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太陽の塔の胎内で

高校生だった今から20年以上前の一時期、岡本太郎の著書を片端から読んでいました。(お亡くなりになったニュースでその存在を知ったのだったかも)

で、確かその頃にできたばかりだった東京の岡本太郎記念館へ足を運んで、うーん、本は面白いけど、作品はよくわからないかも、と思ったところまでの記憶が微かにあり、その後幾度も行われたらしい回顧展には一度も行ったことがない…と思います。

で。そこから20年くらいが経った2018年にたまたま、大阪のあべのハルカスで開催されていた「太陽の塔」展を観たんです。万博の際の地下展示を実物大で再現したジオラマが見られたり、太陽の塔の内観模型があったり、新鮮に圧倒される内容でした。20年越しに不思議と興味が湧いたんですよね。

気持ちが離れていた間に生活が各種の空間デザインと身近なものになり、セットデザインや模型の見方には慣れたのかな、と感慨深く思ったりもしました。

で、今日。これもたまたま京都→大阪ルートで用事があったので、その中間にある万博記念公園に立ち寄り、初めて太陽の塔の内部観覧へ行ってきました。

入口を入ってまず目にするのは、地上から見上げる生命の樹の美しい色彩と照明のスペクタクル。それ以上にその場で体感したものは、表裏ともに緻密なリサーチと理論のもとに、どこにも無駄のない完璧なデザインによって設計された、太陽の塔という壮大なコンセプチュアルアートでした。

生命の樹は、その周囲をらせん状に巡らされた階段と通路を、三葉虫から魚類、巨大な爬虫類、マンモスの時代へと進みながら観覧します。巨大生物の体積に慣れた目に急な落差で映る猿や人間の頼りなさ。美しい空間設計を地上と中間、上空からの視点で眺めることができます。

大屋根の裏側は、万博当時は出口であった太陽の塔の右腕、左腕の根元。腕の内部は鉄骨が渦巻くように組み上げられた階段で、その前には

「この先の未来へ」

とのキャプションが掲示されていました。



これが50年前の日本で、公的資金を投じた国家事業として建設されたことを思うと、万感胸に迫るものがありますね。
そして先の2020東京オリンピック、コロナ渦中からの出口のない閉塞感、2025年に予定されている大阪万博、熱量を掻き立てようとするTVの中だけの虚しい狂騒、国と政治への鬱屈、諦め、微かな期待。同時に思うことも色々ありました。

生まれ生きている土地が、これほどまでに多くの芸術的な才能と、それを歓迎できる繊細で実直な国民性を擁している。過去には官民一体となって、短い準備期間でこれを実現したはずの母国。

私が立っている今ここが50年後の未来です。
日本も国体として歳をとり、少子化と長引く経済不況から、更なる発展への希望の光が急速に失われていくのを呆然と眺めるばかり。月日は飛ぶように流れていきます。

どうにかして未来に希望を持ちたい。日本と日本人に、力は残っているんでしょうか。


今日私は、1970年の大阪万博期間と2018年の再公開からの年月、ここで様々な種類の感動に震えたであろう無数の人の足跡の上を歩いてきました。

それは個人の好き嫌い、感性によらない圧倒的な芸術の価値を、会ったことも言葉を交わすこともない多くの人々と共有したひとときでした。

太陽の塔の体内はその全体が隅々まで、人の仮面を被って溢れ出しそうに過剰な自己を抱え、挑戦を繰り返し、多くの人に慕われ、商業的な成功を重ね、孤独に生きた岡本太郎の魂に覆われていました。

孤独感ではなく孤独を貫いて生きるべきと示した、10代の私を救った彼は最初からここにいて、私が生まれた土地で、私が生まれるずっと前から、その言葉を体現していたことを知りました。
それで私は、この経験をいつか自身の子供たちと共有したいという思いつきのために、今は誰にも読まれることのない文章を書いています。

理解はできない。好きも嫌いもない。
違和感も感性の違いもねじ伏せ、人をそこに向かわせ、繋ぎ止める希望であると同時に絶望でもある何か。
それは私にとっての肉親、そして日本という国そのものと、どこか似ている気がしました。

(2022.11.5.の日記)

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