この旅が教えてくれたもの


「その場に溢れるものから目をそらさずに 
             真正面から受け取って生きていきたい」



食事の美味しさや季節の変化、
その瞬間の自分の素直な気持ち、
自分に向けてくれた優しさや思いやり、

生きている一瞬一瞬には、
「温度のあるなにか」が必ず存在している。

でも日々、それを真っ向から受け取らずに、
なんとなくかわしたり、
受け取った風にしたり、
「今を生きる」事を忘れている。


「今を生きているようで、どこか今ではないセカイを生きているのではないか?」


ご飯を食べながら、変わらない雪景色を見ながら思った。
この景色も変わらないと見ているのは私で、
一瞬一瞬変化しているはずだ。

今生きるこのセカイにあるものを
ちゃんと感じて、向き合って、受け取って、たくさんの事を感じて生きていたいな。


そんな事を思った。


携帯やパソコンに支配され、
この小さな画面が生きるセカイのように思えてしまっていた。


「今を生きろ」


高校のバレー部の大きな横断幕に書かれた文字。

いつも顧問の堀畑先生が言っていた
「この瞬間を生きろ」

なんだが今の私にとても響く言葉である。

あの頃の私って、
泣いて、叫んで、絶対に勝ちたい!、強くなってみんなで優勝したい!
痣ができようが、疲労骨折しようが、目標に向かって全力だった。


頭で考えることはいつだってシンプルで、
誰かの顔色を伺ったり、自分を疑ったりする複雑な事は一つもなかった。
時に仲間に「勝つ気があるのか?もっと思いを強く持ってよ!」と詰め寄ったことも片手では足りないほどある。

負けた時の言い訳なんか一切考えず、
ただひたすらに今を生き続けていた。


負けた事実を真正面から背負うことは怖いし、
もし自分の一球で負けたら・・・なんて思ったこともあったけど、
その気持ちを容易に越してしまうくらい、
「勝ちたい気持ち」「やってきたことを信じる気持ち」が強かった。

「負けたら・・という気持ちになんて絶対に負けない」
自分を、仲間を、今までを、信じる力は底知れぬパワーだった。

そんな清く毎日を生きる事を、なんだか忘れていたように思う。


あーだ、こーだと、
未来を勝手に予測して、真正面から痛みを感じないよう
安牌を取って、勝負しない。


安全にやり過ごす毎日なんて御免だ。


賢くなった頭も時として、
私らしさを奪ってしまうものになる。


「今を生きる」


この言葉を信じ、懸命にいのちを燃やした青春時代の自分に恥じないよう、
真正面からこれから起きる事を受け取りたい。
痛みも避けるのではなく、ちゃんと受け取れる勇気を持とう。
喜びも真正面から受け取って生きよう。

何となく過ごす毎日ではなく、

今日からまた、
今この瞬間も懸命に、真正面から全部を感じて生きようと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?