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なぜ人に優しくするのか?②

なぜ人に優しくする必要があるのか?

あるいは

なぜ人に冷たくしてはいけないのか?
なぜ人に辛くあたってはいけないのか?

など
昔はそんな疑問を持つことはなかった。


別に
優しくしなければいけない

という決まりはないけど

他者に対して思いやりをもって接しよう
という社会的に根付いた文化はあると思う。


私は、人との関わり合いに疲れた。


あたりまえだと思ってた

"人に優しくすること"
"人に与えること"

それができなくなっていた。

人に与えようとすると
その度に、何かがすり減り、疲弊していくようだった。


人に優しくしたり与えることで、感謝されたいわけでもなかった。

感謝はされなくていい。

でも、優しくすることで、それで
人をナメたり、付け上がったり、それを利用したり、より搾取しようとする人が多くて
そんな人をたくさん見て、疲れてしまった。

こんな世の中なら、人に優しくする必要ないんじゃないか。

改めて思う。

「なぜ人に優しくする必要があるのか?」


それは私だって優しくされたいし、優しい世界で暮らしたい。

これを書いてる今、すでに私の中で答えは出てるのだが
強く疑問に思い、考えていた時のことを
改めて振り返ってみようと思う。

なぜ、人に優しくしようとするのか?

見返りを求めるからか?
普段から人に親切にしていれば、いざという時に助けてもらえるからか?
善行を積めば徳となり自分に返るからか?
善行を積めば、死んだ後に天国へ行けるからか?
神が見ているからか?


では
人に助けてもらいたいがために、見返りを求めて、優しくするのか?
徳とならなければ人に与えることなどしないのか?
善行を積んでも天国へ行けないというのなら、悪事を働くのか?
あるいは優しさなど必要ないし、他者に冷たく当たるのか?

本当に精神を重んじるのなら、
人に与えることができる生き方が正しいのだとわかる。

無神論者ならばどうだろう?
どう答えるのだろう?

世界的に見れば無宗教の方が珍しく、スピリチュアリティや宗教的な概念抜きで語る方がおかしいのかもしれないが
日本で育ち無神論者が少なくない環境で育った身としてはどうしても疑問が出るのである。


あなたは何を思う?


私は、私よりもずっと頭が良く、そして無神論者の父に疑問を投げかけてみたのだ。
それは、過去のトラウマが彷彿したりして精神状態が少し押し潰されていた時だったので
よほど狂ったことなどでなければ、私が何を口走っても不思議に思われなかっただろう。


「昔は全く疑問に思ったことないけど、なぜ人に優しくする必要があるのか?
子供や動物などの自分より弱い者に優しくしなければいけないのはわかる。
でもそれ以外で、人に優しくしても与えても奪われるばかりの世の中で、なぜ人に優しくする必要があるのか?
そんな人達ばかりなら優しくする必要はないのではないか?
自分が困った時に助けてもらいたいから、優しくされたいから、優しくするのか?
そうしたら見返りを求めるために優しくするのか?
それはおかしいのではないか?
神を信じる人が天国に行きたいからという理由で善行をするのもおかしな話だと思うけど
"神様なんていない"という考えでも、なぜ人に親切にしようとするのか?」

大まかにこのようなことを聞いた。
無神論者は何と答えるのだろう?

すると
「難しいね」
と返ってきた。
割と普通の回答だ。
そして思ったよりもちゃんと答えてくれたのだ。
「僕もわからない。
別に、それで嫌になって優しくしたくなければ優しくしなければ良いし、それも一つの結論だ。
そういうことも考えるのも学びだ。
確かに、何でも人に親切にするのが正しいわけでもないし、相手のためにならないこともある。」

聞くところによると父は、この間バスの中で、ホームレスらしき人にお金をせびられて、わずかだが渡してしまったらしい。
私は、それをやると、その時渡す人は良くても、それに味をしめた者は「せびればお金をもらえる」と思い込んで
他の人にもやることで、それを迷惑に思う人がいるので良くないと思っている。
だが、いざそういう人と出会い、その人のことを考えるとどう思うか?
もしかしたら、わずかな渡したお金で、支援相談窓口に電話したり、役所へ行くことができるかもしれない。
パンを食べて今日という日を生き延びることができるかもしれない。
また、このご時世、誰がいつ生活困窮者になるかわからないのだ。
父も、最初は私と同じように「良くない」と思ったらしく拒否したが、バスの中で降りる時にわずかだが渡したらしい。
「僕のやったことは間違いだっただろうか?」
と聞かれたけど、「間違いだった」とは言えなかった。
それが本当にその人のためになったかわからないけど、間違いだったかはわからない。

父は、私の疑問にはっきりとは答えることはできなかったけど、そんなに悩んでいるなら孔子の本を読めば何かヒントが書かれているかもしれない、と言った。

私は、せいぜい「あんた可哀想だね…」と同情でもされて終わりになるかと思っていたので、まともな返答にもらえたことが嬉しかった。
人に意見は投げかけてみるものだ。
孔子の本はまだ読んでいないが…。


さて

「なぜ人に優しくする必要があるのか?」
の疑問だが
私は、やはりスピリチュアリティ抜きで語ることはどうしてもできない。
そして今、それをハッキリと言葉にして語ることはできない。

だけど、荒んでいった心の中でもたまに感じる、人の温かみや優しさが、それが大切だと思わせてくれる。
それが、大切な何かを気づかせてくれた。


友達の優しさによく感動している。
今日初めて会った看護師さんとかバスの中で親切に接してくれた人とか、あまりよく知らないのに優しくしてくれた人がたまにいたりして
そんな人たちに触れ合うたびに心が温まる。


きっと「優しさ」って大切なことなんだ。


決して、誰にでも親切に優しくすること、与えることが、良いこととは限らない。

相手のためにならないこともある。
自分のためにならないこともある。
良かれと思ってやってることでもダメなことはあり
人間が良くても、上(神)からみたらNGなことだってある。
与えることで、付け上がったり、利用したり、より搾取しようとする人なんてたくさんいる。

だから、嫌だと思ったり疑問に思ったら優しくする必要なんてないし
与えたい、優しくしたい、と思った時だけすれば良いと思う。
無理する必要はない。

私は余裕がなくなってしまった中でも、親しい人にはわずかだが、与えることもあったと思うけど
全般的に、人間関係に疲れて、人に優しくしたり施す余裕がなくなってしまってた。
でも今、前よりも少し余裕ができてきたような気がする。
いつか、もっと余裕のある人間になれたらなと思う。


心の中をまとめた長文記事は、これで一旦収まります。
以降、もう少し軽めになるのではないかと思います。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
書きたいことがあれば、ぼちぼち長文記事を書くこともあると思います。
また、10月は更新が減ってしまうかもしれません。
ぼちぼち更新するとは思うのでよろしくお願いしますm(*_ _)m

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