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近藤和見による誰かのための日記_0012

短編ユーモア小説【Addicted to Hiroko】

忘れられない。あの光景が僕の目に焼きついている。
ブザーの音が会場に響き渡る。緞帳が開く。すると白いブランコに腰掛けた奇妙に美しい女性がスポットライトに浮かび上がる。大歓声。彼女は目が眩むほど美しかった。

あの日、僕は小学三年生だった。その前年、両親が離婚し少年の心に暗い影を落とした。心配した母は知人のつてを頼り、薬師丸ひろ子のコンサートチケットを入手してくれた。僕が彼女のファンだったからだ。僕は大喜びで畳の上を転がり回った。
「祐介、前から三列目の席やで」母も嬉しそうである。「えー、どうしよどうしよ」「なにがよー?」
「ひろ子ちゃんと、目、合うかもしれへんやん!」
「あらまぁ、、、」
これは母の愛である。

会場は京都会館。
彼女は微笑みながら、あの特徴ある伸びやかな声で、名曲『Woman〜Wの悲劇より〜』を歌い始めた。僕は拳を握り締めた。胸を打つメロディ。カセットテープで繰り返し聴いた曲を本人が目の前で唄っている。僕は激しく感動した。

僕は薬師丸ひろ子に恋をした。永遠の恋である。いわば『ぞっこん首ったけ』。僕は思春期を迎え、いつしか、薬師丸ひろ子のような女性と結ばれたい、と願うようになっていた。

あれから十数年が経った。僕は結局これまで誰ともお付き合いできなかった。時間は恋愛以外のためだけに費やされ過ぎていった。薬師丸ひろ子のような女性は探しても探しても見つからない。憧れの女性、薬師丸ひろ子はあまりにも特殊な、あまりにも珍しい、あまりにも誰でもない魅力の持ち主なのである。


とはいえ何度かは、もしかしてこのひとは!と思うこともあった。
あれ、このはにかみ方はひろ子ちゃんに近いかも!ああ、違うな、作り物だ。
あら、このひと、この高い声はひろ子ちゃんぽい!ああ、違う。気品がない。
おお、この首の傾げ方は!なんだ寝違えか。
『チャンリンシャン』って言ってみてもらえますか?と不躾に問いかけたこともあった。しかし安っぽいモノマネを聞いても仕方ないのだ。徒労であった。
薬師丸ひろ子というミューズはあまりにも、あまりにも特殊なのだ。

そんなある日のことだった。学生時代の知人から電話。「おい、祐介。こんど合コンするんだけど、よかったら来ないか?どうせ相変わらず探してんだろ。もしかしたらお前のお目当ての子がいるかもしれないぜ」との由。僕は当たるわけないと思いながら宝くじを買うような気分で「いくよ」と返事した。

合コンが始まった。恋愛経験のなさからか気後れして、いまいち輪に入れない僕がいた。しばらく過ぎたあたり、遅れてきた女性が僕の向かいの席に座った。顔を見る。やはりといおうか薬師丸ひろ子にはまったく似ていない。が、少し濃い面立ちで優しそうである。僕は彼女に好感を持った。勇気を出して話しかけてみた。
「はじめまして。僕、祐介と言います」
「はじめまして。私、ひろ子と言います」
ぴくっとこめかみに力が入った。
「ひろ子、さん、ですか」
「はい。ひらがなの『ひろ』に漢字の『子』でひろ子です」
うおー!きたー!ひろ子ー!と僕の心は叫んだ。
「そ、そうなんですね。ちなみに、苗字は、、、」
「吉沢、です」
はっと思った。そりゃそうだ。薬師丸なんて苗字があるはざないよ。甘い見通しだった。宝くじは当たらないから宝くじなんだ。急速に緊張した心のこわばりが解けていく。小学三年生の僕が白旗を振る。
「そうですか。よいお名前ですね」
「祐介さんは東京出身なんですか?」
「いいえ、京都出身なんですよ」
「わぁ、いいですね。私なんてとんでもなく遠くてへんぴなところから上京したので、京都とかすごく羨ましいです」
「ほー。遠くてへんぴ。どちらか伺ってもよろしいですか?」
「あのー、私、屋久島、出身なんですよ」
「へー、屋久島」

へー、屋久島、、、
屋久島?
屋久島、の、、ひろ子、、、
屋久島のひろ子?
薬師丸ひろ子。
ヤクシマルヒロコ?
屋久島のひろ子。
ヤクシマノヒロコ!

そして後日、僕は屋久島のひろ子に愛の告白をした。屋久島のひろ子も僕を好ましく思っていたようで喜んで受け入れてくれた。僕は屋久島のひろ子と熱烈に恋愛をした。そして、しあわせな結婚をすることができた。いまでは薬師丸ひろ子より断然、屋久島のひろ子ちゃんに『ぞっこん首ったけ』である。


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