心臓がきゅっとなることとその原因について

「好きな人が私のことを好きになってくれないのでは」という不安から派生して、「好きな人は私のような人間ではなく○○さんのような人の方が好きになるのでは」という不安に、ここ最近苛まれている。

それは卑屈さを抜きにして的を得ていると思っていて、このことを考え始めてしまうととてつもなく落ち込んでしまう。

自分の今までの経験は変えられない。
自分の本当に好きなことも変えられない。
だから、もし自分みたいな人ではなく○○さんのような人が好きだとなったら仕方がないのだけど…。

素晴らしい友人〜自分ではどうにも届かない(と感じる)〜と自分とを比べて落ち込む時、心臓がきゅーっとなって深いところまで落ちて行ってしまう。そこに、「(私の)愛する人」の好意がからんでくると余計に。

そんなことを考えていて、今私の好きな人への気持ちうんぬんの前に、もしかしたらこの状況(「好きな人が、自分ではなく友人の方をより好きだったり褒めたりして、その友人にコンプレックスがある」)自体が私にとって何かあるのかなと感じてきた。

なぜなら、もはや途中から「好きな人」は消えかけて、「○○さん」へのコンプレックス(私よりあそこが、ここが優れている。私なんてダメなんだ)ということばかり考えていたから。

今まで二回、心屋式カウンセリングを受けたことがあり、それに倣って過去の自分の出来事を探ってみた。

思い出したのは、小学一年生か二年生の頃の出来事。
クラス全員が牧場で見た牛の絵を描いた。
その中から生徒が一番いいと思う絵を選んで(確か)、コンクールに出すことになった。

私の絵が人気が高く、選ばれた。とても嬉しかった。
しかし担任の先生は私の絵ではなく「こんどうさん」の絵の方が好きだと言った。
「こんどうさんの絵の方が牛がのびのびとしてて先生はいいと思うな」と。

たしかに私の絵は牛を真正面から描いた絵で、伸びやかさや立体感がなかった。
私にはそんな視点がなかったのだ。
恥ずかしくなった。

けれどコンクールに出す絵は生徒が決めるということになっていたので、当初の決定通り私の絵が選ばれた。が、私はあまり嬉しくなかった。
(後日母にその牛の絵のことを聞いてみたら、「あれはすごくうまかった」と言っていたので本当に良く描けていたようだ)。

好きな人(先生)が、友人の方が魅力的だと〜私は持ち得ない魅力〜判断したこと。〜(今思えば)私もいいものを持っていたけれど〜
もしかしたらこの時の悔しい、悲しい経験が、今の自分にも友人へのコンプレックスとして残っているのかもしれない。

というわけで、心臓がきゅーっとなる原因は好きな人のことではなくほかにあるかもなということだけは気づけました。
だからどうしようかというその先はわかってないけれど、とにかく、そういうコンプレックスがあるということがわかりました。認識して改めてじっくり味わってもみました。

雨のせいか、体調のせいか、不安と悲しい考えに落ちていきがちです。ただひたすら、好きな人にゴロゴロ喉を鳴らす猫のようになりたい。

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