エッセイ「私の乳首達」

私には乳首が三つあり、それぞれミギウチ(私から見て右上にある乳首)、ヒダウチ(左上の乳首)、ヒダシチ(左下の乳首)と呼んでいる。

人に乳首のことを伝えるときには、この呼称は使わない。私だけが知っている呼称だ。

男性で乳首が三つあるのは、かなり珍しいのか、話すと驚かれることが多い。一方、右の乳首だけに毛が一本生えている、と話しても引き攣った顔をされることはあるが、驚かれることはあまりない。

一つか一本かの違いはあるが、どちらも人より多い点は共通している。どうして反応に違いが生じるのだろうか。何度か考えたことはあるが、未だに答えは出ていない。

毛は、大切な臓器を外部の刺激から守るために生えていると聞いたことがある。だとすると、右肺は、私にとって大切な臓器ということになる。

しかし、肺は呼吸するのに必要な臓器で大切なのは当たり前だ。

なぜミギウチだけに毛が生えているのだろうか。もしかして、私の右肺には、左肺にはない守られるべき何かがあるのかもしれない。

何かは抽象的過ぎるので、もう少し詳しく知りたい。だが、私はミギウチに語りかけることはできるが、会話することはできない。考えるしかないのだ。

形があるものは肺を傷つけそうで、ひやひやしてしまう。形のないものが良い。例えば匂いとか。私にとって守られるべき匂いとは何だろうか。

読書好きの私にとって、それは本屋の匂いかもしれない。トイレに行きたくなってしまうのは難点だが、いつまでもなくならないで欲しい。

守られるべきものについて考えていると、ミギウチが肺を守っている兵士のように見えてくる。毛はさながら兵士の持つつるぎのようだ。

ヒダウチとヒダシチは、私同様ミギウチが何を守っているか気にならないのだろうか。気になった左乳首達は、ミギウチを倒し、肺にある何かを確かめようとするかもしれない。

もし、左乳首達がミギウチを倒したら、私はその後の人生をヒダウチとヒダシチだけで、過ごさなければいけないことになる。

乳首が二つになったら、人の視線を気にせず海や温泉に行けるようになるはずだ。しかし、そんな乳首の配置では、以前にも増して人の視線を集めてしまう。

となると、私にとって一番喜ばしい結果はミギウチが左乳首達を倒すことだろう。

いや、大事なことを忘れていた。ヒダシチだけが倒されなければならない。そうしなければ、私の乳首はミギウチだけになってしまう。

乳首達にもその旨を伝えておこう。

頑張れ、ミギウチ。君は気高き戦士だ。その毛という剣で肺を守るのだ。でもヒダウチは、見逃してあげてくれ。あいつは私にとって必要な存在だ。ヒダシチは完膚なきまでに叩きのめしてくれ。あいつは要らない。

話を聞いてくれ、ヒダウチ。君が本当に戦うべき相手はヒダシチだ。ミギウチを倒した後の乳首の配置についてよく考えてみてくれ。そうすれば、答えは自ずと出るはずだ。

天に召されよ、ヒダシチ。私はミギウチ、ヒダシチを扇動しました。申し訳ないですが、私はあなたを必要としていません。でも、あなたが悪いわけではありません。悪いのは人の視線を気にし過ぎてしまう私です。

来世はもっと大らかな人の副乳になれることを祈っています。今世は諦めて下さい。

あなたは、手術で除去すれば良いじゃないか、と仰るかもしれません。その通りです。ただ、私にはお金がありません。

武力で解決させることしかできない私をどうかお許しください。

乳首達に伝えた後、私の胸部ではまだ争いは起きていない。ヒダシチも健在だ。

乳首達は争いを好まないようだ。優しい乳首達を私は誇りに思うべきなのかもしれない。ただ、私は乳首達にどうしても言いたいことがある。

私の財布にも優しくしてくれ。


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