#41 空気の粒が見えるとき。


あまりにも忙しないと、言葉を残す時間を取り逃がしてしまう。それはよくない。かもしれないから、やらなきゃいけないことが横で私を見張ってるけど、こんな時間の使い方をしてみる。


本音は、好きな人には言いづらい。
知らない人には言いやすい。
裸は、好きな人に見せるのは恥ずかしい。
知らない人には何とも思わない。

それはきっと、好きな人に見せているもしくは見せたいと思っている私が、本当とはかなりギャップがあることを表しているのかもしれない。
かもしれない、というのは、だって本当なんて無くて、全部本当だと分かっているから。

みんなギャップに苦しんでいるのかもしれない。
だからお酒を飲んだり、するのかもしれない。


言いづらい中で、私が何の障害も通ることなく、本来であれば言いづらいことを言える相手がいて。
でもそれはなぜなのか、はっきりとはわからない。
けど、その人は私のどんな話も程よく真剣に聞いてくれるし、腰を折ったりしないし、相槌だけで流さない。いつも私が望むより望む重さで話を受け止めてくれる。


私はいつだって真剣に生きている。
真面目なことが真剣に生きていることじゃない。
真剣に頑張ろうとしているときより、
サボりたい、頑張りたくない、苦しい、悲しい、遊びたい、ふざけたい、
と思っているときの方が真剣で。
でもその真剣さを真剣に受け止めてくれる人はほとんどいない。笑ってテキトーに流されてしまう。

でも、できることならいつだって真剣に頑張っていたい。頑張ってた方がそりゃ、良い子だもの。
でもそういられないのは、そうなるしかなくてなっているわけで、なりたくてなっているわけじゃない。
そのギャップに苦しんで、サボりたくなったり、あほみたいにふざけたくなったりする。そこには感情の差分の重みがある。

真剣な時ほどテキトーで、
テキトーな時ほど真剣だったりする。

その重みを知ってか知らずか、
その人は私の話を気持ちいいまでに聞いてくれる。
ありがとう。


私は自分が不器用なことも、流されやすいことも知ってる。そんなこと、今更言われなくても中学生くらいの時にとっくに気づいてる。

自分が理解力が無くて周りを見るのが苦手なのなんて、小学生の時はっきり自覚した瞬間がある。覚えてる。小学校の中庭の花壇の前、午後の休みの時間。友達に次の授業の質問をされて答えたら、通りがかったクラスメイトに違うよナントカだよって言われて質問してきた子は正解を教えてくれた子と去っていった。
一人花壇の前に取り残された。眩しい午後の日差しの中で私は、自分が他の子とはどこか違うところを向いていて、人から聞いた話がどういうわけか自分の中であらぬ処理のされ方をしてしまうことに気づいた。

自分が信じられないという感覚。
怖くて、厄介な感覚。
そんな感覚の作用が働いてか、人の言うことをすぐ信じる。影響されやすい、流されやすい。自分は信じられないから。
でも人は色んな方向から全然違うことを言う。
どれを信じたらいい?
自分を信じられないから、自分の信じたい人の言葉も信じられない。


ふと末原さんのブログをのぞいたらこんな言葉が。
(リュズタンのカーテンコールで「大丈夫」と言われてから、たまに覗いてみるようになった)

『僕らは信じたいことを信じたらいいんだとおもう。ほんとかどうかに固執しすぎると、もったいない。何かを心から信じているいま現在の輝きは本物だ。そして、その輝きは、世界を変えていく。』


世界を変えるかどうかは正直分からないけど、
いいな、と思った。
ほんとであれまちがいであれ、
自分の信じたいもの人を信じてみようと思う。
自分のことはまだまだ信じられないけど、自分の輝きはたまに自分で分かる時がある。輝き、という言葉を使ってくれて良かった。腑に落ちた。


でも自分、まちがえちゃいけないぞ。と言う。
信じるものは一つじゃなくていいんだし、自分が信じたいと思わなかったものも尊重はするべきなのだ。
この世にあるものは全て、尊重されるべきなのだ。
太陽も、砂粒も、総理大臣の言葉も、犯罪者の言葉も、喜びも憎しみも悲しみも、全部全部。
この世にうまれるべくして生まれたもの。
全て全て、尊重されるべきだし、してあげたい。
苦手だな嫌いだなと思ったとしても、そう思うことと貶すことは別問題だ。存在を尊重する。
そういうものを尊重しないことは、自分の存在を尊重しないことに繋がると思う。全てのもの、決して自分の意思で存在し始めたのではないのだから、せめて尊重はしようよ。アフターフォローというやつだよ。

ね。



私は、海外旅行にあまり興味がない。
海外に旅行に行くなら、自分の身体の中を探検したいと思ってしまう。細胞のひとつひとつをノックして回りたい。

きっと、マクロよりミクロに興味があるのだと思う。

なるべく、その瞬間の粒たちに挨拶をして、細かい輝きを目に焼き付けて死にたい。世界は輝きで溢れていると思うし。せっかくだから。
毎日のんびりと生きていきたい。
ゆったりとゆったりと。
きっと骨たちも喜んでくれるよ。

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