見出し画像

立教一八七年 年頭講習会

 1月24日から25日にかけて、詰所にて「立教一八七年 年頭講習会」が開催されました。なお、今回の講習会は、「教祖140年祭教会長夫妻おたすけ推進の集い」も兼ねての実施となりました。
 当日は午前10時30分、おつとめを勤めた後、田邊治郎役員の開講あいさつ。その後、大教会長様の講話を頂き、内統領先生のビデオと教会長のドキュメントビデオを鑑賞。13時より縦の伝道講習会、14時30分より学生層育成講習会を受講。15時20分よりビデオ「現代の社会と若者」を視聴し、夕づとめ後は懇親会が行われました。
 翌日は、本部神殿にて回廊ひのきしん、朝づとめ参拝。9時よりビデオ「終活を考える」を視聴。その後、練り合い。12時10分、宮下一節役員の閉講あいさつをもって講習会を終えました。なお、「縦の伝道講習会」、「終活を終える」の内容は来月号に掲載させていただきます。
 以下、大教会長様講話の内容を要約してお伝えします。

 年祭活動は三年千日と言われますが、修養科でも三ヶ月の中で一月ひとつきが終わるたびにそれまでの1ヶ月を振り返り、新しい期に臨んでいきます。そういう意味でもこの旬に心定めの確認なりを再度行い、仕切り直して年祭活動に当たることは大切なことであります。
 お道の信仰は、講を結ぶことで発展してきました。現在の教会・布教所です。この教会・布教所は信仰をする人の後押しをする大切な役割を持っています。その点でも組織としての教会活動の充実が求められます。私たちの信仰は、まず心を大切にしています。成ってきたことをどのように受け止め、それに対してどのように動くか。その根本にあるものは心です。喜んで受け止めるか、不足して受け止めるかでその後に大きな違いがでてきます。
 教祖が尊んでいたものは誠です。誠とは心と口と行動とが一致していることです。「形のない誠はない」とも言われます。年祭活動では具体的な動きが形の一つでしょう。あるアスリートが「ダイエットはイベントではなく習慣です」と語っていますが、信仰も同じで年祭活動で培ったものが習慣となれば本当のたすかりにつながるでしょう。
 以上のように述べられた後、本部少年会委員長として再開2年目の今年のこどもおぢばがえりに向けて此花の教会も力を入れてもらいたいと述べられ、講話を終えられました。

学生層育成者講習会 学生担当委員 平野総吉先生

 今年も年頭講習会に「学生層育成者講習会」を組み込んでいただき、本部学生担当委員であり大教会長様の実弟の平野総吉先生を講師にお招きして開催させていただきました。
 平野先生は冒頭で、「ただいま帰りました」と会場内を笑顔にして、懐かしい雰囲気の中、まずご自身の立場から、ミスをした学生に対しての向き合い方を、本部勤務者を通して学んだ体験からお話を始められました。続いて出里である此花大教会で過ごした幼少期のエピソード、また天理大学生の時に、田邊家信仰初代である田邊藤之助先生のことについて学び、いんねんの自覚をし、今の田邊家があるのは、初代藤之助先生が信仰し続けてくれたおかげであり、それが胸に治まったことで自らの信仰が始まったと話されました。
 また、結婚し堺大教会へ帰られてから5人の子どもをお与えいただいた先生は、出産を迎える度にお手引きを頂き、中でも長男が早産で未熟児だったため、成長するまで様々な艱難辛苦を乗り越えられたエピソードを聞かせてくださり、受講者の胸を熱くしました。そして、親の背中を見ながら一生懸命成長していく子どもの姿を通して、日々親神様の御守護への感謝ができているのかと、自分自身の通り方を反省させれたとお話しくださいました。
 私たちの信仰姿勢や日常生活を子どもたちはもちろん、多くの若い世代もしっかりと見ていると指摘され、これからを担う若者にしっかりと道を歩んでもらうには、先に道を歩んでいる私たちようぼくが育てる側になるという自覚を持つこと。そして育てる側の私たち自身が育つ努力を怠らず、その姿を映していくことが学生層育成を考える上で大切なことの一つであると述べられました。最後に、本年11月此花大教会創立百三十周年記念祭を迎える私たちに向け、激励のお言葉をくださり、お話を終えられました。
 先生のお話を聞き、一人ひとりの学生さんと向き合う大切な点や人を育てる難しさ、そして子どもたちや多くの若い世代からは、先に信仰する私たちの信仰姿勢や日々の行いをしっかり見られていることをあらためて教えていただきました。今年も学生会行事がたくさんありますが、しっかり努めさせていただきたいと思います。

