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『おろかものとおろかもの』

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平成版 打海文三『応化クロニクル』 ある程度書き溜めて投稿しますが、基本不定期連載小説。 同人的リブートとお考え下さい。 適宜改稿・加筆修正します。
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2019年1月の記事一覧

おろかものとおろかもの 26

佐々木海斗が白昼堂々連れ去られ、居住していた疎開先から更に山の奥、新潟と長野の県境にある収容施設に連行されてから約1週間が経過していた。 この秘密軍事訓練所の管理責任者且つ、海斗を拉致した実行犯のリーダーであるジョンファンと名乗る男が海斗に向かって宣言した通り、ここは北朝鮮軍が秘密裏に列島内に留まり、戦争を継続させるための兵士を養成する場所であった。 暴力で従順になり、体力的に従わせやすい少年少女を拉致してきて、ゲリラ兵としての教育を施し、残党狩りをする合衆国軍の最前線に

おろかものとおろかもの 25

その日は毎週一回、必ず行われる佐藤の検診日に起こった。 この日は朝から佐藤は機嫌がよかった。 殺伐とし、行き場のない感情が渦巻いている佐藤にとって、マギーと一対一で会える、話せる機会が唯一、心の平穏をもたらしてくれるのだ。 佐藤は難民キャンプ内の、いつもの診察室へと入って行った。 ささくれがちな今の心情を悟られることがないよう、表情に笑顔を作りながら診察室のカーテンを開けた。 マギーはタブレットタイプの電子カルテに目を落としながら、診察室のパイプ椅子に腰掛けていた。いつ

おろかものとおとかもの 24

おろかものとおろかもの 24 マギーの本名は、マーガレット・ウルフシュタイン。28歳。アメリカ国籍。 祖父が20世紀の世界大戦後のドイツからの移民世代で、ユダヤとドイツの血を受け継いでいるという。 彫刻のように整った顔に、碧眼が美しく光り、ブロンドの長い髪をポニーテールにしていつもキャンプ内を忙しそうに動き回っていた。 本来の専門は循環器系と答えていたが、外科処置、内科診察の区別なく、難民キャンプ内に残った人たちの治療にあたってた。 横須賀と違い、いわき市の難民キャンプは明

おろかものとおろかもの 23

実際のところ佐藤はここまで難民キャンプに留め置かれることに、何かえも言われぬ不信感を抱いていた。 年齢的にも体力的にも、一般的な成年男性というだけで佐藤には需要があるはずである。 ところが横須賀からいわきに移送されて3か月、相変わらず佐藤は簡易な軍用テントの下におかれている。 キャンプ周辺ではすでに、工事用の重機や建設現場の人員たちが、何かよくわからないビルや施設の建設を始めているというのに。 そんな佐藤の焦れったさを知ってか知らずか、週に一度は定期的な検診があった際にマ

おろかものとおろかもの 22

東北のいわき市といっても8月の時期は暑い。 じりじりとした日差しが容赦なく照り付ける。 いわき市では、他の占領地域よりも復興計画が進んでいた。 軍用施設や工場施設の建設が急ピッチで進み、瓦礫の山だった難民キャンプの回りはだんだんと景色を変え始めていた。 佐藤は相変わらず、難民キャンプで悶々とした日々を過ごしていた。 児童・老齢者のボランティア、清掃活動、炊き出し…難民キャンプでやることはそれなりにあり、一日が終わるとぐったりと疲れてしまうが、それでも佐藤は自分の立場・仕事

おろかものとおろかもの 21

おろかものとおろかもの 21 佐藤直樹は、いわき市で、実に淡々とした日々を送っていた。 横須賀からいわき市に「難民」として移送されてきたが、自分の立場や考えていることは変わらない。 自分たちの妻・子供・家族に会いたい。 せめて安否だけでも知りたい。 そこに絶望的な答えしか待っていないとしても、何かしらの反応がなければ佐藤も行動を移せないでいた。 いわき市は、太平洋側に面した良港であり、合衆国・国連軍の軍事拠点・経済拠点として地政学上重要な場所であった。 その為、空爆は意

おろかものとおろかもの 20

海斗はジープに入れられてすぐ、黒いテープで顔をぐるぐる巻きにされた。 目の前が見えない。辛うじて鼻で呼吸が出来るくらいだ。 後部座席には男が3人、海斗を真ん中にしてぎゅうぎゅうのすし詰め状態で座っていた。腹部にはAKのの銃口が当てられていた。左隣りの男は小銃を抱えるようにしながら持って、海斗をじっと睨んでいる。 海斗は冷静ではいられなかった。頭に血が上ったままで、暴れようとしたが、自分よりも屈強な男に両側からがっしりと腕を捕まえられ、もがけばもがくほど強く押さえつけられて

