかった私。

今日のストーリーは、そんな私が、今ではネイルサロンとネイルスクールを東京で経営。自分の好きな仕事で、両親もみんなに自慢するようなネイリスト・経営者になった話です。


1.決断と苦悩

●上京と挫折
高校卒業後、とにかく『かっこいい仕事がしたかった』そんな私は東京に上京。そして工場での派遣社員をしながら、通信の服飾専門学校に通いました。自分なりに考え『お金をかけずに自分の好きな仕事をやりたい』という気持ちから行き着いたのが服飾の仕事。しかし通信の『1人で勉強するスタイルの学習方法は継続できず挫折。東京のおしゃれな人たちにも圧倒され自信を失っていました。

●ネイルとの出会い
しばらく派遣社員という形で働いていましたが、『好きなことを仕事にしたい』という気持ちが諦めきれませんでした。ちょうどその頃、テレビの中の芸能人が美しいネイルをしているのを目にする機会が増えたのです。そして「ネイルの仕事をやってみたい」という思いが芽生えたのでした。

そしてタイミングよく貯金が貯まったことも後押し。派遣の仕事を続けながら、ネイルスクールに通うことを決断しました。

●ネイルサロンをとんずら
楽しみで入学したネイルスクールでも困難が待ち構えていました。実際にネイルスクールに通うと、そこは私の苦手としている女性特有の人間関係が。雰囲気に馴染めない私は、先生に質問さえできないこともありました。そして段々と、ネイルスクールに行くことが嫌になっていったのです。

なんとかネイルスクールを卒業した私。しかしその後、就職したネイルサロンにも私が苦手なタイプの先輩がたくさんいたのです。やはり質問しづらく、だんだん仕事に行くのも嫌になっていきました…。

今となって振り返ると、とても失礼なことをしたとは思うのですが…。実は急に仕事に行かなくなったことがあります。そうです。働いていたネイルサロンをとんずらしたのです。質問しづらい環境、話し相手も相談相手も居ない状況で、悩み、苦しみ、朝起きれず、無断欠勤したのでした。

2.人生を変えた出会い

●最後のチャンス
ネイルサロンをとんずらした後、アクセサリー屋でアルバイトを始めました。ネイリストという職業を諦めかけていた時です。知り合いから「新規オープンのネイルサロンに一緒に入らないか」という誘いが。新規オープンならば、人間関係に悩むことも少なくそう。これにかけてみようという気持ちになり、働くことを決意しました。

●私の人生を変えたジェルネイル
そのネイルサロンで出会ったのが 『ROSY SOAK OFF GEL』と言うメーカーのジェルネイル。ROSY SOAK OFF GELのツヤと長持ちのジェルの技法は、他に類を見ないものでした。時代の最先端のジェルだと確信し、ROSY SOAK OFF GELの虜になっていきました。そのジェルとの出会いが、私の人生を変えたのです。 


3.開業への壁


サロンで働き始めて2年が経った頃、ROSY SOAK OFF GELと自分の技術があれば差別化でき、独立が可能だと確信。開業したいと思うようになりました。しかし、ここでも問題が。やはり25歳の私が独立するためには、資金不足。親も反対。どうにかお金を貯めるために、夜はキャバクラで働くことを決意。ネイルサロンとキャバクラとの二足の草鞋で開業資金を集め始めたのです。

「なにか、低予算で独立開業できる方法はないだろうか?」

インターネットを調べていたところ、美容室のスペースシェアという記事を見つけました。「これなら、低予算でも開業できる!」そう確信。現在では、スペースシェア事業はよく見かけますが当時はそういったシステムは珍しかったのです。そして私の条件に合った美容室が東京都杉並区で見つかりました。

美容室へ見学に行った後の帰り道。たった駅までの約3分。その間に、私はすでに決断していました。ここでネイルサロンを始めよう。今でも、駅前ののUFJ銀行とたこ焼き屋さんの前に足を運ぶと、当時決断した時のことを思い出します。


