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うん。ずっとすきだ。

今までに何度も感じているけれど、
noteって不思議だ。
"あたまの中のふんわりに言葉を当てはめて、縁取りをする"
って事に、一種の魔法みたいなものが作用するのかな。
意識的とか無意識的とか、よく聞くような。
なんかそういうのもあるのかな。

わたしはもともとが偏屈な頑固ものなので。
そもそも言葉にするってことがいつからかずっとすきじゃなかった。

どんな言葉をあてはめようとしても、自分の氣持ちにしっくりとくる感覚にならなかったし(語彙力の乏しさもあるだろうけど。)、氣持ちを言葉にして、体の外にだして、誰かに届ける…

形のないそれは、わたしにとってすごく大事なものだったのに、全くちがうかたちに受け取られたり、意図せず嘲笑を買うこともあったと思う。

もうはっきりとは思い出せないけれど…
こんな性格だからきっと、初めてそんな反応をまともに受けた時には、それなりの衝撃を感じてただろう。
たぶん、わたしの思春期のちっさなカケラだ。

いま、娘もそんな感じなのかもしれない。

娘はもともと口数が多い方ではないんだと思う。
今までの12年間、どこに住んでいた時も、やたらと楽しい友だちに恵まれてきたこともあって、
"特別おしゃべりをしない子"
という風には全く見えなかったし、実際に友だちとよく話して楽しそうにしていたと思う。

ただ、いつも周りの子たちと和やかに居られるように、それを望んでいるようには見えていた。
さりげなく、自然に、お互いが一緒に居たいからそばに居る。
楽しいことを誰かと一緒にするのを好んでいた。
女の子の友だちとも男の子の友だちとも、そんな雰囲気だった。

娘が誰かと喧嘩をする という事は、今までの12年間でほとんどなかった。
娘は徹底して、同級生たちの悪口や陰口を言うことをしなかった。

「1人1人だとみんな親切なのに、グループになると他のグループの子のことを悪く言う流れになるのが嫌だ。ノリとかみんなの意見に合わせるようになったら自分の意見を持てなくなってくるし、自分で考えて決めたいから、私はグループには入らない。でも、誰とでも普通に仲はいいよ。」

そうはっきりと言葉にし始めたのは5年生の時だったけれど、同じような事を疑問として口に出していたのは1年生の時だった。

"なっちゃんは優しいんよ、人の悪口を絶対に言わないよ。"

わたしが、娘の同級生の子たちからよく言ってもらった言葉。
学校での娘が、なりたい自分でいられているんだなと、そうあることがゆるされている環境なんだなと、聞くたびにわたしはホッとしてうれしくなった。


中学校へ入学し、娘が明らかに苦しそうにして学校に行かない日々が続き出した時。
学校の先生たちとわたしとで話し合う機会があった。

先生たちは明らかに困っている様子だったし、苛立っているようにも…
余裕の無くなっていたわたしからは、そう見えた。

「何が原因なのかよくわからないんですよね…」

「なつきさん、自分から話してくれないので…」

何人もの先生から、

"自分の氣持ちは言葉にしないとわからないよ。"

と、そんな意味合いの言葉を聞いた。

いつの間にか娘は、周りを困らせる存在になっていた。

今までの娘がどんな風だったのか何回も思い出そうとした。小学校時代、遡って幼稚園の頃。
正確に思い出そうとしたけれど、わたしが思っていた娘の姿は現実とはずれていたんだろうか…と思うと、何が本当なのか分からなくなった。


中学校に通い始めてしばらくした頃に、娘の声が小さくなって聴き取りづらくなったと感じて、

「よく聞こえないからも少し大きな声で話してよ。」

と、娘に対してわたしが言った事があった。

それは、娘が自信なさそうな振る舞いをするのがわたしにとって心地悪かったからだった。
わたしがザワザワした氣持ちになりたくなかったからだった。

その時に、娘は、

「だって…なんか、喉に詰まる感じがしてうまく声が出ないんよ。」

と言って、軽い咳払いを何度もしていた。
困った顔をしていた。

指をポキポキ鳴らす癖も、への字になった口元も。まっすぐきれいだった背中や肩が丸まって猫背になっていく様子も。
わたしが、それを見るのが嫌だった。

"背中をピンとまっすぐにして、友だちとおしゃべりして楽しそうにしていてほしい。そんな娘でいてほしい。"

わたしは執着のようにそれをいつも求めていたんだとわかった。
これまで、ずっと。

そうじゃ無くなった時にこんなにも揺れるのは、そういう事なんだなと思った。

やっぱりわたしはずっと、助けられてきたんだ。
娘の支えに甘えてきていたんだ。

きっと、親子で助け合ったり支え合ったり、甘えあうのは悪いことなんかじゃない。

そこにあるのが、あたたかさや思いやりや、優しさであるなら。お互いを尊重し合えるなら。
きっと愛なんだと思う。

わたしの場合は、あまりに同じ方を向きすぎていたし、きっと感情的に干渉しすぎていたと思う。
今までにそれがうまく作用することもあったかもしれないけれど、もうきっと、そのバランスが限界になって保てなくなっているんだろうと、形を変える時なんだろうってそんな風に思う。

