《tomoyo*さん》からのお便り

"ワンダーウォール劇場版をオンライン上映で拝見しました。岡山天音さん演じる志村がとても魅力的で、何度も見たくなる作品です。

先日のYouTubeでの近衛寮広報室を見てから、「居場所」について考えています。
幼い頃からそれは、ずっと私の中のテーマだった気がします。家庭では愛情をたくさん受けて育ちましたが、外側の世界は風当たりが強く、小学生の頃は学校で一言も話さず1日を過ごすなんてことは、当たり前の日々でした。私の中のスピードと外側のスピードにはかなり差があって「どうして?」と疑問を感じてもそれを言葉にすることも出来ず、ただ時間が過ぎるのをやり過ごす日々でした。

そんな私の唯一の「居場所」は誰もいない美術室でした。休み時間になると、その教室へ忍び込みむせ返るような絵の具の匂いと埃っぽい空気の中で過ごすのが、心落ち着く時間でした。建て付けの悪いガラス窓を開けると、気持ちの良い風が吹き抜け、そこから見える青い空が好きでした。

私にとってその場所は、私が「私らしく」いれる居場所だったのだと今頃になって気がつきました。
誰かに褒められなきゃいけない、認められなきゃいけない、何かを成し遂げなくてはいけない。mustばかりの世の中で、誰も居ないその部屋は黙っていても大丈夫な場所。
そのままの自分を受け止めてくれる場所だったのだな、と。

あぁ、いつかの美術室から見た空の青さに似ているなと、今でもふと思い出す事があります。こんなこと、誰にも言ったことありません。ワンダーウォールを見た事で、あの時の空の青さ、絵の具の匂い、歩くと軋む木造校舎の床の音、頬を撫でていった風の温度さえも鮮明に思い出しました。
それはとても豊かな思い出です。

映画の中でマサラが「ここがなくなったら僕はどこへ行けばいいんだよー!」と悲痛な叫びをあげるシーンは胸が痛みます。
あの美術室が「入ってはいけない場所」だったら、私はどうなっていたのかな?と自分に重ねてしまうのです。

志村が「本当に正しいことならばそれでいい」「だけどそれでいいのか分からない」と潰れるような声で言うシーンも好きです。
生きていたら、そんなことばかりで途方にくれてしまいます。何が正義で何が正義じゃないのか分からなくて、何と戦っていけばいいのか。出来れば誰とも戦わず、穏やかに共存していきたい。などとも思います。
ワンダーウォールを見た後は、手を伸ばしても絶対に届かない天井を触ろうとするような気持ちになって、眠れなくなります(笑)

それほど素敵な作品であると私は思っています。
取り留めもなく長い文章になってしまいましたこと、お詫び致します。
またお手紙書きます。
今日はこのへんで、失礼いたします。
次の近衛寮広報室、楽しみにしております!

✉️マサラ役・三村和敬さんのお返事

三村君のお返事です!

マサラ役の三村です。
ワンダーウォールを観てくれてありがとうございます!!

記憶って不思議ですよね!
一回思い出すと匂いや光の微妙な感じとか、ディティールまできっちり掘り起こされるんですよね。
ネガティブな記憶よりも安心できて伸び伸びとしていた記憶(母に耳掻きしてもらった記憶とか)の方が思い出し易いって、演技のレッスンで教わりました。
美術室がどれだけ大切でステキな場所だったか、思いを馳せています。

お手紙を読んで思い出したのですが、投稿者さんにとっての「美術室」が高校時代の僕にもありました。
そして僕も今更、其処が当時の僕にとって必要な居場所だったのだと気がつきました。
どうして今まで忘れていたのだろう…?

寮存続の危機に直面している彼らは、「近衛寮は自分にとって必要な場所だ」と自覚しているように見えます。
正直、それが僕には羨ましく思えるのです。
今は生活に追われていて気がつかないだけで、きっと今も自分にとっての大切な居場所(人かも?)はあるはずなのに。

マサラの叫びも、キューピーや三船の眼差しも、志村が抱えている疑問も、今の僕は一つも持っていない、それが悔しい。
だからワンダーウォールという作品は、観る度、「今」の自分にとって大切なものの存在を問いかけてくれます。
それでもって、今を捉えるってのもすごく難しいんですけどね。

個人的なことばかりのお返事ですみません。
今の投稿者さんにとっての美術室はありますか?あるとしたらそれは、本当にとても素敵な事だと思います。

いつか腕がグニョンと伸びて天井にタッチできる日がきますように。笑