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集団心理

浪人時代のゴミ日誌を晒そうの会を開こうと去年の11月にnoteのアカウントを作ったというのにふつーに面倒くさくてなんもやらんかったですね、こんにちわサトーです。
正直手書きの作文をデジタルに文字起こしするのふつーに面倒くさそうだし、冒頭とか全然おもろくないし、読み返すの痛いし、てかめんどいし、でやらなかったんですが、日誌ってマジで毎日書かされるやつだったので、だるい日用にネタをメモってたやつがあったので、2個しかないんですけど、その1個をコピペしますね。やっぱり自分は自分なので、お前の話、おもろー!!になりますね。感性が腐ってますね。てことで、鬱病真っ只中浪人中18歳の痛々しい所感です。お聞きください。あと、400字詰め原稿用紙1枚の字数制限があったので終わり方は雑です。とりあえず埋めることが第1優先なので。

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集団心理というものがあるだろう。これは小学生にもあるのだ。いや、もしかしたら幼いからこそ強いのかもしれない。本当に記憶力がないので色んなことを忘れてしまうのだがよく覚えてることがある。問題の答えだと思う方の赤白帽をかぶって、というただの普通の算数の授業だった。私はその問題の答えは赤だと確信していた。だから赤を被った。それは少数派だった。しかし絶対に赤なのだ。どこをどう考えても赤だった。にも関わらず多数派を見た人達が次々と白に変え、赤はほとんどいなくなってしまった。結局、その答えは赤だったのだが、ほら見た事か、という感情よりなぜ??という感情が強かったのを覚えている。だってどう考えたって赤だった。その時は理解できなかった。少し違うかもしれないが、こんなこともあった。クラスに小人症なのか分からないがとても背の小さい子がいた。その子はさらに色黒で今考えると東南アジアのような異国の血が混じってるような子だった。とにかく異端だったのだ。小学生の狭い世界から見ると。だから「気持ち悪い」と陰口を叩かれていた。しかしその子と私は共通点があった。ほとんどの子が地元の産婦人科専門の大病院で産まれてくる中で私は高齢出産で母に持病があったため遠くの大学病院で帝王切開で産まれた。そしてその子もその病院で産まれ、ベットが隣だったらしい。共通点という程でも無いかもしれないが、なぜか私たちは知っていた。片田舎の狭いコミュニティなど、産まれてくる病院から幼稚園、小学校、中学校まで皆同じである。そんな中で始まりが異端だった私たちはそこになんとなく仲間意識のようなものがあった。今となってはその子がどうなったのかは分からない。次に中学の時の話である。私の中学は進学校だったのだが、中学入試1位で合格した女の子がいた。その子はやはり天才であるからなのか確かに少し変わっていた。太っていたし、髪はショートでボサボサだった。ヲタクっぽい喋り方でまくし立てるような早口で大きな声で喋る子だった。だからやっぱりいわゆるJCというようなキラキラした子には気持ち悪がられていたらしい。当時付き合っていた友達に「あの子、気持ち悪いよね」と言われたことを覚えている。その子はコンピュータ部だったのだが、私の友達はみなヲタクだったので私も友達についてコンピューター部に入った。その子はやはり私には分からないことを早口でまくし立てていて少し戸惑った。しかし、ひょんなことから一緒に帰ることになって否応なく喋ることになった。喋ってみるとわかったが、全然変な子じゃなかった。いや、確かに変わっているがちゃんと私にも分かる話題を話してくれたし、ちゃんと楽しかった。その子は結局東大へ行った。やっぱり頭が良かったんだなぁ。

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だってさ。


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