オスマン帝国まとめ
ということで、オスマン帝国のらくがきまとめです。おおよそ年表順にまとめていきます。
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オスマンといえば…①
1402年のアンカラの戦いです。ティムール軍には象をつかった部隊があったそうです。オスマン帝国のバヤジット1世は落馬して捕虜になり、以降オスマン帝国はしばらく皇帝不在の空位状態になります。
オスマンといえば…②
とかなんとか……
ちなみにアンカラの戦い前に滅亡寸前まで追い詰められていたビザンツ(東ローマ)帝国は、ティムールとの戦いでオスマンがボコボコにされたことで命拾いしました。が、結局コンスタンティノープルは包囲され、1000年以上の歴史をもつ東ローマ帝国は滅んでしまいます。
オスマンといえば…③
スレイマン大帝ですね。オスマンの最盛期をつくった方です。
サファヴィー朝やハンガリー、ハプスブルク、神聖ローマとボコすかやってたのはこの方の頃です。
大帝の息子さんです。
持ってるのはチューリップなんですが、スレイマン大帝はチューリップ柄を愛用していて、オスマンのトプカプ宮殿は「チューリップの宮殿」と言われるくらいチューリップ柄のお宝でいっぱいだったとか……。
オスマンといえば…④
VSサファヴィー朝!
イラン初のシーア派王朝、サファヴィー朝。
普段は穏やかな雰囲気だけど遊牧民の人と暮らしていた時期が長い影響で、元々の口調は結構ワイルド。
ムガル帝国と仲良し
趣味は中国陶器の収集だけどこの趣味がオスマンと被ってて気に入らない。(気に入らないのはそれだけじゃないけど)
たまに素が出る。
その他
いつもの。
謎の薄いブックを制作する元ヤン美術部員とチューリップで学園を支配しようとたくらむ園芸部員(仲が悪い)
近代まで続いたオスマン帝国は、世界や国内の情勢により瀕死の病人と言われるまでになります。一方で、近代化を進めるなど西欧的国家へ変わろうとしてもいました。
VSオスマン
ネタバレをすると、マムルーク朝はオスマン帝国に滅ぼされます。