うっせぇわに考える現代の問題点

すごい流行ってますね「うっせぇわ」

この歌詞みると、もう沢山話したいことが詰まっていたので、noteに。では、早速。

ちっちゃな頃から優等生

これです。この歌詞の中で対比して出てくる"あなた"は、おそらく昭和生まれの尾崎豊が流行った時代の人達。
尾崎豊は、真逆です。
15歳で、バイク盗んで走り出すし。笑
イケナイことをするのがカッコイイ。
していいかは別にして、カッコイイの定義が具体的だったし、"大人が怒る"という行動が出来たから、それも含めて自己表現が許された。

でも、今はみんな優等生なの。そもそもバイク盗んだら普通に捕まるし、した事を怒るのではなく、そもそもしないようにさせる。
理由も言わず、決まり事だから。やっちゃいけないから。

怒るってすごくパワーがいる。理由までとことん話し合うって、怒る側もすっっごいパワー。
今はそれも省略可。
さらに輪をかけて、パワハラなんて言葉が流行っちゃってるから、もう怒ることも出来ない。

気づいたら大人になっていた

優等生で、〇〇しなさい、〇〇しちゃダメ。ルールだから。の中で育っている現代人は自分で考えて行動しないから、何となくで大人になることも多い。
尾崎豊は、やりたいからやる!が出来た。けど、それはそこに真剣に向き合う大人がいたから。
でも、今はそこに真剣に向き合う人がどれだけいるだろうか。
ダメって言ったじゃない!!ではなくて、ちゃんと討論するってこと。朝まで話し合う、みたいな。

何か足りない

そう、これ。これを求めてる人がどれだけいるか。でも、何か分からないんだよね。そして、それに対してどうアプローチしてくかも分からない。やれって言われたことをやってきたわけだから。

これは誰かのせい

で、今までの人生、誰かに言われたことをしてきたから、誰かのせいになる。だって、足りないのは、親なり先生なりがその"何か"を与えてくれなかったから。

私模範人間 
不平不満垂れて成れの果て
サディスティックに変貌する精神

この矛盾する言葉。やることは分かってる。教えられた通りに動けば模範だから。でも、そこに私は無い。表現方法も分からない。しかも、模範はそれぞれ定義違うし、会社の模範なんて、教えてくれなきゃ分かんないし。結局、不満が心の中にどんどん溜まってく。
小さい頃から言われたことをやってきた"模範"をすることはできると思ってきたのに、社会に出てきたらいきなり
「自分で考えて行動しなさい」
なんて言われてしまう。そんな教育受けてないやろがーい!!!ってそれはパニックだわ。

でも、その表現をする場もないから、結局SNSとかで吐き出す。そうすると、同じ思想の人が沢山集まってくる。どんどん考えが偏っていく。心理学でいう、リスキーシフトってやつです。

私が俗に言う天才です

ここまで、大人に対する提言したけど、ここ。今まで自分で考えて実行した訳では無いんだけど、言われた通りにやって来たら、何となく出来てきたこと。大人がひいたレールに乗って、勉強していい大学でて就職して…。
もちろん本人の努力もあるけど、おそらく1人では成し遂げられなかった。〇〇しなさい、って言う言葉は、大人が経験して感じてきたもの。
だから、天才かどうかはここから分かることなんだよね。

まとめ

私がこれを読んで思ったのは、みんなと一緒が1番。という時代は終わったこと。それは、SNSやデジタル化で、人との直接的なコミュニケーションが少なくなり、1人で過ごす時間が増えたことも原因のひとつなのかな。人と共有することの大切さは少なくなってきたかな、と。ある意味個性をみつける、多様性が出てくる意味ではいい面もあると思う。そして、芸能人ではない一般の人が輝ける時代になった結果、私も"何か特別な誰か"になれるという抽象的な希望が出来る。

これは大人が悪いとか子供が悪いとかではなくて。
少なくともこれが大切だと思うのは、

普通って、ない。普遍って、ない。

ということ。私の普通はあなたの普通では無いし、この時代の普通は、次の時代の普通ではない。

普通ってよくつかうけど、めちゃくちゃ抽象的な言葉。

それに、どの時代もあるんだよね。
"普通じゃない何かへの憧れ"

でも、背伸びしてもなかなか自分以上ってなれないし、そのためには、自分が何者か分かることって凄く大事。
普通じゃない何かになりたいと思ったら、まず私がいわゆる"普通"からどこが離れているのか、離れる可能性があるのかを分析する必要がある。
そもそも、普通が抽象的だから、普通じゃないも難しいんだけど。

私は普通がよく分からないので、今の自分楽しい、それでいいと思って生きてます。

歌詞の中に時代って含まれてて凄く面白い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?