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此花大教会創立百三十周年の年にさらなる成人を目指そう           此花大教会長 田邊大治


 新年、明けましておめでとうございます。 皆様方には、昨年中は、それぞれの立場において、所属する教会や大教会の御用の上にご尽力をいただき、誠にありがとうございました。 教祖百四十年祭に向かう年祭活動も早くも二年目に入りました。そして、此花の理につながる私たちにとりましては、此花大教会創立百三十周年の年を迎え、来る11月24日(日)の「此花大教会創立百三十周年記念祭」に向かって、それぞれの教会活動の充実と、ようぼく、信者の信仰成人の歩みを更に進めさせていただけるよう、共々に努めさせていただきたいと思います。 大正元年に、二代会長・田邊藤之助先生が竹中とめ先生に宛てた手紙の中に、六年前の教祖二十年祭の頃を述懐して、次のように述べられています。「その頃付き来る人は皆、不自由苦労が楽しみで、一飯の食事でも外れたならば仕合せと喜び、一時の不自由も越せば結構と、楽しむ人ばかりであった。中河の詰所に行っても、席運ぶ人、一度に三人、五人、十人と連れ参っても、寒くても、暑くても、蒲団や蚊帳を欲しがるような人は、一人も無かった。これはみな心の種に似たのでした」。 そして、此花の神殿普請などを終えた、大正元年の時のことを「然るにこの頃は、教会財産を造るのに、付いて来る人には頼みを掛けねばならず、はれものにさわるような育て方をするから、おぢばへ帰る人でも、他の神詣りする人とあまり違わぬ人が多くなって、本道が衰えたのです。私が、欲や高慢が出るから、付き来る人も皆欲や高慢の人が付き来るのです。これはやはり、私の心の種に似るのでしょう」と述べて、さらに「人の値打ちを落す事、むごい心を使う事、やさしい心無き事、憐れむ心の無き事、添うた身を育てん事、己が己がの強い心。金銭無益に使う事。これみな貧乏の種蒔きである」とも述べておられます。 『諭達第四号』で、「教祖お一人から始まったこの道を、先人はひながたを心の頼りとして懸命に通り、私たちへとつないで下さった。」とお示しくださる通り、此花の道も数多(あまた)の先人が教祖ひながたを心に、いかなる節も通り抜けてくださったお陰で今があることを、私たちは心に刻んで信仰の歩みを進めさせていただきたいと思います。 新たな年を迎え、改めて、此花につながる私たちお互いが、この旬に確かな信仰成人ができるよう、共々に誓い、記念祭に向かって勇ませ合う一年とさせていただきたいと思います。 本年もよろしくお願いいたします。

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