見出し画像

私が麻雀に人生を救われた話4

―前回までのお話―

幼少期編

中学時代編

高校時代編

大学に入ってすぐ、私は迷わず軽音部に入りました。ピアノは辞めてしまったけど音楽はずっと好きで、父に教わったギターとドラムをもっとやりたかったし、一人暮らしを始めて家で楽器を触る機会がなくなってしまったからです。

そしてこの大学時代で、私の人生は少しずつ麻雀に染まっていくことになります。

私が麻雀に人生を救われた話4
〜大学時代編〜

運命の出会い

軽音部に入った看護学部生は私を含めて4人で、全員希望パートがバラけていたので自然とバンドを組むことになりました。SugarRabbitsというクソダサい名前のコピーバンドだったので、詳細は割愛したいと思います。

授業の時間以外はほとんど部室に入り浸り、楽器を触ったり漫画を読んだりして過ごしていました。

部室には、なぜかクタクタになった麻雀漫画がたくさん置いてありました。1年生のある日、いつものように部室でアカギを読んでいると、OBの先輩がギター片手にふらっと現れました。

「あれ、お前麻雀できるの?」

先輩はソファでひっくり返ってアカギを読む1年生の私を訝しむことなく、そう声を掛けてきました。今思うと、この一言で私の人生は大きく変わりました
私は、「まぁルールなんとなく知ってるくらいですけど…」と、ひっくり返ったまま漫画から顔を上げて答えました。

先輩が言うには、普段よく行く麻雀店がアルバイトを募集しているから働いてみないか?とのこと。当時歯科助手のバイトを辞めたばかりだったので、二つ返事で了承し、次の日には面接を受け、次の週から働き始めました。恐るべき行動力です。

こうして私は、初めて麻雀業界に足を踏み入れました。小宮悠、18歳の秋のことです。

初陣

私がバイトを始めた時、牌効率はおろか筋の概念すら理解していませんでした。34と持っていたら2か5で完成するのはわかるけど、5が捨ててある人には2が通りやすいと説明されても意味がわからなかったのです。単に頭が悪いだけとも言えますが、加えて説明すると、恐ろしいことに当時私は他人の河を見るということをしなかったのです

しばらくして立番の仕事をだいたい覚えた頃、とうとう初陣の時を迎えました。本走です。はじめてのおつかいを見守るお父さんのように、心配そうに社員の先輩が後ろに張り付いています。

東1局、15巡目くらいのど終盤に役なし14sテンパイ。元気よく「リーチ!」と宣言して牌を横に向けて打牌し、リーチ棒を出しました。役なしはリーチ、基本に忠実です。マナーも完璧です。何も問題はありません。14sが場に8枚見えていることを除いては

こうして、私の初陣は純カラリーチ(流局するとチョンボのルール)で幕を開けました。鮮烈なデビュー戦です。他の人の河を見ないのですから仕方ありません。

振り向くと見守っていた先輩が「絶対リーチって言うと思ったわ」と苦笑いしてきたので、(いやおもてたんやったら止めてwww)と草を生やしながらも、「あといっこくらい(14sが)あると思ったんだもん」という謎の言い訳とともにチョンボの罰符を払いました。

バイタリティーの塊

麻雀店でバイトを始めた私は、すっかり麻雀というゲームに魅了されてしまいました。周りの先輩や友達に教わりながら、まず他人の河を見るようになり、ターツの優劣を覚え、符計算もできるようになりました。

数字にはめっぽう弱い私ですが、負けず嫌いで記憶力と学習能力はそこそこだったので「ある程度打てる」ようになるまでにそれほど時間はかかりませんでした。勝てるようになるとまた楽しくなって、負けたら悔しくて勉強して、そんな繰り返しでした。

多い時で月に100時間バイトに入り、毎月100〜200半荘は麻雀を打ち、単位はひとつも落とさず、バンドもそこそこに続け、軽音部では副部長になりました。正直いつ寝ていたのか自分でも不思議なほどです

挫折を知らない人生

3年生になってからは実習や勉強が忙しく、シフトの時間と打数は減っていたものの、調整しながらバイトは続けていました。そんな大学時代を過ごし、4年生の冬、いよいよ看護師と保健師の国家試験の日を迎えます

試験の日のお昼ご飯は、言うまでもなく母お手製のカツサンドでした。やはり担げる験はしっかり担ぎます。愛知県内の大学で試験を受け、終わったらその足で麻雀を打ちに行きました。相変わらずとんでもないバイタリティーです。

無事国家試験に合格し、大学卒業とともに麻雀店のアルバイトを辞めました。バイトと音楽と勉強の両立を全力で頑張った果てにようやく手にした国家資格。まだ麻雀を続けたい気持ちもありましたが、22歳になった私は看護師として大学病院に就職しました

ここまでの人生で、私は大きな挫折を知りませんでした。なにか突出した能力があるわけではないけれど、器用貧乏を存分に活かし、努力してある程度の目標は全て達成して生きてきました。(数学についてはもはや諦めていた)

この後看護師となった私に、今までの人生で経験したことのない過酷な試練が訪れることになるのです。

次回〜看護師時代編〜へ続く

いつも応援ありがとうございます(∩ˊ꒳​ˋ∩)もっともっと頑張っちゃいますので、楽しんでいただけましたら是非ぽちっとお願いします♡