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明治女に学ぶ美しい人生のたしなみ*第5回 真の自由とは、あらゆるものを超越して発展しようとする精神的な力にある

杉本鉞子
明治六(1873)年、旧長岡藩家老・稲垣家に生まれる。結婚を機に渡米するも夫との死別により帰国。母を看取った大正五年、二人の娘と共に再渡米し執筆やコロンビア大学の講師を務める。1925年に米国で出版された『武士の娘』が絶賛され七カ国語に翻訳される。昭和二年に帰国後も執筆活動を続ける。昭和二十五年没。享年77。

日本女性の誇りを示した『武士の娘』

 明治時代、諸外国から見れば「極東の不思議な国・ニッポン」を理解してもらおうと務めた日本人は少なくありません。杉本鉞子もその一人です。新渡戸稲造が米国で『武士道』を出版してから四半世紀にあたる1925年、同じく米国で鉞子の著書『武士の娘』が出版されました。

旧長岡藩士の家老の家に生まれた杉本鉞子による同著は、繊細な感性と深い洞察力、気品と美しさに満ちた文章で、四季折々の日本の風習や日本女性の生き方が見事に描き出されています。

新渡戸稲造の『武士道』がサムライの矜持を通じて日本男性の精神性を示したなら、鉞子の著作は武士の娘の生き方やあり方を通して日本女性の誇りを示したといっていいでしょう。その内容は今や私たち日本人にとっても興味深いもので、「日本と日本人を知るための良書」ということができます。

すべての学びは心を養うことに通じてゆく

 鉞子は厳格な武家の躾を受けて育ちました。

小寒から大寒に至る寒中には武道の寒稽古があたる書道やお針(裁縫)の稽古が行われました。まだ夜も明けない時刻、こと越後は豪雪地帯ですから気温は零下にもなりましょう。そんな中、いっさい暖房がない部屋で(火鉢さえもです!)、一心に書道やお針に励むのです。

「心の乱れは即、筆運びや運針に表れる」とされ、こうした寒稽古により心身を鍛錬したのでした。

また、鉞子は数え七歳から四書五経を地元の高僧から学んでいます。孔子像の軸が掛けられた床の間を背に端座する師が厳かに『論語』の一節を詠み上げます。鉞子が意味を問うと、「貴女の年齢で意を汲もうとするのは分が過ぎます」との答えが返ってきました。頭で理解しても、それは単なる知識にしかなりません。人生経験を通して「あの教えはこういう意味だったのか」と悟ってこそ、知識は本物となり叡智となるのでしょう。

お師匠様の講義がおこなわれている時、たった一度、講義の最中、鉞子が少し体を動かしてしまったことがあります。師はかすかに驚きの表情を見せたかと思うと、やがて静かに本を閉じ、「そのような気持では勉強はできない」と優しく、しかし厳しい態度で鉞子を諭しました。鉞子は心底より我が身を恥じ、恭しく畳に手を突いてお辞儀をすると、静かに退出したのでした。

教えを授ける側と受ける側。双方が学びの尊さを理解し、誠実に向き合ってこそ講義が成り立つのでしょう。ここでも「心」が問われており、身を律することを通して心を養っていたことがわかります。

鏡に映し出されるのは「心」

 強い心を育むことは生きる強さに繋がります。

女の子は嫁ぎ先で厳しい境遇に置かれようとも耐え抜いていかれるように、ともすれば男子以上に厳しく躾けられたようです。

そんな鉞子に縁談がもたらされたのは十四歳の時でした。相手は米国で商社を営む杉本松雄です。両親から「お相手が決まりましたよ」とお見合い写真を見せられると、鉞子は深々とお辞儀をし、それですべて決まりです。今では考えられませんが、この当時、格式のある家柄では当たり前のことで、鉞子も自然と受け入れたようです。それからの日々は、まるでもう松尾が一緒に暮らしているがごとく、陰膳を必ず据え、両親や祖母までもが、松尾がそこにいるかのように振る舞うようになりました。このようにして、まだ見ぬ相手に対する親近感を育んだのかも知れません。

鉞子は東京での女学校教育を経たのち、いよいよ日本を離れ、松尾の待つアメリカへ渡ることになりました。

当時としても古式ゆかしい日本の躾を受けた鉞子が、歴史も文化も違う異国で暮らすことになったのです。娘が嫁ぐ日、母親は武家の習わしに従って、はなむけを贈りました。

それは、「戦いに出で立つ武士のように雄々しく新しい生活に向かうように」という勇壮な言葉です。また、「毎日この鏡をごらんなさい。もし心に我儘や勝気があれば、必ず顔に表れるものです。(中略)松のように強く、竹のようにもの柔らかに素直で、しかも雪に咲きほこる梅のように、女の操をお守りなさい」(『武士の娘』ちくま文庫)とも。

鉞子は、この時ほど母が感極まっているのを見たことがないと述べていますが、母親は自分が通ってきた道だけに結婚生活の喜びも厳しさも心得ており、それゆえ言葉に熱が籠もったのでしょう。

鏡は大切な嫁入り道具のひとつですが、その鏡には心が顕れるとしています。この教えは、今も通用するものではないでしょうか。「操」などというとずいぶん古くさく感じられますが、自分らしく生きているかどうか、ということにも通じるように思えます。「らしくある」というのは、そんなに簡単なことではなく、それこそ強く柔らかく、厳寒季に果敢に咲く梅のような気高さを要するからです。

二つの国で生きることで得た一つの真理

 渡米した鉞子は「日本で教えられていたことを行おうとすると上手くいかない」と戸惑います。それでも二人の娘をもうけ、周囲に助けられながら、次第に鉞子は大切なことに気づいていくのでした。
 それは、「真の自由は、行動や言語や思想の自由を遙かにこえて発展しようとする精神的な力にある」(同)ということです。幼い頃に徹底して身を律するという「不自由」を経験した鉞子だからこそ見いだせた答えなのかもしれません。

 翻って、多くの行動や振る舞いを自由にできる私たち現代人の心は、本当に自由なのでしょうか。
知らぬ間に心の自由を失い、それによりストレスを抱え込んでいる…。
 そんなことが多いのではないでしょうか。

 もっと広く、もっと自由な心を養うことは、何より自分を楽にするにちがいありません。
 難しいことは考えず、まずは鏡を見て、眉間をふわりと開いてみましょうか。

(初出 月刊『清流』2019年5月号 ※加筆2022年8月31日)
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