夏の終わりのこたつ話 まとめ

9月14日(金)の渡辺あやQ&A企画「夏の終わりのこたつ話」をまとめましたニャー。

【おこたえ】

これには日本の大学教育が今おかれているとても複雑な状況が背景にあるのではないかと思います。
私たちスタッフも「ワンダーウォール 」の制作の前に、何度も読み返した内田樹先生のブログがありますので、そちらをぜひお読みいただければと思います。   

 ドラマの中で、寮生たちはあくまでも「大学」と闘っています。けれども物語は単純に大学を敵として描いてしまえばいいわけではないのだな・・・という迷いが、こうした背景を知ることによって自分の中に生まれてきました。「結局僕らはどれと戦えばいいんだろう?」という劇中のキューピーの疑問は、そのまま私自身の疑問でもあります。


【おこたえ】

個人的には、これはとてもあるような気がします。私は普段島根の田舎に暮らしていて、たまに仕事で東京に出てくるのですが、毎回初日は、街中の情報量の多さにふらふらになります。たぶん普段の田舎暮らしでは、人とか看板とかが少ないので、ポケーっと五感を全開にした状態で暮らしており、その構えでいきなり東京にくるので、何もかもを拾ってしまってパンクしそうになるのだと思います。
で、そんな私でも2、3日東京にいると、だんだんその溢れる情報の中でも「必要なものだけ拾う」ということができるようになっていき、楽にはなっていくのですが、もしかするとこれはつまり「自分が拾いたいものだけを拾っている」ということなのかもしれません。


【おこたえ】

おじさんたちの「本来の表情」みたいなものでしょうか。
おじさんたちというのはおおむねやはりそれぞれのお立場で、いろんな自分本来のものを押さえ込みながら社会の中に存在しておられる感じがします。でも、そんなおじさんもかつてはそんな様々なプレッシャーから自由な若い男だったわけで、その頃はもっと伸び伸びした表情や声をされていたのではないかと想像される、その「若者」の表情がふっと現れる、みたいな感じです。そうした表情に、やっぱりその方本来のエネルギーをいちばん感じるのです。一つの企画を進めていくというのは、いつもとても大変でパワーのいることなので、目の前のおじさんたちが生き生きとされているかどうか、というのは私にとってとても大事なことです。


【おこたえ】

私はもうほとんどいつも、自分には答えのわからないことを書いている気がします。とりあえず自分はここまでは考えてみたのですがこれ以上がどうしてもわかりませんので、どうか私よりよくもののわかったどなたかに考えていただけませんでしょうか、という切実な相談、が自分の作品の正体なんだと思います。

なので気をつけているのはやはり「わかっている以上のことをわかったふりして描かない」ということでしょうか。患者がお医者さんになるべく正直に詳細に自分の症状を説明するような態度であるのが望ましいのではないかと思っています。

時々「カーネーション」の糸子みたいにやたら物事を断言したがる人物も書いているのですが、あれもあくまでも彼女が独自の言い分を吐き散らかすのを、横でふむふむ言いながら書き留めてゆく・・・みたいな感じなのです。


【おこたえ】

せっかく岩崎太整さんが来られたので太整さんに、どういう作業だったかをお聞きしてみました。

太整さん「あやさんの脚本に音楽をつけることはとても難しかったです。シーンの中のどの人物の感情にあてても無粋になってしまう気がしました。 ラストシーンの音楽を作っているときは、なぜかずっと松尾芭蕉の<夏草や 兵(つわもの)どもが夢の跡>という句が頭の中にありました。芭蕉が想像したであろう<兵どもの躍動>を自分も想像しながら、そんな兵どものような姿をあのシーンに再現しようとしたのだと思います。       冒頭のピアノ曲は、キューピーの<夜が夜らしくなる>というセリフからイメージして作ったものです。彼が寮まで歩いていく、その”歩くテンポ”からテンポがまず決まりました」


【おこたえ】

私は頭からほとんどぶっつけで書きます。最初に決めておくというか、把握しておくのは鑑賞後感というか、その物語を観終わった時に「どういう気分になっているか」ということです。これがはっきりとイメージできているというのがとても大事なのですが、それ以外はほとんど何も決めず、自分が登場人物と同じように「今、まさに遭遇している場面」を記録していくように書いていると思います。

これは、たとえば明日とても楽しみなパーティがあるとして、それを思いっきり楽しみたいと思っているとき、私たちは「何時に誰と何を話す」とかスケジュールを事細かに決めてその通りに動いたりはしませんよね。そんなのはちっとも楽しくなさそうですよね。そうではなくて、まず行ってみて、その場の雰囲気を感じて、話したいと思った人と話したり、好きな音楽で踊ったりするのがきっと一番ワクワクするし、面白いことや楽しいことが起こりやすい過ごし方だと知っている、ということに似ている気がします。


【おこたえ】

取材で行った古い学生寮に、本当に「茶室」と呼ばれる部屋があったのです。そこは実際にかつて茶室として作られたもので、今は大部屋として数人の寮生たちに使われていたのですが、敷きっぱなしの布団をよけたり、床の畳をひっぱがしたりして、炉が切ってあるのも見せてくれました。
今はボロ布団と洗濯物に溢れるその部屋にかつて茶室という美しい機能があったこと、そして、そのことを寮生たちが知っていていまも「茶室」と呼んでいることを、なんだかとてもロマンティックに感じました。

自分がいま触れているものの、かつての意味や表情を想像してみる時に、人は世界の意外な奥行きを知ったり、自分の思い込みから少し自由になれたりする、その感じをロマンティックと私は呼んでいるような気がします。



【おこたえ】

本当にそうですよね。私も今回の脚本を書きながら、じゃあ果たして自分たちは一体誰を相手にどう闘えばいいのだろう?と本当に途方にくれました。で、色々考えてみた結果、私もそもそもそういう「問いのたて方」がもう違うのかもしれない・・・という気がしてきています。

これからの「闘い」はもう一見闘いに見えないものがいいんじゃないかなあとか、こんなに敵が見えづらくなってしまっているなら、そっちは探すのをあきらめて、味方の方をどんどんさがしていけばいいんじゃないかなあ、なんてことをぼんやり思い始め、実はこの広報室もそのような気持ちから立ち上げてみました。敵じゃなく、味方を探してどんどん繋がっていけばいいのかもしれない。まだ思いついたばかりのことで、何も確かなことを申し上げることはできないのですが、「楽しいこと」は「辛いこと」より共有しやすいものなのだな!ということだけは立ち上げてみて、日々実感しております。

関わってくれている人たちがみんなとびきり楽しそうでいてくれる(一銭の得にもならないというのに)ことを心の支えに、もうしばらく広報室活動をがんばってみたいと思っております。みなさまにも引き続き一緒に楽しんでいただけたら、一同こんなに嬉しいことはありません。

それでは本日のQ&A企画はいったんこれにておしまいとさせてさせてくださいませ。ありがとうございました!渡辺あや