見出し画像

[第021話]兎角この世は愚公移山

----------
【愚公移山】
読み:ぐこういざん
意味:根気よく努力すれば最後には成功することのたとえ。山の向こうに住んでいた愚公という人が、不便なので山を移そうと考えて崩しにかかったところ、天帝がその熱意に感動して、最後には山を他の場所に移したという故事から。オリエンタルラジオさんの「1日バス停3mmずらす、2年を費やし自宅の前に」という武勇伝ネタと似たような雰囲気を感じます。
(参考:日本漢字能力検定協会『漢検四字熟語辞典』)
----------

「努力は裏切らない」とか、「努力をすれば必ず成功する」とかよく言われます。
だけど、当然失敗することだってあります。どんなに努力しても、がんばっても、報われない時だってあります。
大相撲だって、がんばって稽古を積んで勝ち越しても上の番付の力士が同じように勝ち越していれば番付が据え置かれることだってあり、これが関取に上がれるか・・という運命の分かれ道だったりします。

努力が結実するかが運によって変わると言うのは些か理不尽です。愚公と同じように「不便だから山を移そう」と考えて山を崩していたのに、もしかしたら天帝に熱意を気付いてもらえなかった人もいるかもしれない。
だけど、これはある意味最終的には自分で受け容れないといけない部分だとも思っています。理不尽かもしれませんが自分のせいではないわけですし。

そうした「運」ではない部分の努力の成否はどこで分かれるのか。
私は、「成功の定義の違い」にあるのではないかと思います。

たとえば、漢字検定を3人が受けたとして。・・例はまあなんでもいいのですが、私が一番書きやすいたとえが漢字検定なのでこれでいきます。
3人のメンバーは以下のとおりです。合格点は160点と想定しています。

  • Aさん:漢字検定初合格を狙っています。最高点は156点。

  • Bさん:漢字検定リピーター。最高点は162点。このときに初合格しました。
    一度合格はしているので、実力維持のために今回は再挑戦します。

  • Cさん:漢字検定リピーター。何度も合格しており、最高得点は170点。
    今回は自分の自己最高点の更新を狙います。

(余談ですが、漢字検定1級となると、合格者の大半はリピーター、つまり何度も1級を受検している人なのではないかという分析をされている方もいます。逆に言えば、初合格を目指すのは並大抵の努力でも難しいということになるのですが・・)

さてこの3人。どういう偶然か、全員165点でした。
この場合、合格を目指していたAさんは、「合格できた!」と喜ぶでしょうし、もしかしたらCさんにとっては不本意な結果かもしれません。AさんとCさんは立てていた目標(成功の定義)が違うので、同じ点数でも評価が分かれる可能性があるわけです。
Bさんは前回と同じくらいの点数です。「まあ前と同じくらいだからよしとするか」と捉えるなら「成功」でしょうし、「いや、もうちょっと点数とりたかったな」と思うなら不本意な結果でしょう。

そして、本人のどうしようもない部分で言えば、問題の難易度があります。漢字検定1級や準1級などは、回によって割と問題の難易度が変動するイメージがあり、たとえば直近の漢字検定準1級でいえば、合格率が5.5%(令和3年度第2回)という回もあれば、26.6%(令和5年度第1回)という回もあります。

実際は本人の知識と問題との相性もあるでしょうから、合格率だけで問題の難易度を推し測ることはできないかもしれませんが、合格率が低い回はもしかしたら問題が例年より難化していたのではないか、とも考えられるわけです。
もし、3人が受けた回が結果的に合格率が低い回だったとすれば、Cさんも「問題が難しかったのかもしれない」と気持ちを切り替えられる可能性があります。

努力をすれば最後には成功する。これは運の要素もあれば、本人の「成功」の考え方の違いによっても変わってきます。
だからといって、自分のやりたいことがあるのに何もしない(できない事情がある場合はもちろん別ですが)のは些か勿体無い。さすがに愚公のように「この山邪魔だから少しずつ崩そう!子どもの代や孫の代までかかるかもしれないけど、根気よくやればなくなるでしょ!」という壮大な計画を立てることはなかなかないでしょうけれども、愚公も実際に行動に移したことが天帝の目に留まった(とされる)ので、実際自分の行動がまったく無駄ではなかったわけで。もし愚公の行動が天帝の目に留まらなくても、山が少しでも崩れていれば愚公の努力が全く無駄にはならなかったのではないか、とも思います。
(山の所有者は愚公だったのか?そもそも山を勝手に崩してよかったのか?という問題はここでは措いておきます)

自分がやりたいことがあれば、まずは小さな目標から始めて少しずつ大きな目標へ進んでいく。一歩踏み出してみる。難しいですし勇気も必要ですけれども、生きていくなかでとても重要なことなのではないかと思っています。
もし、目標が達成できなくても、自分がやってきたことが全くの無駄になるということはそんなにないはずです。無駄に思えたとしても、きっとどこかで自分の糧にはなっているんだろうな、と思います。
少し説教くさい記事になってしまいましたが、なかなか、自分の目標に向かって一歩を踏み出すことができない私に向けて自戒を込めて書いてみました。

そんなわけで、6月15日。
人生初の日本語検定を受けてきます。2級に挑戦します。受検を決めたきっかけは、正直「なんとなく興味を持ったから」という本当に些細なこと。
過去問を解いてみた感覚ではなんとか合格できそうか?というところではありますが、なにしろ出題傾向がなかなか掴めていないのでそれすらあやふやという状況です。2級が認定されなくても、まずはせめて準2級の認定はほしい。そう思っています。

(2024/06/02)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?