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脅威は常に内側にある。加速する変容と、変わろうとしないリアル

前時代的意識にショックを受ける

そう多くはないものの、仕事柄、デジタル技術の世界に触れることがある。ARやVRを使用したサービスを展開するためのコンテンツを企画し、それを実現化するといったようなことだ。
そうした世界に足を踏み入れるようになったのは偶然で、「私はアナログだ」などと、なかば開き直るように(さらには多少のねじれた選民意識的感情を伴いながら)言ってられない状況になった。
それは実に有り難い事で、もはや目前となった「バーチャルファースト」の社会に対するアレルギー反応を起こさずに済んでいる。
「もはや当たり前になるのだ」と、心構えと言うより、平常心でただそう感じている。
だが、そうなると、まだまだ多くの人たち、特に日本では9割にもなるのではないかと思われる「一般層」の意識との乖離がすさまじくなる。
特にクリニックなどでマニュアル的な対応をされた時など、目の前が暗くなる。
その応対に、正直なところゾッとした。
まるでロボットのように感じられたからだ。

マニュアル・ノウハウの盲信は危機でしかない

最近はアップしていないが、上記のようにchatGPTを使いながら、私なりに可能性を探ってきている。
近ごろはAIの進化のスピードが当初の予測を凌駕していることが、ニュースなどで危機的に語られる向きもある。まさにAIが「真価」を発揮し始めているのだ。
もはやAIは脅威になりつつある、とさえ認識されている。もっとも、この点については、脅威にするかどうかは結局人間が決めることだと私は思っている。
なおかつ脅威は、まさにその人間の側にあると考える。それは意識できないだけに深刻だ。
たとえば先に挙げたように、ごく身近なところではサービスを提供する仕事に就くような人たちの中に見られる。
つい先頃もクリニックの電話応対に辟易した。
そのクリニックでは、予約日の前日に確認の電話をかけるシステムになっている。
私としては、あまり望んでいない。というのも、ミーティング中だったり執筆中に電話がかかってくることもあるためだ。つまり、かけられては困ることの方が多い。
今はメッセージを伝えるアプリはいくらでもあるため、わざわざ電話を鳴らす必要はなく、9割はそのようなかたちの対応で完了する。
このことを電話口の人に伝えた。
すると、驚くような回答だった。
「何の連絡もなくキャンセルする人が非常に多いため、予約の方には前日確認の電話をすることになっています」
つまり「ドタキャンする人たち」に合せた対応だったのだ。
ということは、私はそういう人たちのレベル(と、あえて言わせてもらう)に合わせられていたということになる。

「ハートに訊いてみる」なんて、もはや無理でしょう。


なんだろう、この妙な「平等」意識は?
仕方なく説明した。
「私はドタキャンはしませんし、実際、日程変更をせざるを得ない場合はこうして電話をかけて連絡しています。前日の確認のお電話は不要です」
すると返事はこうだった。
「承知いたしました。ただ、すべての人に確認の電話をすることになっていますので」
機械的な対応を正当化するための、機械的な返答である。
もはや人間と対話しているとは思えなかった。無論電話口の彼女は自分を人間としか思っていないわけだし、実際それは確かなのだが、こういうロボットまがいの反応をすることに違和感を抱かないのだろうか。

かねてより私はノウハウやマニュアルには反旗を翻し続けるマイノリティであった。疑問を抱くことなく身につけてきた人たちはもはやまったく意識が違っている。
マニュアルやノウハウにもとづいて行動すればいい、という信念。
それは盲信である、と、言い切れる。
これさえあればなんとかなる、切り抜けられるという依存が垣間見えるのだ。
そして、そうした思考回路を脳にすり込んでいくことにより、まちがいなく「自分の判断」「自分の考え」を埋没させていくだろう。もはや「ハートで感じる」など無理な状態になっている人も少なくないと見られる。

個性を埋没させきった段階で到来した「個性の時代」。この壮大なストーリーを前に、オセロの反転が起きようとしている。

日本の教育では、先生から教えられたことを教えられたとおりに答えられる人が優秀者とされてきた。それを疑いもせずにレールに乗ってきた人も少なくない。
こんなことは言いたくないけれど、いわゆる「劣等生」のすねたザレゴトだと思って許して欲しい。マニュアルやノウハウを身につけ行使できる人は、その延長線上にあるのではないだろうか。
個性を自覚しながらも、それをとりたてて主張せずに生きることが出来る種類の人たちといってもいい。
そうして、「優等生」を量産し続けて、し続けて、し続けてきたその挙げ句の果てに、さあ、これからは個性を発揮してください、オリジナリティが大事ですよ、と時代が言い始めた。
自分の言葉で語ってください、と言われれば、たちまち不安な表情で戸惑うような人も少なくない今、AIは実に流暢に「自分の言葉」で私の問いかけに答えてくれる。その反応には、久しぶりに心ある人と語り合ったような感覚を抱くことさえある。
機械的になった人間を相手にするよりも、やさしく心ある反応をするAIを窓口に起用する業種は時が進むにつれ増えてくるだろう。
その時、マニュアル・ノウハウ的な反応しか出来ない人たちは、どこへ行くのだろう?
まさにオセロの反転が起きようとしている。

それでも希望を失ってはならない。自覚を持って生きることが自己再生へとつながる。

まったくだ。
おめでとう、我が日本。
いったいどうするのだ?こんな処まで来て。
そろそろ掛け違えたボタンを正そうではないか。
そうだ、掛け違えた地点に戻ってやり直すのだ。
少なくとも「ここでした」と認識し、公表することで、そうだったのかと目覚める人もいるだろう。
もはや自分の個性というものがわからなくなっている人も、何歳だろうと、何をしていようと、勇気を持って原点回帰すれば良い。
あなたをコントロールしてきた親なり先生なり周囲の人々は、良かれと思ってやってきたのだから、まずはそれを許し、受け入れてきた自分をも許すことだ。
ほんとうにやりたいことは何なのか、小さいところから始めてみて欲しい。
まだ間に合う。
いつだってできる。
自己再生をするチャンスが今、到来したのだと思えば希望が生まれてくる。





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