おろかものとおろかもの 19

人種としてはアジア系だろうか。人数は6人。前から4人。後ろから2人。 鋭い目つきのまま、海斗達が乗る軽トラックの運転座席に向かってくる。 海斗と圭吾は、金目の物を運転座席の後部に隠した。勿論iPadもケースに入れて。 男達が軽トラックを取り囲んだ。運転席のドアミラーごしに、自動小銃の銃口を向けている。 AK-47のノズルを左右に振りながら、男達は視線を海斗と圭吾に向ける。 降りろ、ということか。 このような場面は実は何度かあった。主に合衆国軍の臨時検問で、要は市街地に入るの

おろかものとおろかもの 18

『徴用・徴収』とは端的に言って「人攫い」である。 働きざかりの若者や大人、特に10代後半から20代にかけて、出稼ぎに市内に出てきた男女が何らかの集団によって拉致されるという話が、夏の盛りには既に出回っていた。 犯行グループの正体ははっきりしない。合衆国軍が市内を統治地区を巡回して、警備や防備を強化しているというが、当の合衆国軍の一部が行っているという噂もある。 目的の方は、様々な推測が可能である。復興需要における人材不足は深刻で、健康な大人はどんな場所においても重宝される。

おろかものとおろかもの 17

晩夏の新潟は一気に涼しくなる。午前中の暑さとは裏腹に。 海斗と圭吾は、まだ夜も暗いうちから親戚と夏野菜の収穫を行い、軽トラックに出荷出来る野菜を詰め、日の出とともに街へと出発する。 燃料を節約するために、車内の冷房は付けない。窓を開けっぱなしにして走る新潟の風はとても気持ちよかった。 しかし、市内に着くころには日差しは容赦なく照り付け、海斗達の体力を奪う。野菜が熱さでやられてしまわないように、手早く、軍施設内にある食堂や、復興し始めた長岡の繁華街にある料理屋に配送する。スー

おろかものとおろかもの 16

季節はもう、夏が終わりに近づいていた。 他国の統治下であろうと何であろうと、この日本の残暑は厳しい。 昼間は蒸し返すような暑さが容赦なく降りかかる。 けれども、夕方を過ぎた辺りから暑さはやわらぎ、秋の風が凪ぎはじめる。 佐々木海斗は、結局高校生にはなれなかった。いや、ならなかった。 本人は別にそれでいいと思った。 惠と流を学校に行かせることが出来て、無事であれば自分はなんとでもなる。もう15歳なのだ。 大人の役割が求められているのならば、自分は家族の為にそれをしなければなら

おろかものとおろかもの 15

おろかものとおろかもの 15 難民認定された佐藤には番号が与えられた。 合衆国及び国連指定難民・N145675号。 無機質なこの番号のお蔭で、とりあえずの医療措置と配給、家族・親類の捜索願いが無償で行わてれている。 中華街で疲弊していた5日間のことを考えるとここは天国だった。 人間は秩序が保たれれば、心に平穏を取り戻すし、前向きに生きようとする。佐藤は様々な手を使って捜索や、西日本への探索を試みた。 マギーの持っている情報は海外のニュースサイトで記事にされている話と類似して

おろかものとおろかもの 14

佐藤は難民キャンプの病院に搬送されてから、3日余りで散歩が出来るほどに回復した。 頭痛は発作的にやってくることがある。しかし、日常生活に困る、というほどのものではない。 しばらく過ごすうちに、この難民キャンプ及び、周囲の状況が把握できるようになった。 キャンプは横須賀の軍港基地の隣に建設されている。潮風がそのまま通り抜けていく空間に、約20万人の「難民」が一旦「収容」されている。 東京ドームで例えると約4個分。キャンプ内には佐藤が世話になった病院、大手コンビニエンスストア、軍

おろかものとおろかもの 13

白衣を着た女性は自らをマギーと名乗った。 ブロンドの髪をポニーテールにしている。髪にはつやと張りがある。青緑の眼で、赤いフレームの眼鏡をかけている。欧米系の顔だち。佐藤よりは年下だろうか。ブラックのセーターに、デニムパンツ、ロングブーツを履いている。ブーツでパイプ椅子を寄せて、佐藤のベットに近寄った。 「あなたはまる1日寝ていましたよ。大丈夫、重症ではありません。」 おそらくね。と添えてマギーは外国人の訛りのある、しかしきちんと理解できることばで話をしてくれた。 ここは横須賀