独り言(前半)と嶺北恋愛マジック(?)について

よく「恋の傷を治すのは新しい恋」などと言われたものだが、ほんとうにその通りだと思う。

自分でもあきれてしまうくらい。なんて単純なんだ。

そしてやはり一つのことに熱中しやすいため、とてもとてもその人のことを考えてしまう。

幸い(?)、仕事の大きな締め切りが近く集中して仕事に取り組んでいるが、家事をしている時、猫と遊んでいる時、眠りに落ちる前など頭があく時間はその人のことを考えてしまう。

(猫と遊ぶときに考えているとテンションが高まってしまっておもちゃを高速で動かしたり、無駄にいきなり猫をだっこしてしまっている。猫にとってはいい迷惑である)。

だめだだめだ。それでは。

そう、だめだと思ってて、「やはりもう同じ失敗をしたくない」という気持ちもあって、その人のことを考えるとしても冷静に考えようと努める。

反省を生かし、今回は余計な妄想をせずに、その人のことをいろいろな面から考えてみているのだ。

そして思うのは、その人のことを考えるとき、わたしの頭の中にいる「その人」はいつも過去のその人なのだ。

もう今は違う「その人」が生まれているかもしれない。

また、あくまで一部しか見ていないのだから、あれこれ考えても仕方ないよね。…と冷静なわたしが言う。

まぁでもどうしても思いが高まってしまい、ぶつける相手もいないためnoteに吐き出しております。

大好きなスピッツの歌に「恋は夕暮れ」という歌がある。

昔から好きな歌だけど、今聞くとまた格別。

「恋は 昨日よりも 美しい夕暮れ」

「恋は 届かない 悲しきテレパシー」

「恋は 待ち切れず 咲き急ぐ桜」

「恋は 焼き付いて 離れない瞳」

「恋は 迷わずに 飲む不幸の薬」

「恋は ささやかな 悪魔への祈り」

・・・

マサムネさんすごすぎます。

この歌をご存知ない方はアルバム「空の飛び方」に入っているので、ぜひ聞いてみてください。

(なぜかスピッツの曲紹介になってしまいました。)

・・・

ところで以前、「れいほく紀行」という高知県嶺北地域を紹介するサイトにて、「れいほくの恋愛事情」というコラムを読んだことがある。

それによると「嶺北では恋に落ち・恋が成就するスピードが速く、そしてそういったケースが多く存在する」といったことが書かれていた。

嶺北へ来たばかりの頃「へ~」とそのコラムを読んだが、わたしも例外なく嶺北へ住んで即恋に落ち(成就はしなかったけれど)、そしてまた新たな恋に落ちようとしている…。

嶺北マジックが存在するのかと思うぐらいだ。

理由を考えてみた。

・人口が少ないため、人と人とがつながりやすい

(特に移住者同士は元々の知り合いが少ない為、つながりやすい)

・人と人とが交流する機会が多い

(交流会や地域で開催されるイベントなど)

・一緒に「何か」(作業など)をする機会が多い

(合コンのようにただ話すだけより距離が縮まりやすい)

・「やりたいこと」をしていたり、しようとしている人が多く、魅力的な人が多い(と感じる)

・農業や林業など一次産業に従事している人は肉体が引き締まっており、カッコ良く感じる(個人的見解)

・軽トラを運転する、火を起こす、仮払い機(草刈機)を使うなど、田舎暮らしスキルが高い人はカッコよくかんじる(個人的見解)


といったところだろうか。

人口が少ない方が恋に落ちやすいなんて、不思議ですね。

ただ、人口が少ない分競争も激しいのかも…と思ってしまったり。

けれど、この調子でいくと今回またうまくいかなかったとしても、また来年には新しい恋をみつけているかもしれない(笑)。

と、軽い気持ちでいこうと思います。

さて、仕事に戻ります。

長々と失礼しました。読んでくださってありがとうございます。

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