4.美容室の一角でネイルサロンオープン


●心踊る開業準備
ネイルサロン開業を決意した私は、まずは勤めていたネイルサロンのオーナーに相談。いきなり独立は不安があったので、週に3〜4回という出勤日数にしてくれないか?オーナーは快く受け入れてくれました。そして残りの3日を美容室のスペースシェアを借り、フリーネイリストとして働くことにしました。

●いよいよネイルサロンオープン!
オーナーから許可を得てからは、楽天やAmazonなどで机やライト、ジェルを発注しました。他にはお店の看板、SNSの準備、ロゴの準備、名刺の準備。ネイルサロンで開業する時に必要だったのはたったこれだけ。名詞やショップカードが出来たとき、ウキウキは最高潮でした。
こうしてやっと、美容室の一角でネイルサロンオープンできたのです。

●人生を変えた人々との出会い

無事に阿佐ヶ谷でネイルサロンを始めた私でしたが、働き始めた頃はまだ25歳。田舎から出てきた雰囲気が抜けない地味でダサいネイリストでした。しかしお客様たちは、

・閑静な住宅街に住んでいる阿佐ヶ谷のマダム
・一流企業に勤めているカッコいいキャリアウーマン
・テレビで見る芸能人

私の今までの人生では関わることができなかった素敵なお客様達ばかりでした。今ではアメリカが大好きな私。特にニューヨークが大好き。趣味はニューヨークだと答えます。笑 ニューヨークに出会えたのも、お客様との会話が始まりでした。

ネイルサロンには様々な世界を知っているお客様が訪れます。このお客様との出会いは、ネイリストの仕事の魅力の一つ。普段出会うことができないかたと、約2時間弱ゆっくりお話できることは、他の職業にはなかなかない魅力だと思います。

●駆け抜けた4年間
美容室では約4年間働かせていただきました。はじめてフリーランスという形で働きましたが、

・責任がのしかかること
・どんなデザインかお客様にニーズがあり、人気で売れるのか
・ネイルだけじゃなく、ビジネスの勉強もしないといけないこと

これは、アルバイトや社員のネイリストのままでは分からないこと。大変ではありましたが、震災の時も、コロナ禍でも前向きに営業できてきたメンタルの強さ。それは、この時の賜物です。勉強しながら無我夢中で駆け抜けた4年間でした。

5.そしてサロンオーナー・ネイル講師へ

●きっかけ
美容室で3年ほど働いた時、報酬は歩合制。私の売り上げが約60万円。その6割が私の報酬、残りの4割が美容室の家賃使用料。開業した当初は、売上も少なかったため家賃も少なくすみましたが、売り上げが増えるにつれ、家賃は上がっていったのです。自分で店舗を借りられるぐらいの家賃を納められると確信。そのことがきっかけとなり、完全に独立をすることを決めました。

●そして現在

そして現在では、ネイルサロンセラヴィを構え、ネイルスクールとネイルサロン、そしてまつ毛サロンを経営をしています 。年に一度、ネイルの本場ニューヨークにセミナーを受けに行けるほど経済的にも豊かになりました。そして何より阿佐ヶ谷のお客様との出会いが私の心も豊かにしてくれました。

私がやった仕事で本当に成功したものは、全体のわずか1%にすぎないということも言っておきたい。99%は失敗の連続であった。そして、その実を結んだ1%の成功が現在の私である” (ホンダの創業者 本田宗一郎)

ホンダの創業者、本田宗一郎さんもこう名言を残しています。
向いているかどうかは、挑戦してみないとわからないこと。まずは失敗を恐れず挑戦してみることが大切です。

私も一見、簡単に成功してきたように見えるかもしれませんが、この記事のようにこれまで多くの失敗、試練を経験してきました。もし、夢があるのなら、それだけでも素晴らしいこと。それよりも、さらに素晴らしいことは夢に挑戦してみることです。

そして、勤めていたネイルサロンをとんずらして分かったのですが、好きな仕事を続けるためには、環境を整えることが最も大切です。人間関係や、自分にあったお客さまに出会うために、「ネイルサロン開業」をオススメします。

この記事が「ネイルを始めたい」「ネイリストになりたい」そんなあなたの背中を押す記事となれば私はとても幸せです。最後まで長文をご覧いただきありがとうございました。


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