恋に対する見解

恋って、君の携帯電話が、君が僕のことを思い浮かべながら聞くロビンソンのためだけに存在していますようにって願うことだと思ってた。

雲ひとつ無い青空、なんてことばは、運動会の校長先生くらいしか言ってた記憶ないし、どれだけ君にとって大切な言葉が受け売りだって正直僕は構わないよ

明日公開される映画の怪獣の正体がヨモギの葉だったとか、くだらないくだらないくだりたくてもくだらないその階段を必死こいて登る時見たく、くだらないことをかき集められるなら明日も生きようと思う。

泡だったじゃん

手の中で擦るあの日のギャグ
むせ返す美しすぎる記憶
もういちどしわくちゃにしてもいい?

ほらちゃんと
泡立ったじゃん
しゃんと立てるよ背すじ
もうひとりで大丈夫

けどやっぱ
泡だったじゃん
ぜんぶ泡になったじゃん
臆病だって笑わせるじゃん

……

名曲に育てられた子供たちがライブハウスにきたとき
僕らわカモンはなにを伝えられんの
ごめん
ろくでなしすぎて
ちょっとまじむりごめん
応援歌が歌えないとてもじゃないけど

21歳の5月が終わってしまうらしい夜に私という私が、湯気の中で社会のあらゆる家庭のバスタブや銭湯に浮かんでいるでも沈んでいるでもない単なる暗黙のルールを思い切りやぶって長い黒髪をバシャバシャ湯船に浸からせながら火照った顔だけを浮かべてノルウェイの森下巻を読了したことは絶対に意味があったことだと思う。ところで私は滝のように言葉を思いつきます、ひとつ転がっている小さなものを道端で偶然にみつける、とかじゃないんですね、絶え間のない流水。ですので、流れてきた言葉を書きたい言葉を零し忘れたくないから、どうにか忘れまいと、できるだけ書き始めるまでは何の変哲もないモーションでいるんです、ジャンプとか、走ったり驚いたりは無論ダメ、なにかをみつけることは、絶対に何かを書き留めるまではご法度なんです。そしてこれは君に言ってる言葉なのだけど、もうそろそろ習った言葉なんて捨ててしまいなさいよ、習った覚えなんかさらさらないのにいつのまにか覚えてしまっていた言葉だけで喋りましょうよ、だってそういう言葉じゃなきゃ、恥ずかしい話ができなくて億劫。だって私、ほんの少しの歯車のズレでこの人生のうちにどうしても絶対に叶わなくなってしまった幾つかの全てが本当に悲しいんです。それでもどれだけ悲しくたって色んなこと、忘れずいるのはいわば時間の節約みたいなものでせっかく使い古した時間が取り戻せないのに0になるのは勿体ない勿体ないって思ってるだけなのよ。どれだけ私が偽物の話をしたって、たとえ君の飼ってるのが本当の犬で、私の枕元にいるのが偽物のぬいぐるみのわんこやあれそれだって、どうか私のことを気狂いだとか言わないでいてね、彼らは常にふわふわしていて、生きても死んでもないし、冷たくも暖かくもないからいつだってあたためてくれるのですよ。時に、愛するために思い切り愛さないをしなければならない僕らは、ちゃんとあれそれを学問として学んでいなけりゃ知るよしもない「誰が決めたかもわからない時間軸」のなかで、そのきもちが普通郵便か定形外郵便かどっちか、ってくらい単純な白黒を決めるために生きてるのよ

悲しいけれど。

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