パブコメ送りました:湖南市の教育振興基本計画(案)に対して

第2期湖南市教育振興基本計画(案)のパブリックコメント募集に対して意見を送りました。

この案自体は次のファイルです。

私が送った意見は次のような感じです。一部は省略しております。

■明示的コミュニケーション
 施策1-3で、多文化共生の重要性が記されています。また、施策3-1では対話・議論の価値が、施策3-2では多様性尊重の価値が、説かれていると理解されます。
 これらについて、私は「明示的な言語コミュニケーションを促進すること」を計画に盛り込むことを提案します。
 自分と異なる文化に属する人が「何を苦痛に感じるか」について、事前に予想できる人間はそう多くありません。ここで、仮に自分も相手も「日本出身の日本国籍の日本語話者」であっても、異なる文化に属している可能性があることに注意が必要です。
 事前に、「こういう人にはこう接した方がよい、こう接しない方がよい」というパターンを習得するのには限界があります。ですので、明示的に言語的に、「こうしてもよいですか?嫌ではないですか?」と尋ね、また、明示的に「自分はこれができないです」と伝える、という相互コミュニケーションを促進することが、多文化共生と、「道徳」における対話・議論において極めて重要です。例えば、「豚肉料理をつくりましたが、召し上がりますか?」と尋ねたり、「自分は宗教上の理由で豚肉を食べられないです」と伝えたりできることが大切です。
 明示的な言語コミュニケーションを促すということは、「場の空気を読め」「言わなくてもわかれ」「そういうもんだから、つべこべ言わずにやれ」といった言動を慎むことです。あるいは、「儒教的」な暗黙の「礼」を重視しない文化を、尊重するということです。明示的な言語コミュニケーションの重要性を大人にも子どもにも伝えていっていただきたいと思います。
■主権者教育
 施策1-4で主権者教育に触れ、「租税や財政の学習、法律の学習」といった内容が挙げられています。
私はこれに加えて、「従属的でない個人を育成すること」を盛り込むことを提案します。
 主権者とは、ルールを変更するかどうかを含めた判断を迫られるものです。既存のルールに縛られた考え方しかできない人間は主権者として不完全です。人の言うことを聞きさえすればよいのではなく自分で判断することが人間には必要になるのであり、その能力を形成していくことが必要です。
他方で、私の経験からも、現在の子どもたちを観察した結果からも、湖南市においては既成の秩序に子どもたちを「従わせる」という考え方が強固であると理解されます。このままで子どもの主体的判断能力が養われるはずがありません。
 そこで、「従属的でない主体的判断のできる個人を育成する」ことを明確に課題として意識していただけるとよいと考えます。具体的な内容の例として以下を挙げます。
・スウェーデンの教育実践を参考にして類似の取り組みをする。
(例えば、川崎一彦ほか『みんなの教育 スウェーデンの「人を育てる」国家戦略』ミツイパブリッシング 2018年のpp.154-173参照)
・ルールの相対性とルールの変更可能性についての教育を推進する。
(例えば、児玉聡『功利主義入門』筑摩書房 2012年のpp.8-10あたり参照)
■自尊感情
 施策2-1では、自尊感情の向上について触れられており、また、「何とかしようとする態度」が十分ではない旨の指摘があります。施策3-1では、「自分にはよいところがありますか」という質問に肯定的な回答が少ないことが指摘されています。
 これらについて私は、「教育の場で、児童生徒が理由なく他者に否定されないようにし、また、児童生徒の試行錯誤が許容されるようにする」ということを盛り込み、同時に、「児童生徒が、理由なく他者を否定せず、また、他者の試行錯誤を許容するようにする」ということをも計画に盛り込むことを提案します。
 児童生徒が、自分に理解できない理由で他者から否定されると、自分は否定された存在であるという印象を強くしていきます。そうではなく、理由が理解できるならば、それは児童生徒自身が改善していける可能性が出てきます。例えば、「場の空気を読め」「言わなくてもわかれ」「そういうもんだから、つべこべ言わずにやれ」といった言動を児童生徒が受けると、自身が否定されているということは感じられるものの、その理由がわからないので、漠然とした自信喪失のみがもたらされます。
 そうではなく、「なぜ今これをやらないといけないの?」という児童生徒の疑問が、誠実に取り扱われるべきです。それに対して十分に説明できる者のみが、児童生徒の指導にあたるべきです。
 試行錯誤をしようとする態度を身につけていると、「何とかしようとする態度」を発揮しやすくなります。実際、乳幼児は基本的には試行錯誤によって言語や社会性を獲得していると考えられます。失敗が許容されていることこそが、成長の原動力になります。児童生徒が、例えば「不正解」を答えてしまった際に、「答えようとしたことはすごくよい!」と褒められることなしに、「お前はダメなやつだ」という意味のことを言われた場合、そもそも答えようとしなくなるでしょう。つまり、試行錯誤をやめてしまい、「何とかしよう」ともしなくなるでしょう。別言すれば、正解・不正解という「結果」ではなく、考えて答えようとしたという「プロセス・努力」を評価対象にした方がよいでしょう。
(以上について例えば、増田梨花編著『絵本とともに学ぶ発達と教育の心理学』晃洋書房 2018年の第2章や、中室牧子『「学力」の経済学』ディスカバー・トゥエンティワン 2015年の第2章などを参照)
■高校生の学習スペース
 施策8-1は生涯学習の文脈で学習の場を確保することを述べています。また、施策2-3では家庭学習が困難な児童生徒への支援が記されています。
 これらについて、私は「高校生・大学生等を地域で支援する」こと、とりわけ、高校生等を含めた「学ぶ人」に対する「学習スペースの確保の推進」を明記することを提案します。
 まず、おそらくは湖南市立の高等学校等がないために、この計画には高校生等への支援は特段記されていません。しかし市民の中には高校生等も存在し、彼らが市の支援の対象にならないと考えるべき理由がありません。あまつさえ、湖南市は例えば「JK課」という取り組みで高校生を「活用」しております。教育面での支援もするとよいと考えます。
