【雑感】婚活女性が男性に年収500万円以上求めるのは「普通」なのか?「高望み」なのか?
ひかりんです。話題に乗り遅れたちょこさん(@ChoConejito)のために書きました。
昨日ツイッターで@sumomodaneさんが主催者になってタイトル通りのスペースが開催されていた。
正直なところまったく議論が噛み合ってなかった。ひどいものである。
なぜこんなひどい議論になるのかについて、今回はある発言を1つ取り上げて、その原因を対策を解説していこうと思う。
それはスピーカーの女性が発した「「自分が大卒なら子も大学に行かせることを前提に考えるよね」(意訳)という意見だ。
この意見はとても興味深い。
彼女が言っていることはつまりこういうことだ
「自分が受けてきた教育を当たり前のように子供に受けさせるのが高望みだろうか?」
自分にとっての当たり前を子供に与えたい。それが高望みなのだろうか?
ここで、もう1つ別の例を考えたい。タイトルにある年収500万円以上求めるのは婚活女性について考えてみよう。
40歳女性「子供を教育を考えると30歳くらいの年収500万の男性と結婚したい」
これを聞いたらどのように思うだろうか?
きっと多くの人がこの女性は自分のことを高望みだと思うのではないだろうか。
この事例では実現可能性の観点から「高望み」か否かを判断している。つまり40歳の女性が30歳で年収がそこそこの男性と結婚したいなんて本人が望む望まないに関わらず実現可能性が低いから高望みであるということである。
一方で「自分が大卒なら子も大学に行かせることを前提に考えるよね」は実現可能性の判断が一切入っていない」自分にとっての当たり前の教育を受けさせたいはたんに自分の願望である。もちろんそれに共感する人は多いかもしれないし、そうであるべきかもしれない。しかしあるべき論と現実は別である。
つまりスペースでは高望みか否かを「あるべき論」と「実現可能性」の観点から話している人が混在している。
そのため両者の話はかみ合わない。
両者ともに「自分が大卒なら子も大学に行かたい」と思っていたとしてもだ。
あるべき論者は「自分が受けてきた教育を当たり前のように子供に受けさせるべき」だからそれは高望みではないと主張するし、実現可能性論者は「年収500万稼げる男性は少ない」のだから高望みだと主張する。
そもそもお互いの高望みの定義が違うから噛み合うわけがないのである。
こういう現象は至るところで発生している。今回も実りある議論をしたいのであればまずこの前提を揃える必要があった。
どうすればよかったのか?
今回の件は
「婚活女性が男性に年収500万円以上求めるのは「普通」なのか?「高望み」なのか?」
というテーマに対する参加者の立場の違いや議論するフォーカスポイントにずれが生じているのが問題である。 そもそも平均年収は地方と都会でも大きくかわる。前提の違う人同士が自分の前提を当然のものとして議論するとここでも噛み合わない。
今回のスペースでは例えば少なくとも次のようなテーマに置き換えるべきだったろう。
「自分と同等の教育や独身時代の生活を送れる相手と結婚したいと望むのは高望みか」
その上で議論を次の3ステップに分解して議論をすすめていくべきだ。
1.あるべき論についての議論
2.現実の分析と認識合わせ
3.あるべき論と現実のギャップを埋める方法についての議論
まずはあるべき論についての議論と合意形成が必要だ。
ここは実際にどうなっているかは関係ない。それを考えるのは次のステップである。現実がどうであれば、どうあるべきかについてお互いに議論を重ねる。
ここでのイシューは(現実がどうであれ)「自分と同等の教育を望めば子供に受けさせることができるような社会になるべきか」である。
繰り返すがこの時点で実現可能性は考慮しない。そのほうがいいけど実現不可能だからそうあるべきではないというのはNGだ。
次に現実の分析をする。実態はどうなっているかだ。ここでは徹底的に客観的な視点で考えるが大切だ。あなたがどう思っているかは関係ない。現実して今時点で可能になっているか否かについて考える。
今回の事例でいうといま時点でそうはなっていないが答えである。だからこそ今回のようなスペースが開催されているからだ。女性が望めば全員そのような男性と結婚できるならそもそもこのような話題に関心は集まらない。
最後にやるべきことはあるべき論と現状にギャップがあることがわかったらそのギャップを埋める方法を考えることが。
こうしたい、でも現実はそうなっていない。ではどうするべきか?ここについて考える。全員の向いている方向が一致しているので生産性の高い議論ができるだろう。
最終的には出る結論は次の2つだ
1.望む気持ちは高望みではないが、実現可能性観点からは高望みである。そのため○○という方法でこの問題を解決する必要がある
2.望む気持ちは高望みではないが、実現可能性観点からは高望みである。そして解決方法がないので。現実には妥協しないと結婚できない人が続出する。
また「あるべき論について」合意がとれない場合はまずはあるべき論について十分な議論を重ねるべきである。
そもそも「自分と同等の教育や独身時代の生活を送れる」のが当たり前にあるべきでる前提が間違っているのではないか?
について議論を重ねる。よく考えて欲しいのだが、このあるべき論は「国民の教育水準は平等でなくて良い」という暗黙の価値判断が入っている。
そもそもこの段階で噛み合わない人同士が制約条件をなしに議論をしても自分の立場にたった主張をするだけの不毛な議論がつづくだけであろう。
まとめ
大分長くなってきたのでここらで切り上げます。言いたいことは生産性のある議論をしたいなら
・議論をするときは前提条件を揃えること
・事実とあるべき論を混同しないこと
・あるべき論そのものを議論するのか、あるべき論に対する解決方法ついて議論しているのかを参加者全員が認識すること
このあたりをちゃんと意識して議論しようねってことです。
おしまい。
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