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きっと私も通る道

昨年12月に父が他界してから約半年。
私は再び実家に来ている。

先月母が入院したと知らされ、思ったより早く実家に来ることになったのだ。

母は79歳。人生100歳と言われる近年ではまだまだ若い世代なのだけど、昨年久しぶりに会った時には認知が進んでおり、自分の言ったこと、やったことに責任が持てなくなっていた。

母曰く、亡くなった父は認知があってそれにずいぶん苦しめられ、あざが絶えなかったらしいが、それに至る過程の原因は全て母にあったことは、私も二世帯同居の弟も百も承知のことだった。父の死後、母はどれだけ自分が父の世話をして来て、それなのに私は暴力振るわれて苦しんだかを主張してきた。繰り返し何度も、執拗に話す。もうそのことが母の認知を証明していたことだった。

そうやって父の面倒を見てきたと自負する母に起こったことは父がいなくなったことによる喪失感であった。
私はここ8年くらい、病院や介護施設で働いている。
絶対高齢者に関わるもんか!と思って生きてきたけれど、何の因果か高齢者に関わっている。介護者としてはまだまだ経験値の浅い方だが、父の葬儀の時点で母がこの先どうなるかということはわかっていた。

母は特に趣味があるわけでもなく、父の世話に命を費やしていたようなところがある。とはいうものの、母は昔から家事をしない人で有名で、料理は適当だから朝ごはんは作らない、お弁当があっても時間に間に合わなかったりすることは普通にあり、私は何度か母の見えないところで泣いたりしていたし、洗濯物は畳むことを知らないからそれは子供の仕事。でも私が中学生になると部活で忙しくなり、それができないとなると洗濯物は山となり、そこからかき分けて自分の着るものを探さなくてはならなかったのだった。掃除は本当にできない人で、母の姪っ子、つまり私の年上のいとこや友人が掃除に来ていたのであった。そんな母を持つ私が家事が苦手なことは言うまでもない。

それでも母には一生懸命家族のために家を守ったという自覚があり、その苦労話を今でも延々と聞かされるのだが、そういう母であるから、年をとって私と弟が自立すると世話を焼く者がいなくなった…となるとその対象は父になってしまったのだ。
父のやることに対してあぁでもない、こうでもないと言わなくていいことまで口に出し、父の趣味としていた社交ダンスこともはじめは「趣味のない人だからよかった」と言っていたのに、たちがそれに夢中になり長くなると「パートナーといい仲になっていちゃついてる」だのと愚痴を言うようになってきていた。
父も家事をしない人ではあったが、お風呂掃除やガスコンロ周りの掃除、庭のことは若い頃からよくやっていた。それは私の夫よりも良くやっていると思う。それを母の愚痴を言うこともなく黙々とやってくれていたのだが、母にはそう見えていなかったのだった。その父の行為をいい意味づけをしてきていなかったのだ。

お互いたくさんのことを忘れる年齢になり、覚えていることより忘れることが多くなってくると、自分に都合のいいことしか見えなくなり言えなくなる。そうなるとその人の素の姿が現れるのだろうか。母はさらに攻撃的な言葉を放ち、父はそれに素手で対抗するようになった。と弟も言っている。母は「苦労したのよ」と訴えるけれど、その原因を作ったのは母自身だ。

実家に滞在中、母の受診日があり、弟夫婦と共に病院へ行った。母は2人の子どもと一緒に出かけられることが嬉しかったのか、子どものようにはしゃいでいた。そして甘えていた。
主治医からの説明を聞き、近い将来また入院が必要なことは間違いない。でもそれは完治を目指すものではなく緩和的なもの。母は治療ができないくらい血管がボロボロだと、主治医ははっきり言い切った。

肺ガンが確定的となり、次回受診の時には呼吸器も受診。そして新たにわかったことが心サルコイドーシスとのことだった。聞きなれない病名に検索をかける。

サルコイドーシス (sarcoidosis) とは、非乾酪性の類上皮細胞肉芽腫が臓器に認められる疾患である。なお、日本では厚生労働省が認定する特定疾患の1つである。

肺ガンの治療と共にこちらも治療ということなのだが、ステロイドを使うため、すぐに始められるというわけではないという。また血管ボロボロ状態でなのでリスクを伴うとも言われている。何にしても入院は免れない。母はそれに対しても何も言わない。むしろ早く入院したいと言っている。それはみんなが優しいし、かまってくれるから。おい、認知は進むんだぞ!それでなくても前回の入院で点滴は自己抜去するし病棟徘徊して迷惑かけていると聞いている。


母は自称要介護4と言っているが(私の帰省前は要介護3と言っていた)、実際は要介護1、まだまだ1人で生活していけるレベルであるが、出来ないことをアピールするのだ。

胃が痛いから食べられない。と言いながら私がいない時にキッチンに来て食べ物を新聞の部屋に持って行き食べている。襖一枚隔てた隣り合わせの部屋なので、音が丸聞こえなのである。
弟夫婦が「全然食べない」と心配していたけれど、夜中にむしゃむしゃ食べている事は一緒にいなければわからない事。二世帯同居では気づかない部分だ。

昼間も寒いと言ってはベッドに横になり、昼寝ばかりしている。家事はほとんどしていない様子。水回り、他の掃除は義妹が週に一回やってくれているし、食事も運んでくれている。洗濯はやっているけれど、義妹が声かけて見守りながら洗濯機を回す。前回帰ってきた時にも全自動洗濯機を二層式のように使っていた母。洗濯機の前に張り付いて洗いが終わったら横の洗面台にビシャビシャの洗濯物を取り出し、次の洗濯物を洗う。そしてそのまま忘れるという悪循環。先月はリハビリパンツも洗濯してしまって義妹に迷惑をかけたらしい。
今も何度か声をかけてやっと洗濯機を回し、脱水終わって声をかけに行ったらもう寝てた。朝の9時24分だ。
私が来てからはじめての洗濯。ちなみに今回3泊4日の滞在だったが、私のものはここでは洗濯していない。清潔を保てていないからと義妹に止められているしする気もない。捨ててもいい物なので捨てて行く。今母が干し始めたところだが、果たしてそれをしまうかどうかは弟に任せよう。

介護施設で働いている私はこういった方々をたくさん見てきているので、この先どうなるのかは想像がつく。
昔から依存心が強い人なので、やってもらうのを待っているのである。友達やらが来たら買い物を頼もうとしているし、私にもやたらと頼んでくるがそうはいかない。やり方教えて見守るだけです!

そろそろ出発です。

でもここ(実家)に来るといろんなことを考えさせられます。母のこれからのこと、自分のこれからのこと、娘たちのこと、仕事のこと…
一度に考えると糸が絡まったみたいになって思考停止してしまうので、拾わずに捨てていこうと思います。
そして何事にも感謝して進みます。

いろいろ言ったけど、母には感謝しています。

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