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渡辺あや インタビュー

――「そのとき、恋が始まった……のかと思った」「それでも、これはラブストーリーだ」という主人公のキューピー(須藤蓮)のナレーションから入ることで、どういうことなんだろう?とすごく興味が湧きました。それと同時に、この作品では若者たちが何と闘っているのか、その構造を一時間の中できっちり見せないといけないわけで、大変だったのではないかと思います。

渡辺:今、おっしゃったようなことが一番の課題であると思っていました。ドラマがどう始まったら興味を持ってもらえるかが大事だと思って色々試したんです。最初は志村(岡山天音)の「ベルリンの壁が崩壊したとき、境界線としての壁は世界に16しかなかった。しかし2018年現在、建設中のものを含めるとそれは65に増えている」というナレーションのシーンから書き始めてたんですけど、どうも固すぎるのが気になって。なにげなくテレビを観ていた人でも、ふっと物語に入れるような内容と語り口が必要だと思いました。結局キューピーを冒頭に持ってきたのは、寮生の中でも一番フラットなキャラクターで、なかなか普通の人は理解されがたい「寮に対する想い」を彼の恋情として表現することで、共感してもらいやすくなるのではないかと思ったのです。

――そこには、昨今、強い言葉に対して、拒否反応を起こす人がいるということとも関係がありそうですね。

渡辺:はい、私自身もそうなのですが、他人の怒りの声や悲しみや苦しみの表現などを受け止めたり、自分の中で消化する力が衰えているというのが、今の顕著な傾向であるように思うんですね。今回、取材をしていて一番気になったのが、いま若者が声を上げることさえあきらめかけているような空気でした。何が彼らの闘う力を奪ってるんだろう、どういう状況がそうさせてるんだろうと思ったんです。希望が見えない未来や受け入れがたい状況に対して、彼らの声さえ奪っている構造っていったいなんだろうと。視聴者に対して、この問題をいかに提示するかということを、今回一番たくさん考えました。

――取材をしてみて、実際にどんなことが見えましたか。

渡辺:若者たちは、それぞれにすごくいろんなことを考えているんだけど、それを誰かと共有したり、ひとつの力としてまとまったり、ということがしにくくなっているのではないかということをすごく感じました。なにが原因なんだろう、自分の頃とどこが違うんだろう、と考えていくうちに、ひとつには、先ほど言ったような怒りや悲しみといったネガティブな感情表現に対するアレルギーというか、排除したがる傾向が社会の側に強いせいではないかと感じたのと、もうひとつには敵が明確ではなくて、誰と闘えばよいのか解らないシステムというのがあると思ったんです。それでドラマでも、寮生たちが敵だと思っているの学生課の窓口の女性が、実はいくらでも交換可能な部品のような存在であるという描写をしました。

――そのシーンが一番残ったし、後々まで考えました。このドラマの最後って、実際にも結果の出ていることじゃないし、結果の出てないところに勝手にフィクションが収まりの良い結論を出すわけにもいかないし、学生たちがこの出来事によってめちゃめちゃ変わるわけでもないですよね。でもそれがすごく誠実であるとも感じました。

渡辺:現実に進行中で、まだ結論が出てない状況があるのに、ドラマをハッピーエンドにしてしまったら、観る人はそれで安心しちゃうかもしれない。それはこのドラマを作った本意からずれてしまうなと思ったんです。起こっていることを知ってもらい、そしてそのことについてなるべくたくさんの人に考えてほしいというのが本意だったので、そのままを投げる形にしました。でもそれと同時に、ただどんより重い気持ちにさせてしまっては、観終わった後もこのことについて考えたいという気持ちにはなってもらえないとも思いました。明日になってもふとこのドラマのことを思い出して、考えて続けてもらいたい、そのためにも最高に楽しいシーンで終わらせたかったんです。

取材・文:西森路代

写真:SWAMP・加藤真大