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丹波亀山藩の領知目録(元禄15年)

今回紹介するのは、元禄15年(1702)9月28日付けで、江戸幕府が発給した領知目録について紹介します。浜松から丹波亀山への転封に関するものです。当時の老中の花押や黒印が記されているので、歴史に興味がある方は必見の内容です。

領知目録は江戸時代に将軍が大名や寺社などに土地の領知を認める朱印状と共に発給されるものです。国名、群村が記載されて群単位で石高の合計が記載されています。こちらは浜松城主だった青山忠重が丹波亀山への転封を命じられた際の領知目録です。

(村名は省略)
丹波国
桑田郡之内 五拾六箇村
高壱万八千六百六拾貮石六斗四枡貮合
(18,662石6斗4枡2合)

舩井郡之内 三拾八箇村
高八千四百拾五石三斗五合
(8,415石3斗5合)

多紀郡之内 五箇村
高千貮百九拾九石貮斗貮枡五合
(1,299石2斗2枡5合)

氷上郡之内 貮拾六箇村
高九千六百貮拾貮石八斗貮枡八合
(9,622石8斗2枡8合)

備中国
浅口郡之内 七箇村
高壱万貮千石
(12,000石)

都合五万石

六千七百六拾七石八斗八枡五合
是者改出新田也
右今度郡村之帳面相改及
上聞所被成下 御朱印也
依執達如件
元禄十五年九月廿八日

担当した老中の花押

稲葉丹後守正通(花押)
秋元但馬守喬知(花押)
小笠原佐渡守長重(花押)
土屋相模守政直(花押)
阿部豊後守正武(花押)

領知目録は将軍の代替わりで発給され、幕府の奉行(奏者番)が通常は行いますが、転封や加増による場合は老中が差出人となります。こちらは転封による領知目録であり、上記の署名は元禄15年当時、老中であった人たちです。

下記は奏者番が担当した際の領知目録です。興味があれば参照してください。


宛名は青山下野守殿と書かれています。こちらは青山忠重です。
浜松城主であり、この転封によって丹波亀山城主となります。後に忠重は亀山の小豆を将軍の徳川綱吉に献上して、丹波大納言小豆の名称の由来になったと云われています。


紙の継ぎ目には、担当した老中の黒印が押されている

領知目録は紙が一枚では収まらない場合は紙を継ぎ足します。その際、継ぎ目には担当者の黒印が押されます。

上から
阿部正武
土屋政直
小笠原長重
秋元喬知
稲葉正通
の黒印が押されています。

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