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リカバリーカレッジ

"リカバリーカレッジ "
存在を知ってから4年経って、今日、ZOOMで参加ができた。
4年前は実際にその場に行かないと参加ができなくて、他県だったので色々な面で都合がつかずにその時は諦めたのだけれど。

兄にとって、何かヒントになる事が見つかるかもしれない。

そんな氣持ちがあった。

昨年から少しづつZOOMでの講座開催が増えてきて、この冬のカリキュラムは半数以上がZOOMになっていた。

参加しよう

そう思って、すぐに連絡をして参加費を振り込んだ。(参加費は良心的だとおもう。)


兄のことは、いつもいつも氣にはしているのに、直接的には手を出さないようにしていた。
父を傷つけるんじゃないかとそう思っていた。
父を追い詰めることになれば、家族の形がこわれてしまうんじゃないかと怖かった。
父の繊細さは守らなきゃいけないと思っていた。

でも、もういいだろうと思った。
もうすでに、家族の形は 小さかったわたしが守ろうとしていたものから変化をしているし、
もっと、広く深く、許されていいと思えた。

どんな事が行われているのか、まずはわたしが体験してみたい。

父に連絡をして、リカバリーカレッジ のことを説明した。
父は、
「またどうだったか教えてくれるか。色々ありがとうな。」
と言ってくれた。


これからまだ何十年も兄ちゃんは生きていく。
わたしは、お互いに生きていく事をしたいと思っている。
兄には苦しんでもがいていた長い時間があり、その間に得ることが出来なかったものや価値観がたくさんある。

当事者が、学ぶことと分かち合うことによって、生きていく上での杖を手に入れられるんじゃないか
…と、確信はないけどずっとそんな事を思っていた。


"自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと"

数年前、熊谷晋一郎さんのこの言葉を知ったときに、湧き上がるものがあった。
熊谷さんが仰る "依存" の言葉の意味を噛み締めた。

やっと、わたしが自分自身の居場所に、ちゃんと足をつけていられるようになったと感じている。
子どもたちはとても逞しくなってくれたし、わたしの多少のグラグラに対処する方法も、もう感覚的に身につけてくれている。
(ありがとうしかない。それと、反面教師をたくさんしてきてごめん。)

兄の事がある中で、わたしが30年間じっと目を凝らして、ただただ言葉にはせずに胸の中に仕舞い込んでいたものが、いま色んなことに繋がってきている。
わたしがそういう年齢になったからかな。

今日の講座は、さまざまな立場の人が8人集まっていた。
想像以上に居心地がよかった。
過不足なく、話したいことを話せた。
何度も大きな波に洗われるような経験を経て、諦めを含みながらもそれでも前へ進もうとされている当事者の方の話は、まるで兄の口から溢れる言葉のようで、痛いほどに伝わってきた。

わたしが向き合いたかった、考えたかった、そして、分かち合いたかったことを、静かに落ち着いて口に出せるようになった。
やっと、そんな時が来たんだな。

これで何かが良くなるとか、一氣に変わるとか、求めているのはそうじゃなくて。
もっとわたしの視野が広がること、選択肢が増えていくこと。

望むことは何なのか。
まだぼんやりしているその部分が、これからだんだん見えてくるのかもしれない。
そんな期待をしてしまうのも…いいんじゃないかな。

そんな自分もまるごと許したいと思う。


*写真は、先日の休校中に娘と作ったクッキー。
(このあと焼いたら表情が薄〜くなりました😂)
義母からカルピスバターを頂いたので、クッキーにしておすそ分けしたら、とても喜んでくれました。
後日、義母から娘へ クッキーを褒める句が2つ届きました^^

読んでくださり、ありがとうございました。

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