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ぼたもちと、般若心経と。

最近、やっと分かってきたのですが。。

わたしが無性にnoteに書き残したくなる時というのは、モヤモヤとしている時、自分の苦手が浮き彫りになった時、あきらかに失敗した時、、この辺りが多いみたいです。

(兄の病的なことについての描写があります。
あまり氣分のよいものではないかもしれません。)


土曜日の夕方、姉からの電話がありました。

内容は、
兄がひとり暮らしをしたがっている、それも今すぐにと言っている、と。
もう、今のB型作業所から、A型に行けるようにとか、しんどさがそれどころではないから、家を出て生活保護を受給しながらひとりで暮らしたい、と。

父がよかれと思って、食事を作ったり洗濯をしたりすること(母の認知機能の低下の為。)。
その、父が家の中で活発に動くことや、兄に対して働きかけをすることが、逆に兄の幻聴を酷くさせるようで。

もう耐えられないんだと。

苦しくなって自傷行為に繋がっているという話も聞きました。
(以前、自分で顔を殴りすぎて両目とも網膜剥離になり、結果、手術を数回受けました。
その手術が猛烈に痛かったらしく、目を殴ることだけは自制しているようす。。)

内容的にはもう何も目新しい事では無いので。
感じないように冷静に、こちらを閉じたままで聞く事をすれば、わたしは実家との物理的な距離もありますし、そこまでダメージを感じることもないのかもしれません。

なのにいつまで経っても、やっぱり適切な距離感を保てない。
やり方を変えられない、わたしの頑固なところだなぁと思います。
それでいて結局は、イタイやらクルシイやら…そんな思考になるのだから、やっぱり改善しないとなぁ と、頭では思っています💦

わたしが沈んで、毎回、1番迷惑かかるのは夫や子どもたちです。

その日の夜は久しぶりにリビングで涙がでました。
何やってんだかなぁ。。


少し前に、実家のある市内に最近出来た就労移行支援の事業所をネットで知りました。
何か役に立つ時があるかも。。
と思って、わが家と姉宛にパンフレットを取り寄せていました。

いつも、兄のこれからを考える時に浮かぶのは、

・B型就労とA型就労との多面的な大きな差。
賃金的な差を始めとして、ステップの開きが大きいと感じます。
(兄は以前A型で6年ほど勤めましたが、体調変化での欠勤が月に3日以上の状態が続き、契約が打ち切りになりました。その後、B型に通うようになり、今1年半ほどです。)

B型で就労しながら、A型での就労(市の最低賃金の時給は保証されています)や企業での障がい者枠就労をめざしてやる氣を維持すること。 
それを難しく感じるのは、兄のパターンだけではないだろうなと思います。

箱折や掃除など、1時間で数十円ほどの報酬でB型での作業を続けること。その難しさ。

B型で取り組んでいることは賃金の部分ではなく、就労をする為の体のリズムを整えること、周りの人たちとのコミュニケーションを取る場であるということ。
そういう役割が大きいのだろうと思っています。

でも、兄を見ていて、自身の波にのまれながらそれを続けていくことの難しさを感じます。


・金銭感覚の欠如
生きていく上でとても大事で、最低限の知識と感覚は持ち合わせていないと、この先両親を失ってから、兄の人間らしい生活はとても難しいと思います。

10代から発症をして、服薬をするようになり、感情や感覚の起伏に振り回されながら生きてきた兄の数十年。
20代、30代の間は、周りから"怠けている、甘えだ"と見られることに強い反発を示していました。

"体が元のようになれば、どれだけでも勉強できるし、働く氣もある。思うように頭と体を動かせている奴らが俺のことを理解できるわけがない。
それなのに、人に"甘えだ"なんて言ってくるのが許せない。"

兄は怒りを原動力にするかのように、少し体が楽になった という感覚になるとすぐに、家族に相談をするでもなく衝動的に働き出しました。

"夜間の交通整理、ビル会社の清掃、クリーニング店、宅配便、テレアポ、、(2ヶ月程友人の家に入り浸っていた時にはホストの仕事をしていました。)"

母を宗教に勧誘した人から声がかかり、兄はその家族で経営している会社で働いたこともありました。

母はとても有り難がっていたけれど、その時に、障がい者の証明になるものの提出をしつこく言われていた事で、その頃高校生だったわたしには、人助けのように見せているだけで会社にはいくらか助成金が入るだろうし、その人達は自分の懐は痛まないようにどうせ計算しているんだろう、、などと曲がって見えていました。

兄は根が真面目で、人のためになりたいと思う性格なので、目の前の事には自分なりに懸命に取り組もうとしますが、色んな面でバランスを取ることが困難なのだと思います。
壁を越えられずに、体のしんどさに引きずられるようにフェイドアウトしていってしまいます。

兄はお金を衝動的に扱ってきました。
働きたい、"怠けてるなんて言わせたくない"という氣持ちが大きい反面、崩れてしまうとひどい浪費を繰り返しました。
でも、わたしも姉もそれぞれに家庭を持ち、今後何か兄が大きな失敗をした時には、これ以上の支えはできない。
姉とはそういう話をしています。
その前に、兄自身が自分が生きていけるように、その歩みの杖になる物を手にできれば…とわたしは考えています。