 次に、湖南市において高校生等は勉学のスペースがなくて困っていると思われます。平和堂甲西中央店の休憩スペースで(本来勉強場所ではないのに)勉強する学生や、…(略)…で(高額の対価を払って)勉強している学生が多く存在しています。市立図書館では持ち込み勉強が禁止されていることも関連しております。
 家庭で学習すればよいという意見もあるかと思いますが、家庭にもそれぞれの事情があります。また、大人でも自宅で学習するということが困難な場合があることは理解されると思います。
 近い将来に市役所が建て替えられると聞いております。この機会に、高校生等も含めた「学ぶ人」のための学習スペースが得られるような方策を推進すべきかと思います。この際、不要な混雑を避けるために、そうした学習スペースでは、例えばスマホでのゲーム等を禁止するなどの制約を課すとよいかもしれません。
■主体的な学び
 施策1-1に主体的な学びについて記述があります。
 これについて私は、「どのような主体的な疑問も尊重される」という前提を明記することを提案します。
 児童生徒にとって、自発的に思い浮かぶ身近な疑問であるものの、従来はなかなか回答が得られないというものがあると思われます。例えば、「どうして学校の先生はエラそうにしているのか」「学校の校則をなぜ守るべきなのか」といった疑問です。こうした、まさに「主体的」な疑問を抱いた方がいる場合に、教育者が、その疑問を尊重し、丁寧に説明していくことが重要かと思います。なぜなら、そうでなければ児童生徒が、主体的な疑問を発することは否定されると考えるようになるからです。主体的な疑問がないのに主体的に学ぶということは極めて困難です。
 また、どのような主体的な疑問も尊重するということを、教育者が児童生徒等に積極的に伝えていくことも肝要かと思います。
■注の付け方
(略)
■教育部局で抱え込まない
 施策5-2に、児童生徒の相談体制について記述があります。
 これについて、私は教育部局以外での相談の受付を推進した方がよいと考えます。
 例えば「いじめ」の認知件数は、学校関係者の「ムード」次第で増減するようです。すなわち、「こんなにいじめが少ないのはおかしい」と文科省に言われると増えます。そうでない場合、学校関係者の間には、「いじめ」の存在は「不祥事」があるということになってしまうのではないか、という危惧があると思われます。
 そこで、教育部局以外(教育委員会の支配下にいない者)で相談を受けつける体制が、現実的に「いじめ」などのトラブルを早期に解決するために重要です。「縦割りの弊害」で児童生徒を苦しめることのないようにしなければならないと考えます。
■個性の尊重
 計画案全体として、個々の児童生徒に応じた対応が重要であることは意識されているかと思いますが、以下のような点に注意していただくことをお願いしたいです。
 例えば、p.21に次のような記述があります。
 「自尊感情の向上のために『地域の行事への積極的な参加』を呼びかけ、地域とともに子どもを育てる取組を進めていきます」
 私は、これが推進されてしまうと、地域の行事への参加で苦痛を感じる児童生徒が、「自分は行事への参加で自尊感情を上げられない、おかしな人間なんだ」と感じそうだと考えます。
 公共政策において、個々人の事情をすべて考慮することは困難であるかとは思いますが、政策担当者の方々におかれましては、「○○すれば、誰でもみんな△△になるはず」というような思い込み・偏見をまず捨てていただくよう、お願いしたいです。
■外国出身者の成人への教育
 施策8-1で、生涯学習の機会が確保されるべきことが記されています。
 これについて私は「外国出身の方への学びの機会の提供に注力する」という記述を加えることを提案します。
 外国出身で湖南市に住んでいる方々も多くおられます。当然、出身国は多様で、各国の事情により、例えば教育水準にもばらつきがあります。これは、外国出身者が日本での社会生活を送る上で、言語や文化以外の側面でも、不利益が生じうることを意味しています。例えば、資格試験を受けようとしても、試験勉強の前提となるような知識・考え方が、他国の教育の中では身についていないという可能性があります。
 そこで、外国出身者が、「学び直す」ということができることを保障することが社会的に意義を有すると考えます。これは、人間の成長という根源的な価値を推進するものでもあり、また、副次的に、人的資源の有効活用にもつながるものです。
■法令による人権侵害
 施策3-2と施策8-5で、人権教育・人権啓発について記述されています。
 これについて、私は「現行の法令・ルールが人権を侵害している可能性を不断に考慮する」ことを、明示することを提案します。
 2019年に、旧優生保護法に基づいて強制不妊手術を受けさせられた被害者を救済する法律が成立しました。これは、過去において法令にのっとって行なわれた強制不妊手術が人権侵害であったことを反映しています。
 同様に、現行の法令やルールが人権侵害になっていないということは担保されません。この点を不断に検討していくことが、公共セクターに当然求められると思いますが、児童生徒や市民においても、人権侵害の疑いのある法令・ルールを指摘できる素養を身につけられるようにするとよいかと思います。
■人権侵害の実例
 施策3-2と施策8-5で、人権教育・人権啓発について記述されています。
 これについて、私は「身近な実例をもとにする」ことを明示することを提案します。
 2018年9月に…(略)…の構成員は私の眼前で人権侵害に当たる言動をとりました。これは人権について学ぶ際の生きた実例になります。同様に、人権問題について、語りたい方々はたくさんおられると思います。こうした身近な実例から学べることは多くあるので、湖南市が人権問題に後ろ向きでないのであれば、それを生かしていただけるはずだと思います。

さてさて、どうなりますやら。。。


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