《くじらさん》からのお手紙

近衛寮広報室の皆さま

こんにちは。
何度も拝見しました。
何かをやっている最中に(家事など)、ふとこの作品について色々と考えてしまいます。それだけ奥深いというか、しっかりと咀嚼すべきものという感じがします。

劇中に「正義」って言葉が少しだけ出てきますよね。この作品の中で「正義」とは何を意味するのでしょうか?
寮生達の闘いにおいて、この言葉が意味するものは何でしょうか?
いえ、この作品だけではなくて、世界中で多種多様な壁が存在する現在、そこに「正義」はあるのでしょうか?

考えれば考えるほど分かりません。
皆さんのお考えを聞かせていただければ嬉しいです。

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すみません。先程、お手紙差し上げた、くじらです。
「正義」という言葉についてですが、
「多様性」と「正義」は共存できうるのでしょうか。
自分なりに考えても本当に分かりません。

皆さんのお考えを聞かせていただければ嬉しいです。

✉️監督・前田悠希よりお返事

くじらさんへのお返事

正義を定義するのは簡単ではありませんよね。私もそのことについて、考えます。

ただ、確かなのは強いものが正義ではない、ということだと思います。でも、日常生活を送る上 で、例えば多数決なんかもそうですが、より強いもの、力の総量の大きいものが一旦の「正義」 となってしまうことが多いのではないかと思います。力によって正当化された正義に従うのは楽 ですが、きっとそこに多様性は成立し得ないような気がします。

近衛寮における「正義」とは、「力を正義としないこと、正義をその都度問い直すこと」なので はないか、と思います。全会一致の会議も、そのためにあるのではないでしょうか。正義そのも のもまた力を獲得した瞬間に危険なものになりうるからです。だから、何に力を与えるかをみん なで納得するまで慎重に議論するのだと思います。

少なくとも正義を人間が形作る以上、それは完全なものではありませんし、立場や時代によって も変わっていくいい加減なものだと思います(一方で普遍的な正義-「人を殺めてはならない」 といった類のことーを信じられなくなれば、人間は人間ではなくなってしまいますが)。 だからこそ、私たちは何が「正義」なのかを注意深く観察して、見定める必要があるのではないで しょうか。

志村は、「本当に正しいなら、消えてもいいんです僕は」と言います。この言葉が象徴するように、 寮の存在が正義として自明なものであるとは思いません。ただ、寮には正義とは何かを検証する プロセスがあります。「正しさ」に近づこうとする決意と努力があります。そのことが私にとって は、一つの希望であり、「正義」という言葉を知るために必要な要素であるように思います。

お答えになっているか分かりませんが、、、いま正義について思うことを書かせていただきまし た。

この問題については、色々な意見があると思います。ぜひくじらさんの、重要な問いかけに対す るお考えをたくさんの人に聞いてみたいです。

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