こういうのを、自然に変化させていける滑らかさやしなやかさがつくづくないのがわたしだなと思って、何だか周りの人には申し訳ない。。
あーぁ。。40越しても、面倒な人のままだよ。

娘とはこの数ヶ月の間、お互いに1年分以上の涙を流しながら話をしたし、途中からは夫も加わって、わが家にしたら相当な量の話し合いをしてきたと思う。
(だいたいが、普段からあんまりお喋りじゃないのです。息子だけはよく喋るのですが…)

最初は娘本人も言葉に出来なかった、中学校への違和感。
それが娘の中で少しづつ固まって、言葉になって出てくるようになった。

色々な要因はありそうだったけれど、そのどれもがそこまで大きすぎるものでは無くて。
その事が余計に言葉になりにくかった理由の1つだったかもしれない。

その中でも、娘が1番引っかかっていたようだったのが、"みんなが使う言葉が変わった" ことと、先生たちの"言行不一致"だった。

"陽キャ、陰キャ"
"1軍、2軍、圏外"
"ナルシスト、かまってちゃん、中二病"
"男好き、ぶりっこ"

娘にしてみると…
・相手を軽んじる言葉が耳に入るのが不快。(しかも、まだ別の小学校の人の事はあまり理解も出来ていないのに。)
・自分のことを言われてるんじゃないけれど、そんな言葉を平氣で使う人(陰で言っていても、本人の前だとすごく仲良し風にしている)がたくさんいて、信頼できない。
→女の子たちの甲高い笑い声が氣持悪いと感じる。

クラスにも学年にも、娘が仲の良い子たちは何人もいて、悪口や嫌な軽口を言わない子が娘の周りに居る環境なので、、
正直なところわたしも先生たちも、

「言いたい事は分かるんだけど。
そこはもう、スルーしとくしか無いんじゃないかな。自分は同じようなこと言わないって、それを続けていくぐらいしかないと思うよ。」

くらいの反応しかできなかった。

だって、
"中学生って、そんなんだよね…。"
って周りの大人は思ってしまう。30年前のわたしの周りだって同じようなものだったもの。

小さなショックをいっぱい受けながら、反論してみたり、受け流したり、あまりに心的ダメージ大きい時には自分の意識を意図的に飛ばしてみたり…(趣味に没頭するとか、1人で瞑想モードに入るとか。。)結局、諦めて軽くすることとか。
なんかそんな試行錯誤をしながら、なんとか折り合い付けて過ごしてたもの。。

でも。
娘はスルーが出来ないんだよな。。
先生たちが、ちょっと落ち着きのない同小の男の子に対して頭ごなしに叱りつけて、それに対して周りが囃し立てること、その子がやる氣を無くして授業中に寝るようになってしまったこと。
そのような事にも納得がいかず…

"もっとその子の良いところを見てほしい"

相手を理解しようとする姿勢や雰囲気が薄い、と娘が感じる事。
結局、それが娘自身もそこで生きにくいと感じる事に繋がっているみたい。

夏休みも終わる頃。
わたしたち夫婦と、娘、先生方との話し合いをした時。
先生たちに失礼になってしまっても、もうそこは仕方がないよね、、とそこは諦めつつ…
夫がその辺りの話をしてくれた。

それから後日、先生たちの話し合いで、娘の学年や学級における指導のやり方を見直してくれる話(厳しく叱るのではなくその子自身が氣づくのをなるべく待つように、指導方針を変える)や、娘の場合は、在宅でZOOMで授業を受ける事で出席の扱いにしてもらえる事、フリースクールに行った日は出席扱いになる事が決まった。

そして、前に音声で話をしていた"同級生の男の子"は、フリースクールに週に数回づつ定期的に通うようになって、病院から出ているお薬の種類も減った。

娘とちょくちょくそこで会うと、お互いに普通に話をする様になってる。こちらからは緊張の様子も見られないくらいに前みたいに自然に。

お互いに、今は影響し合ったり、共感…よりも少し深そうな…
共鳴…ってもいえるのかな。
少し支え合いながら、歩んでいるように見える。

春にできたフリースクール、ここに縁があったこと。
まっすぐで優しく熱いスタッフの方たちに会えたこと。

なによりも。
わたしが娘を信じられなくなりそうだった時に、
会ったばかりの娘を、真っ直ぐに見つめて、信じてもらえたこと、それを言葉にしてもらえたことは、とてもとてもわたしにとって大きかった。

まだ迷いながらの歩みの途中だけど、あんなに苦手だった"言葉"が、誰かとの"対話"が、いつの間にかグッと近くにあるような氣がしている。

言葉に出せば、
すんなりとはいかなくても、感情に振り回される時を経た後かもしれないけれど…
どこかに届いて、何かに繋がっていく。
諦めずに、感じて、言葉にすること。

今は、なんだかそんな事を知る途中なのかもしれないな。

gazebo_jpnさんのイラストをお借りしました。
ありがとうございました😊

先週の満月の日🌕…
息子のサッカーの送り迎えでばたばたしていた私。
家に帰ると、娘が白玉団子作ってお月見の準備をしてくれていました🎑
娘、氣が利く、良い奴なんです😂👍

良い奴が作った白玉団子。きな粉と黒みつ。

長い文章を読んでくださりありがとうございました🌕✨

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