上五島勉強:山王山

大好評(?)の上五島勉強企画、今回は上五島随一の名山である山王山についてです。

山王山の印象

私自身、確か小学校高学年の頃に父親に連れられて、当時60代の祖母と3人で登った記憶がうっすら…
登山道の結構奥まで車で行けるし、運動がそこまで得意ではなかった私も祖母も休憩しつつまぁまぁ登れました。
山頂の展望台からは景色が良かった気がする…

そんな「まぁ海もあれば山もあるよね」程度の認識だった山王山。
ですが、近年ふと目にした記事に度肝を抜かれました。

最澄の銅像?

最澄の像を建立 新上五島 日本遺産にちなみ記念行事

えっっっっ、最澄ってあの教科書に載ってた仏教の偉い人?(←?)
上五島に来てたん???しかも銅像建てたって何???

最澄は804年、遣唐使として同町に滞在後、中国に渡航した。帰国後に無事を感謝し、仏教を学んだ中国・天台山の守護神「山王神」を同町の山に祭ったとする伝承がある。山王神を祭ってから今年で1200年とされることから
関係者が最澄の銅像(高さ約3メートル)を除幕した。(要約)

長崎新聞 2019年10月16日記事より

全然知らんかった…この像どこにあるんやろ。
しかも山王山が「日本遺産」なるものの構成資産とな?国境の島として壱岐・対馬・五島で2015年に認定された…ってこれも知らん…

最澄と山王山

えー、まず前提として、五島・上五島を経由して遣唐史が唐へ渡ったということは知っていました。五島うどんもこのルートで伝わったと言われているし。

で、改めて「最澄」とは?

平安時代初期の日本の仏教僧。日本の天台宗の開祖。唐(中国)に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建てて日本における天台宗を開いた。

最澄−Wikipedia

延暦23年(804)に第16次遣唐使船で入唐した最澄は、帰国後の弘仁5年(814)と9年の2回にわたり、福岡の太宰府竈門山寺に入唐成就のお礼詣りをしている。その際、五島にも足を延ばしこの雄嶽(山王山)を訪れ、比叡山延暦寺(天台宗)の守護神「山王権現」を祭祀したとされています。

雄嶽日枝神社−新上五島町なび

山王権現とは、日枝山(比叡山)の山岳信仰、神道、天台宗が融合して成立した、延暦寺の鎮守神である。

山王権現−Wikipedia

つまり、最澄は唐の天台山という山で学び、それに倣って比叡山で「山王権現」という元々日本にあった山岳信仰と融合した神仏習合の神様を祀りました。

その「山王権現」を、「無事帰国できた感謝」として上五島の山王山にも祀ってくださったそうです!

最澄モノローグ妄想

(ここから妄想含む解釈)
当時の遣唐使の旅はとても過酷で、船が遭難してしまうことも多かったとか。
唐へと船出する前、上五島で風待ちをしていた最澄は、ピラミッド型の見事な山である山王山(名前はまだ無い)に何かしらのパワーを感じていて、もしかすると旅の無事を祈ったかも知れません。
それから唐へ渡って、霊山である天台山で学び、無事に帰国し、それに倣って比叡山で天台宗を開いてから、

「そう言えば船出する時の島に、めちゃくちゃ立派な山あったよなぁ…」「無事に帰ってこれたし、比叡山の山王神、あそこにも祀っとこ」

的な???(知らんけど)


山王山は素晴らしい伝承が残る山だったんですねぇ。
またひとつ、勉強になりました…。