立教一八七年 縦の伝道講習会
「子どもたちに誤りなく信仰を伝えて」

 1月24日午後1時より、「縦の伝道講習会」が少年会本部の町田一隆委員をお迎えして開催されました。
 町田委員は教祖、真柱様のお話はもとより、ご自身の体験や活動を通して具体例を挙げながら、分かりやすくお話しくださいました。その中で、「子どもたちに信仰の喜びを伝えていく上で親からの導きはもちろん大切だが、同じ目線でのお道の仲間との関わり、そしてお道を先に歩んでいる信仰者、いうなれば全ての大人が、子どもたちを導き育てていくんだという思いがあるからこそ、子どもたちもお道が好きになり、育っていくのではないかと思う」と述べられました。
 また、少年会活動の主たる目的は、子どもに信仰の喜びを伝えていくことであり、私たち大人が子どもと共に教えに沿った心遣いやひのきしんの実践を通して、親神様が望まれる陽気ぐらしの姿を、日々の中で体現していくためのナビゲーションの役割を果たしていくこと。さらに少年会活動における最終目標は、「教えを守り、ひのきしんにはげみ、互いにたすけあって立派なようぼくに育つこと」だと述べられました。
 コロナ禍によりいろいろな活動ができない状態でありましたが、昨年は子どもたちの待ちに待った「こどもおぢばがえり」が4年ぶりに開催され、年祭活動1年目がとても明るい方向へ動き出しているように感じるとともに、「引率者、保護者として、楽しいこどもおぢばがえりが開催されたことを心からありがたいと感じました」とお話しくださいました。
 続いて、本年の少年会の活動方針について、「真柱様より御発布いただいた『諭達第四号』をもとに、少年会の育成に携わる私たち大人が、教祖のひながたを目標に教えの実践に励むことによって現れる結構な姿や喜びを通して、子どもに信仰のありがたさを伝えていきたいとの思いから、昨年同様『教祖のひながたを目標に教えを、実践し、子供に信仰のありがたさを伝えよう』と掲げさせていただいた」と話されました。
 次に、重点項目として昨年同様、「子供に教祖のお話をしよう」、「教会おとまり会、教会こども会を実施しよう」、「地域で少年会ひのきしんを実施しよう」と発表され、昨年に引き続き教会こども会やひのきしん活動の更なる実施を促されました。
 また、本年も7月27日から8月4日まで開催される「こどもおぢばがえり」について、真柱様のお話を引用して、「子どもをおぢばに連れ帰り、親神様・教祖に息をかけていただくこと」が最も大切であると、その意義が述べられて「子どもたちに信仰を誤りなく伝えていくこと」を目的として活動を進めることが重要であると話されました。
 最後に子どもたちと一諸におたすけを主軸とした年祭活動を歩んでいくことが、今後の教会活動やお道全体の盛り上がりにつながっていくと確信すると述べられ、話を締めくくりました。
               (蔵 道信 記)

年頭講習会「終活を考える」(ビデオ視聴)

「高齢者のおたすけと出直しを通して」
講師 白熊繁一先生( 郡山大・中千住分教会前会長 )

