ぼくらの

2008年のアニメ、ぼくらの
少し古いですが、私は結構好きなアニメです。

物語は、少年たちがとあるゲームに参加。実はそのゲームは、リアル空間の地球壊滅との戦いで、機械の原動力は子供の命。自分が死という窮地に立たされた時、子供達はどう対応するのか。

という内容です。

めちゃくちゃ重いテーマだし、正直観た後、全く救われません。(笑)

でも、すごく考えさせられる良いアニメだと思います。

これに出てくる子供達は何かしら、親子関係に問題を抱えているんですね。

私はそこに作中で一つ伝えたいことの1つがあるのかなって思いました。

表面的に見ると、お金持ちの子だったり、ごく普通の家庭だったり。目に見えて問題がある過程もあれば、一見幸せそうに見える家族もいる。これって現実世界でもそう。でも、お金持ちで両親揃っているから必ず幸せなわけではない。目に見えるものなんて、本当にごくわずかなんですよね。

私も診察の中で、すごくお金持ちだけど両親の仲が良くなく自分も不登校になってしまった家族や、家族の前で一番見栄を張らないといけない家庭、家族がそもそも離れ離れで…など、いろんな方に日々接しています。

そんな子供達に笑顔が戻る瞬間、それって親が真剣にその子の存在自体に向き合った時だな、と感じることがあります。成績とか容姿とかではなく、”ただいてくれる、それだけで良い”という存在価値。赤ちゃんの時はそう思っていても、どんどん失われていくものですよね。良い人生を送ってもらいたいと思う一方で、それって親が思う”良い人生”。空気を読む文化が蔓延している日本で、子供達は親の空気を読んでます。

この物語で、子供の命がなくなるとき、親は、子供の存在自体に向き合います。それが子供を安心させ、子供は自分が愛されているんだと知る。死ぬ間際でさえ、その無償の愛が欲しい。逆にそれ以外はいらないんですよ。その愛を受けたことで、初めて周りのことを考えて自分だけが死ぬ道を決める。自分が誰かの尊い存在になる、死んでも誰かの心に残っているという安心感。

子供が欲しいものって、実はすごく単純。だけど気がつきにくい、親からの自分のしがらみのない存在愛なのかなと思いました。

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