子猫の自己紹介(~自分自身への探究)そして、私の夢

私は子供の頃から夢がなかった
今も特にない

先生や友達から夢を問われるのが苦痛だった

卒業文集?
みたいなのの将来の夢は、悩みに悩んだあげく

タクシーの運転手
本屋さん

だった気がする😅まさに適当な思いつき、その場しのぎ(笑)

そして、その夢と書いた存在には微塵も携わることはなく、なんなら車の運転すらしていない

周りの社長連中は、まあたいてい車好きの自慢家が多いが

私に言わせれば車など、ただ長距離走るのに便利(に思える)道具でしかない
形や値段などどうでもいいし、口先とは裏腹に心は何とも動きもしない、今だに

人と深く関わることの方が怖いから恋さえもしたことがなかった

どちらかというと陽気で物怖じもせず、人との人間関係にはあまり悩んだ記憶がない表面だった私だが、自分の心の奥底は中はいつも孤独だった


でも、現在この歳になってようやくわかってきた

夢とは探そうという努力から生まれ、自分と共に育っていくものなのだと

そんな私だが
小さい頃から、周りには友達があふれ
好意を寄せてくれる異性もいて
勉強は特にしなかったが学校の成績もおおむね10位以下になることはなかったと記憶している

今現在もこんな私と長年付き合いを続けてくれている仲間も少なからずいる

今、思い返せば
将来の夢に繋がったであろう大好きなことも、得意なことも間違いなくあったと理解している

ただ、探そうという努力をしなかった
もっと知るために頑張ろう、という気持ちは芽生えたことがなかった

話を戻そう

もし仮に、私がその頃に
今より感受性が優れ、若く、体力に満ち溢れていたその頃にその努力の価値に気づいていたならば

車も恋も仕事も、それ以外にも未来に起こり関わった全てに対する見え方、捉え方は大きく価値観を変えていたかもしれない

夢とは自分と共に育っていくものなのだ

例えばこのnoteをはじめ、TwitterやInstagramのフォロワーさんのように

最初は0からスタート
これがいわば、夢の卵

何かをするのは自分のみ
何もしなければ0のまま
下手をすれば(諦めたことも自覚しないまま)諦めるか、別のことに目を向けるか

あるいは日々の努力を繰り返し、一歩でも前に進み続けるか
その場合には、増減や微増はあれど0以下になることはよほどないはずなのだ

SNSを始めたことによって、一つ扉が開いた

今の私にはもう、過ぎ去った過去の可能性を取り戻す時間も体力もなかろう

しかし

いまの私が探し求めたい願いならば、これからの努力で掴む可能性もきっとあるだろう

私の夢

私は駄菓子をもっと多くの人の手に届けたい


欲を言えばきりがないが、せめて私の手元にある子供達全てくらいは、日本全国の望む人にその人の望む形で届けられる人になりたい

品物は仕入れれば手に入る
店ならばそれを並べて値札を付けておけば自然に売れる

だが、まさか日本全国に店を出すことなど夢ではなくもはや願望であり、呪いにしかならない

どういう形を望むのか、どんなのが愛されるのか、必要としてもらえるのか、有り難がられるのか、価値を見いだして貰えるのか

それを伝えてもらえるような人になれるようにそのための努力をこの先の人生に積み重ねていきたいと思う😺

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