兄には、生まれ持っての、人としての優しさはあります。
それが吉と出る時も、大凶となって出る時もありますが、兄は人から好かれやすいです。

今回パンフレットを取り寄せた、就労支援の事業所では、職業訓練の要素が多く含まれています。
手先が器用だったり、基本的に優しさのある兄に、まだ残されている可能性の部分。
それを表に出せる、そんな機会があればいいのに…と思ってしまいます。
ここでなくても全然構わないから、何か、どこか、あればいいのに。出会えたらいいのに。と思います。

そして、リカバリーカレッジの取り組み。
"学ぶ"という事を中心に据えた上での、当事者の方同士での関わり。そして、研究者や支援者が混ざっている事での広がり。
対等な、お互いを尊重し合えるつながり。
そこでは、たくさんの学びや新しい視点が存在しているように、わたしは感じています。

お金のこと、被害者意識について、友だちとの関わり、ピアサポーターについて、偏見・思い込みについて。
恋愛や結婚観、セックスについて、
という少し触れることにためらいを持ちそうなテーマを取り上げておられるカレッジもありました。

なにか、生かせないかなぁ。。

でも、わたしはただ、新しそうなことに目を向けて、何か実家の力になっている様な感覚を得たいだけなのかなと、そんな事を感じたりもして。
ぐるぐる。
やっぱり定まりません。


翌日、義母と子どもたちと一緒にお墓の掃除とお参りに行きました。
義父と夫は、先日の地震の影響で仕事です。

急遽、日曜出勤になったので、義母は出勤される社員さんの分も、ぼた餅とお弁当を、早朝から用意されていました。

わが家にも作ってくれていたお弁当のおかずは煮物が中心で、旬のカリフラワーなど、お腹に優しいものばかりでした。

車で40分ほどの距離にあるお墓は敷地がゆったりとしているので掃除もやりがいがあります。
自然と、子どもたちが掃く、わたしが拭く、お義母さんはお花の準備、の役割になり進めます。

最近、学校で学年末の掃除に精を出していた事で体が馴染んでいることもあってか、子どもたちの働きがとてもすばらしくて、細部まで綺麗になり、お義母さんがとても喜んでいました。
黙々と、手早く作業する子どもたちの様子に、わたしもすごいなと感じました。

掃除が終わり、お参りをする時。
普段はお義父さんとお義母さんが声を合わせて般若心経を唱えます。
この日は、お義母さんだけで唱え始めましたが、
いつもになく唱え始めてすぐに

「あれ?飛んでしもうた…」

と、お経がストップしました。
お義母さんはよく写経をしているくらいで、いつもなら何でもないことなのですが。

「…観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時」

娘が唱え始めて、ふふっと笑ったお義母さんもすぐに一緒に唱えだします。
そこにちょこちょこ息子が声を重ねて、1番自信なさげにもごもご言っているのがわたし。

唱え終えて、娘はおばあちゃんから頭を撫でてもらっていました。

子どもたちで蝋燭を消してから、息子はササッと熊手や竹ぼうきなど大きな物を腕いっぱいに抱えて車に戻り、入れ方を考えながら積み込んでいました。

娘は空になったポリタンクやバケツを持って。
おばあちゃんのバッグも持とうとしたところで、

「それくらいは私が持つからいいよ。ありがとう。」

とおばあちゃんから声がかかったので、
うん、とうなづいて進み出しました。

チラッと、優しい表情をしたお義母さんがわたしの視界に入りました。

積み込み担当をしている息子には、

「アキ、あんたいい男になるよ〜。」

と。おばあちゃんのひと声。
息子もなんだかホクホクした顔をしていました。


ひとつひとつにつまずくわたしがいるけれど、1人相撲して倒れそうになった時には、違う方面からシュッっと何かがやってきて、それに支えられたりします。
今回も、なんだかそんな感覚でした。

そして、家に帰ってから、ZOOMで1コマだけリカバリーカレッジ に参加できました。
やりたい事がやれて、少し氣持ちがすっきり。

そのあと…
昨日、姉からまた連絡があって、
ケースワーカーさんと兄と姉で話をしたよということでした。
とりあえずは家庭内別居のような形で、父と接触せずに過ごすことにすると。
その部分は姉からの話で父も了承したようでした。

何か理想を掲げたところで、そのようになるわけではないし、ましてや、自分以外の人をコントロールなんてできない。
空しくて、自分がやっていることは見当違いじゃないかと思ったりします。

でも、同じような理想を持っている人との関わりは心を支えてくれます。
それをリカバリーカレッジに参加して、じんわりと感じます。

もしかしたら、兄はリカバリーカレッジとはこれからも直接の関わりはないかもしれません。
でも、わたしの学びとして関わっていくことは、小さくても何かになるんじゃないかなと思います。
それで、いいんだろうなと、そんな風に今は思います。

つらつらと長い文になりました。
読んでいただき、ありがとうございました。


*ryoko yunokiさんのお写真をお借りしました。
菜の花が瑞々しくて綺麗です。
眩しいような春の色、だいすきです。
素敵なお写真、ありがとうございました。

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