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二酸化炭素の再利用

 

一酸化炭素の利用

日中戦争の最中の1938年、石油の供給がひっ迫する中、石炭から石油を製造するために北海道人造石油という会社が設立された。石炭を原料に一酸化炭素と水素をつくり、それを触媒の存在下で高温高圧で反応させ、炭化水素(石油の成分)をつくる技術(フィッシャー・トロプシュ法)が1920年代にドイツで開発されていて、その技術を移入したのである。
 1942年に石油製造に成功、敗戦後にかけて1万4000キロリットルの石油を戦地に送り出していたという。
 また、化学工業原料として重要な物質であるメタノール(メチルアルコール)は一酸化炭素と水素から合成されている。鉄系の触媒を使うと炭化水素、銅系の触媒を使うとメタノールが生成する。これらの技術は「C1化学」と呼ばれ、実用化されている。

私の大学時代

 私が大学4年生となった1983年、物理化学講座に配属になり、卒業研究のテーマとして与えられたのは「二酸化炭素の水素化に有効な触媒」であった。当時は第二次オイルショックの直後で、後何十年かで石油が枯渇すると言われていた時代だったので、石油代替エネルギーの研究に多くの科研費がつき、私が配属された講座でも、石炭を直接液化して、石油製品の代替品を触媒を用いて製造することが研究の主流であった。当時は二酸化炭素の増加による地球温暖化が一般化する前だったので、私のテーマは異質であったと思う。
 最初に触媒に利用したのは白金である。白金の化合物(塩化白金酸カリウム)の水溶液に、担体と呼ぶ酸化物(酸化ジルコニウムなど)の粉末を入れてかき混ぜながら加熱し、水を蒸発させる。粉末をプレスして固め、砕いて篩にかけ、一定の大きさの粒子を集める。反応装置に入れ、まず水素気流中で還元して、白金の粒子が酸化物の上に分散された状態をつくる。今考えてみると、原始的な方法である。
 その触媒を入れた反応装置に、200~250℃位の温度で、10atm(100万Paほど)の二酸化炭素と水素の混合気体を流すと、数%がメタノールに変わっているのが確認された。
 大学4年から大学院4年間の合計5年間、いろいろな触媒を試して実験していた。生成物がメタンになる触媒がほとんどであったが、工業的にメタノールを生成するために用いられている銅系の触媒を手に入れて試してみるとメタノールが主要な生成物になることもわかった。メタノールは一酸化炭素と水素を反応させて製造されているが、触媒の還元を抑えるため、二酸化炭素を加えている。いろいろ実験を重ね、メタノールは主に二酸化炭素からできているのではないかという仮説も立てていた。
しかし博士後期課程2年目のとき、研究者としてやっていくことに自信を無くし、高校の教員採用試験を受けて合格し、教員となった。ちょうど1988年、地球温暖化が一般に知られるようになった頃である。

二酸化炭素利用について

 高校で化学を教えるようになって、時々学生時代の二酸化炭素水素化の話をすることがある。今ではほとんどの生徒が二酸化炭素を減らさなければならないことがわかっているので、特に理工系への進学を考えている生徒たちは食いついてくる。
 ネットを調べると、やはり多くの研究者が二酸化炭素の利用に取り組んでいるようだし、より低圧、低温で二酸化炭素からメタノールを合成する方法を研究している人もいるようだ。
 排出される二酸化炭素をどう集めるのかという問題もあると思うが、二酸化炭素を集めて、地中深く埋める研究も進められているようであり、二酸化炭素を集める技術も確立されつつあるようだ。
 いつの日か、排出させた二酸化炭素を回収して再利用するサイクルが出来上がってのではないかと期待が持てる。

どうやって水素をつくるのか?

 現在、水素は炭化水素(天然ガスや石油の成分)と水蒸気の反応でつくられているのが、最も多いようだ。その過程でどうしても二酸化炭素が発生する。水を電気分解して作る方法もあるが、そもそも火力発電で作った電気を使うのでは、元も子もない。再生可能エネルギーによる電力で電気分解して水素をつくるなど、カーボンニュートラルな水素が十分に供給されるようになることが、今後大きな課題になるように思う。

 

 

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