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あの名作に法的観点から突っ込む~桃太郎Vol.2

 前回は、おばあさんが流れてきた桃を家に持って帰るところまでに突っ込んでみた。今日は、その続きである。
 おばあさんが持って帰ってきた桃をさっそく食べようということになり、おじいさんとおばあさんは、包丁で桃を切ろうとする。今日はそこから話していこう。
 桃がおじいさんとおばあさんのものでなければ、占有離脱物横領罪が成立する可能性がある。これは放置自転車を乗り逃げした場合と同じ罪である。横領した物を壊したり、捨てたり、あるいは食べてしまったりした場合、どういう罪になるのだろうか?
 実は、これは罪にはならない。例えば、財布を盗んで現金だけを抜き取り、財布本体や在中物を壊したり捨てたりしても、器物損壊罪等は成立しない。これは占有(物を持っている状態)や所有権に対する侵害は、窃盗や占有離脱物横領ですでに評価しつくしており、その後、さらに物を壊したり、捨てたりしても新たに法的な利益を侵害しないという考えである。犯罪が成立した後の処罰されない行為を不可罰的事後行為(ふかばつてきじごこうい)という。おばあさんは、桃を家に持って帰ったことにより、桃の所有者の所有権を侵害しているので、その後、さらにその桃を食べてしまったり、切って形を変えてしまっても、不可罰的事後行為であるから処罰されることはない。

 物語では、桃から桃太郎が生まれてくる。包丁で桃を切るとき、不注意で中にいる桃太郎にけがをさせてしまった場合にはどういう問題が生じるであろうか?
 まず、一番最初に問題となるのは桃太郎が法律の保護の対象となるかである。現行の民法や刑法は、明治時代に制定されたもので、これが複数回の改正を経て現代まで受け継がれている。現行の民法と刑法では、「人」とは何ぞやという問題が生じる。そして、民法と刑法では「人」の概念が微妙に異なる。
 まず、刑法で「人」というためには母体から胎児の一部が露出すれば足りる。これを一部露出説という。経腟分娩であれ、帝王切開であれ、母体から胎児の一部が露出すれば刑法では「人」に該当する。胎児が母体から一部でも露出すれば、攻撃を加えることができ、被害に遭うこともありうるので、一部露出説がとられている。他方、民法では胎児が母体からろしゅつしてはじめて「人」に該当する。これを全部露出説という。民法では「人」か否かは権利を持ったり義務を負ったりするか否かの基準になるので、胎児が母体から一部露出しただけでは足りず、全部の露出が必要とされている(もっとも相続、不法行為に基づく損害賠償請求、認知については例外的に胎児のままでも相続人になったり、損害賠償請求ができたり、認知を受けることができたりする)。
 桃太郎は、桃から生まれており、母体から生まれたわけではないから、法律上、人として扱うのは実は簡単ではない。今後、医療技術の進歩により、母体から出生しない場合も発生する可能性がある。この場合、「人」として扱うことに異論はないと思われるが、いかなる段階で「人」として「出生」したことにするのかはかなり難しい問題であり、将来、国会において真剣に議論すべき問題であろう。間違っても、くだらない揚げ足取りみたいな議論ではなく、その時の与野党ともに知恵を絞って議論してほしい(そのためにはまともな議論ができる程度の知能を持ち合わせて人が国会議員になっておく必要がある。現状はどうなんだろう…)。
 小難しいことと少しばかりの皮肉を書いたが、桃太郎をどう扱うかは難しい問題があることだけ理解してもらえればOKだ。

 ここでは、難しい議論をすっ飛ばして、桃太郎が人に当たりうることを前提に話を進める。桃を切っているときに誤って桃太郎にけがをさせた場合、傷害罪ではなく、過失致傷罪の成否が問題になる。傷害罪とは故意に人に傷害を負わせた場合と故意に人に暴行を加え、その結果として傷害を負わせた場合に成立する。これに対し、過失致傷罪は、過失で傷害を負わせた場合に成立する。桃を切るとき、おじいさんとおばあさんに桃太郎に傷害を負わせる意図があったとは思えないので、問題となるのは過失致傷罪の成否であるしかし、結論からいえば成立しないだろう。というのも、仮に桃を母体ととらえた場合、桃を切っている段階では桃太郎は桃から露出していなかった。過失傷害罪は、飽くまでも、過失で人に傷害を負わせた場合に成立する。母体から露出していない段階でけがをさせても、そもそも「人」をけがさせたとみることができないので、過失致傷罪は成立しない。
 このことが実際に問題となった事例もある。多くの方は水俣病という公害病を知っているだろう。熊本県水俣市のチッソという化学肥料の会社が有機水銀を含む排水を水俣湾に排出し続け、水俣湾の魚類に有機水銀が蓄積、これを食した水俣湾付近の住人が有機水銀の影響で脳組織の一部が破壊され、死亡したり、重篤な障害を負った悲惨な出来事である。水俣病の事例では、母親が妊娠中に有機水銀を含む魚類を食べたため、胎児が重大な障害を負い、出生後に死亡するという事案が発生した。これについて、出生した子に対する過失知財の成否が問題となり、最高裁判所は、胎児は母体の一部であるから胎児に傷害を負わせた場合、母体の一部である胎児に傷害を負わせたと構成し、出生した子が死亡した場合には、「人」に病変を発生させて、「人」を死亡させたのだから、過失致死罪が成立すると判断した。ここで注意しないといけないのは、母体内にいた胎児が有機水銀で傷害を負ったとしても、それは胎児そのものに対する傷害なく、母体の一部である胎児に対する傷害と構成している点である。このように、飽くまでも胎児は母体の一部であり、母体とは独立した保護の対象とすることができないのである。

 小難しいことを書いてきたが、桃太郎が入っていたのは、母体ではなく、飽くまでも桃である。桃は人ではないから、仮に包丁で切るときに桃太郎に傷害を負わせたとしても、母体の一部である桃太郎に傷害を負わせたとみるのはさすがに無理がありすぎる。
 もう一つ、過失致傷罪が成立するには、過失がなくてはならない。過失とは注意義務違反であり、具体的には、①結果予見義務と②結果回避義務に違反した場合に過失があるとされる。結果予見義務があるというためには、結果が予見できなくてはいけないし、結果回避義務違反があるというためには結果を回避できなくてはいけない。
 では、包丁で桃を切るときに桃太郎に傷害を負わせた場合、過失はあるのだろうか?
 ここで考えてみほしい。包丁で桃を切るときに、中に桃太郎のような生命体が存在すると思うだろうか? もし、桃の中に桃太郎がいるというのがよくあることであれば、それは桃太郎のような生命体がいることは予見できたといえるであろう。しかし、やはり桃を切るときに中に人がいるかもと思えという方が無理である。そうすると、やはり桃を切るときに中に人がいることを予見しろとはいえないので、気を付けて桃を切れともいえないであろう。ということは、桃太郎が刑法上の「人」に当たることを前提にしても、仮に桃を切るときに中にいた桃太郎にけがをさせてしまったとしても、過失致傷罪は成立しないであろう。

 このように、そもそも桃の中にいた桃太郎は、法的にはまだ「人」ととはいえないし、仮に人だとしても、桃の中に人がいることを予見しろとは言えないので、やはり過失があるとはいえない。このようにいずれにせよ、桃太郎に対する過失致傷罪は成立しないであろう。

 うーん。思いのほか長くなってしまったので、今日はここまでにしようと思います。行き当たりばったりで書き始めるとこうなるので、皆さんには計画的に書くことをお勧めします。

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