0か100

私には0か100しかない。何をするにも一発で100になりたいから、それができなさそうなものは0にしてしまうのだ。オタクに身近な例で言えばグッズを全然買わないしトレカに執着を示さない。だって一度集め始めたらデビュー当時のものから最新のものまで100揃えられないと嫌だから。だからコンサートに必要なうちわやその周辺の最低限のグッズとアルバムをちまっと買うだけ、私にとっての0に落ち着いている。ダイエットだって100にしたいがためにチートデーとか「今日は○○して時間がなかったからやらない」「今日は体調悪いから控える」のような臨機応変な対応ができなくなって、ダイエットを100にするために学校をサボりだすような社会的地獄に突っ走っていくから長期休みに全てを投げ打つ覚悟を決めた時しかできない。とにかく100じゃないと嫌、なにか新しいことに挑戦する時も最初からうまくできる人なんていないのに100を求めてしまう。今だれかが私に「うまく出来なくてもいいからこれを1分間弾いてみて」と言ってヴァイオリンを渡してきたら、私は自分が高嶋ちさ子レベルの上手さで弾けることを期待して演奏し始めて、2秒でこりゃダメだと思ってヴァイオリンをほっぽり出すだろう。残りの58秒は何もしないと思う。ヴァイオリンだけじゃない。どんなことも当然そこらの素人が急に100を出すことなんてできないのに、なぜかそれが悔しくてすぐに諦め、0にする。マリーアントワネットは「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言ったとか言ってないとか囁かれているけれど、私は「パンがないなら絶食しよう!だってパンがないんだから!パン以外はいらん!」派なのである。人に死んじゃうよ〜って説得されてやっとじゃあもう食えるもんならなんでもいいよ、虫とかでもいいし…と別のベクトルで0にして、お菓子を食べるの70とか人参を食べるの12とかに調節できない。これは社会を生きていく上で非常に厄介な性格。ワンチャン完治させてくれるかもしれないけどいつ匙を投げるかわからない綱渡りな医者よりも、とりあえず痛み止めを出してくれる近所のおじいちゃん医者に患者は集まるだろう。そういうこと。幼稚な私でもわかるがたぶん社会人には常に75を出し続ける力が求められている(もちろん理想は100だろうけど)

だから0か100人間をやめたい!と思いはするんだけど、実行するなら一発でキッパリ完璧に0か100にするのをやめたいと無意識に100を求めるから駄目なんだろう。今だってこの文章をどう完璧に100で終わらせるか考えていたけれど、なかなかいいものが思いつかないのでここで終わらせようと思う。まあ公開しているだけ成長である、だって公開した時点で5くらいの中途半端な数字にはなるだろうから。


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