 教会長になりたての24年前、当時78歳のご婦人が、若いころに重篤な身上をご守護いただき、熱心に信仰されていましたが、末期がんとなり余命宣告をされました。「人生の最後を教会で迎えたい」。ご婦人のこの望みを叶えるために、教会の一間を病室として迎え入れることにし、信仰に反対している4人の子どもたちは、余命いくばくもない母の願いを渋々承諾されました。
 受け入れの日、児童相談所から緊急委託があり、里親として3歳の女の子を預かることになりました。「婦人に申し訳ないなあ」と思いましたが、この3歳の子が大活躍します。食事の時間になると「おばあちゃん、ご飯よ」とご婦人が寝ている部屋に声を掛けに行ってくれる。ご婦人も「子どもたちと一緒の方が美味しくいただける」と食堂へ出てこられ、子どもたちの横に座り、自分はお粥の一口二口が精一杯でも、子どもたちが食べこぼす物を拾ったり、口を拭いてあげたりして、「ああ、教会は楽しい。教会に来られて良かった」と喜ばれるのです。
 「先案じすることなど何もない。おたすけの心さえもっていたら、親神様がちゃんとお連れ通りくださる。むしろもっと楽しく通れるんだな」と思いました。
 ご婦人が教会に住み込まれて半年、いよいよ自宅療養ができなくなり、入院療養になったその日、不思議にも3歳の女の子は病気から快復した母親の元へ帰って行きます。人生の締めくくりを教会で過ごしたいご婦人と、それを叶えたいと準備した教会に、親神様は3歳の女の子を緊急委託の里子としてお与えくださり、この子がいてくれたおかげで教会中に笑顔が溢れ、人生の締めくくりを教会で過ごすご婦人も楽しく過ごすことができたのだと思います。
 ご婦人は、毎日のおつとめとおさづけの取り次ぎをとても喜び、「教会に来られて良かった、うれしい」と、涙を流してそう言ってくれました。なぜ人生の最後を教会で迎えたいのかは、本人にはとうとう聞かずじまいになりましたが、ご婦人の一番大きな思いは、このおつとめとおさづけにあったのではないかと思っています。
 ご婦人が、教会で療養を始めてから病院生活となる約半年間、残念ながら子どもさんたちはだれ一人、教会に来て母を見舞ったり、ましてや教会にお礼に来ることはありませんでした。家族の無理解の中、東京にある教会から埼玉県の片田舎の病院まで往復3時間以上の道のりを毎日おさづけに通い、おたすけにつとめました。
 そうした中、母が危篤という連絡があり、大急ぎ駆けつけると長男の方から、数日前に母から私たち4人に遺言だと思って聞いてほしいと言われた言葉を話されました。「みんなには分からないだろうけど、今日の私、そしてみんなの幸せがあるのは、親神様のおかげ、教祖のおかげ、教会のおかげ、会長さんのおかげなんだよ。会長さんにお葬式をしてもらいたい」と言われたのです。
 そして、「会長さん、後のことをどうぞよろしくお願いします」と、お道を理解しない子どもたちが、初めて私のことを会長さんと呼んで、頭を下げてくれました。「わかりました。後のことは責任を持ってつとめさせていただきます」とお答えし、この時、心の片隅にいつも居座っていた黒い雲がなくなり、それからは毎日晴れやかな気持ちで通わせてもらいました。そして、「親神様、教祖はこのご婦人だけでなく、この私も一緒に抱きかかえてくれたんだなあ」と感じ、心の底からありがたい思いでいっぱいになりました。
 しばらくたったある日、ご婦人は出直されました。ご婦人が出直したことによって、長年通ったこの家との縁が切れてしまうことを、寂しく重苦しく感じておりました。
 ご婦人の祖霊様をお祀りすることはすぐに承知してくれましたが、親神様をお祀りすることの申し出については、断られ続けました。しかし諦めずに、親神様、祖霊様のお社が入っている小さいケースを買い求め、それを届けると、私のしつこさにあきらめたのか、渋々「どこにでもおいてください」と、親神様をお祀りすることができ、月に一度、訪問できるようになりました。
 誰もいない講社づとめを繰り返していると、コーヒーを入れてくれるようになり、お母さんが教会で過ごされた景色や、3歳の女の子とのやり取りなど、ご家族とたくさんお話ができるようになりました。
 それから、不思議なご守護を頂きました。「遺産の一部を献納したい」とご家族より申し出があったのです。そして、生前にご婦人が娘に話しておられた、教会の教職舎の普請へと話がつながり、親神様の不思議なご守護を頂戴しながら教会の小さな教職舎ができあがりました。更には、末娘が抱えた大きな事情のおたすけに取り掛かり、長い年月を要しましたが、その末娘はようぼくとなって、教会のおつとめ奉仕を勤めてくれるようになりました。
 母が生涯かけても祀れなかった親神様を、今は長男の家と、末娘さんの家の2軒にお祀りして、そこに私がおつとめに出向かせていただいております。今では一人ではなく、家族の方と一緒に勤めており、大変ありがたく思っております。 

 このご婦人の生涯かけて貫き通された親神様、教祖、教会、会長への報恩感謝の心。教会長の真実、熱意のこもる信仰実践が親神様に届き、家族の心を変え、大きなご守護を頂いたものと思わせていただきます。       (梅本 孝行 記)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?