「終端の王と異世界の騎士」に含まれる音楽様式

 教会旋法が確立する以前から、音楽は宗教の恩恵の下にあり、アウグスティヌスは「それを逸脱する曲は罪深い」ものであると記した。和音は神の恩寵によって生まれたものなので、ラプソディの如く神に対して従属的に演奏すべきであり、個人の感情移入によるアドリブ、スキャットは悪魔的な行為とされた。
 ルネサンス期以前音楽として認められたものの殆どが宗教音楽であったように、音楽は儀礼として扱われ、それ以外の音楽は低俗とされていた。ハーモニーによる秩序が音楽を支配し、厳格な対位法によって形式が膠着したのち、音楽を神事から芸術へ解放するために音楽家が活路を見出したのが、卑しき音楽、単旋律と個人の出来事をかたる詞のシンプルな情念表現だった。
神事の奴隷としての音楽を解き放とうとしたのは、バロック様式黎明の十六世紀初頭になる。モンテヴェルディが理論を確立した第二作法は宗教音楽の固い調性を批判し、ハーモニーよりも詞の感情に合わせた自由な旋律の構成を重んじた。
 初期バロックの音楽家は不協和音や半階へのタブー視を取り去り、歌詞に載せたキャラクターの感情が最も映えるよう束縛のないメロディを生み出した。和音による厳しい制約を抜け出したメロディは、激しいアフェクトの演出に一役買っていた。


 これが後世ロマン派音楽に多大な影響を与えることとなる。第二作法同様、ロマン派音楽も情動を音楽の中心に置いた様式だ。宮廷音楽の調性による粉飾が音楽家たちの反発を生み、個人の情動や幻想性が複雑な転調に乗って新たな潮流となった。
 この幻想性とは、ラプソディやバラッド等の古典的民謡がもつ経年変化した異国情緒を表す。民族的な寓話を用いた世俗音楽がロマン派音楽「幻想曲」の源流であることは多くの音楽史で語られるところだ。未だ知らぬ風土への憧憬は、社会の一つひとつを隔絶していた「森」というモチーフとして、ロマン派諸芸術のなかに散りばめられていくことになる。
 森は中世欧州にとって死の恐怖が渦巻く魔物の住処であり、反面コミュニティの閉塞感から抜け出す為の自由の在り処でもあった。歴史の中で空想性を帯びた異国情緒がイギリス民謡(バラッド)やギリシャ民謡(ラプソディ)をロマン派の開放的な主旋律へと昇華させた。


 「終端の王と異世界の騎士」にとって、音色にバラッドとラプソディが影響したことに加え、形式は序曲、つまりバロック音楽上のシンフォニアが膨張して交響曲(シンフォニー)となった。曲中「ラプソディア」「バラッディア」と女性名風に改変したことでシンフォニアとシンフォニーの分別が崩壊しているが、本来二つは数百年に及ぶ長い歴史の中で緩やかに変貌した異なる音楽形式だ。
 オペラの序曲として生まれたシンフォニアは、ロマン派音楽の時代にシンフォニーとしてオペラから独立した。
 その他ロンド、ワルツ、カノンも含め本曲の歌詞に登場する音楽形式はロマン派音楽に吸収されている。全ての音楽形式から表現を取り込み発展させ、音楽家が古典と宗教から分離した物語表現にのめり込んだのが、ロマン派音楽である。

 Sound Horizonのアルバム「Roman」も、個人のアフェクトや詩情を重んじ、音楽自体が物語と成る「ロマン派的」な作品だ。複雑な転調が和声に入り組み、キャラクター個人の情感に深く没入した詞と主旋律の屹立は、ロマン派復古と呼ぶべき親和性をもつ。

 詞中反復されて使われるカノンは、これだけがロマン派音楽の成立に伴い消失する。ロマン派交響曲の時代に生まれた標題音楽としての反復はロンド形式が祖として熟成されたものであり、カノンの名残と捉えることは難しい。
 カノンは独立した旋律が縦の軸をずらして時間差で並ぶ様式で、ポリフォニーのひとつだ。「終端の王と異世界の騎士」の中では歌詞「どんなに強い風でもその翼を折ることは出来ない」という部分に相当する。(ここで使用されるコードがカノン進行に酷似している点は、作曲者の遊び心と転換期に対する商業音楽家としての野心が垣間見える。)短調から長調へ移り変わって以降、モノフォニー(単旋律)、ポリフォニーと宗教音楽を踏襲し発展していく和声が最終小節でユニゾンし、ホモフォニーの単旋律へと立ち戻る。
 このフレーズの後奏には古典派が宮廷室内楽で多用したアルペジオに繋がる。この構成は「Roman」と「終端の王と異世界の騎士」がロマン派音楽の踏襲として同一でないと判断する手がかりでもあり、構成自体がルネサンスからバロックへ理性と布教のツールとしての役割の殻を脱ぐ音楽史の体現といえる。
 カノンがフーガの中でも厳格な規則による音楽であることからも分かるが、カノンは古代ギリシャ語の「kanōn=基準、規範」が語源にある。音楽史において厳格な和声が求められた古典期とルネサンス期に、美術の世界もカノン(美術用語としては人体や建築の理想的比率を指す)を重視した。
 キリスト教の中で特に霊感を受けて書かれたと認められている聖典もカノンと呼ばれる。宗教と厳しい調性に深くかかずらうカノンが、個人の感情と思想の自由を求めたロマン派音楽から遠ざけられたのは、避けられないことだったようにも見える。

 「終端の王と異世界の騎士」は、主題に個人のアフェクトを引用するものの、旋律は単純明快なコードに寄り添い、シンフォニアの楽式に則った主題転換を行う。旋律はオペラが第二作法から大きく影響を受けたバロック初期の影が色濃く、また均質な拍子と主題のホモフォニーには古典派のベースとなった宮廷音楽の調性、パーカッションとスキャットのエキゾチックな表情にはロマン派音楽が取り入れた民謡的な情緒がある。
 しかしこれらは時間軸で区切ることで一つ一つの音楽様式を分離させることができるため、ロマン派音楽のように一つの音楽様式として認めることは難しい。アルバム「Roman」をロマン派音楽になぞらえるならば、「終端の王と異世界の騎士」はロマン派音楽として大成する以前の、オペラと民謡の渾然一体とした姿だ。
 「終端の王と異世界の騎士」は、あらゆる音楽様式を受け入れ一つの音楽へと調和させたロマン派音楽へ至るための、音楽史を巻き込んだ壮大な序曲である。

 
参考文献
皆川達夫   「バロック音楽」
茂木賢一郎  「すべては音楽から生まれる」
橋本 英二   「バロックから初期古典派までの音楽の奏法―当時の演奏習慣を知り、正しい解釈をするために」
池上健一郎  諸講義

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