君たちはどう生きるかの解釈と感想

昨今、一切の予告なく上映された映画「君たちはどう生きるか」は皆さんご覧になられたでしょうか。多くの方が興味深いもののメタファーの多さについていけなかったと話していて興味があったので、あえて少し流行りが去った今見てきました。ここからはネタバレと稚拙な解釈が多分に含まれますのでご注意ください。

1 母親の死
空襲の火事による母親の死のシーンが映画の初っ端で正直驚かされました。最初にあのシーンで感じたのは、主人公だけが群衆の中で白く目立つこと。この時点で少しだけ色に暗喩が隠されてるのかなと考えてました。そして母親の死がどう影響するのかも興味を惹かれましたね。

2 夏子の登場
端的に言えば気持ち悪いところですね。実母にそっくりな妹で、父親の新しい結婚相手のお腹を触るシーンは根源的な嫌悪感をくすぐられました。ここで考えられるのは、歪なオイディプスコンプレックスの形成です。年齢的には主人公より少し幼子で起こることですが、母親の死と血縁のない新たな母親のために再燃しているのかなと思いました。
このオイディプスコンプレックスの克服が前半の大きなテーマの一つだと解釈しています。

3 頭部の傷とアオサギの登場
転校して初日にいじめられたあとに、川べりの石で頭に傷をつけています。最初は夏子に構ってもらう口実なのかと思ってましたが、終盤で別の解釈が提示されるので、そのときに話します。あとこのときに制服が少し汚れるのも一つの暗喩だと解釈してます。
そしてアオサギですね。これは一瞬ベンヌなのかと思いましたが、ちょっと断定はできないですね。ただ中からできてきたおじさんがバーだとすれば解釈できそうですね。

4 父の存在
これは解釈に困りましたが、少しこじつけ的にオイディプスコンプレックスから考えると、父親は憎むべき存在になります。父親は近所の工場長で偉く、金も十分にある様子。そして、金と力で自分の思いどおりに動かそうとする人間ですので、資本主義そのものみたいな人間ですね。
憎むべき存在であると同時に、父と夏子のキスシーンを眺めるなど父親への羨望に近いものも抱いていると考えられます。まさにオイディプスコンプレックスですね。

5 塔の登場
アオサギに導かれるようにしてやってきた塔。それは何かしらの試練の象徴であるのは当然ですが、待ち受けるものはなにかというのはまだわかりません。そして夏子によって明かされる大叔父の話は、サルバドール・ダリの最後を彷彿とさせるような話であり、ダリといえば母親への執着です。そして不自然に穴の空いた塔は、「L’Enigme du Desir/Ma Mere, Ma Mere, Ma Mere」がモチーフなのだと気付かされます。

6 弓の作成
アオサギに立ち向かうため、夏子を真似て弓と矢を作る主人公。このときに教えているのは屋敷にいた老爺であり、その水簿らしい姿と行動は資本主義に抗う姿のようにも感じられます。つまり、父親と対比的な男の登場はコンプレックス克服に大きな影響があるものと考えられますね。

7 塔の内部、アオサギとの戦闘
そして夏子を追いかけてアオサギの導く塔の内部へと進んでいきます。そこで見せられたのは水で作った幻の母親。この前後の水というのはフロイトのリビドーの象徴であり、水面より下にイドの世界が広がっているのだと考えられます。(アオサギの勧誘を受けたときに自ら出てきた魚やカエルも同じ)
自分を裏切ったアオサギに対して自作の弓で矢を放つと、アオサギを追いかけてくちばしに刺さります。このときに行っていた風切りの七番はサギが飛ぶために重要な羽であり、強力な推進力を生むものです。
ここでアオサギは主人公の欲や醜い部分の象徴である用に考えると、バーなんかなと思ってしまいますね

8 内部世界への侵入とキリコの登場
大叔父にアオサギが導けと言われ、そのまま内部世界へと侵入します。導き手が醜い部分の象徴というのは面白いですね。内部世界には元の世界よりも圧倒的に海が多い世界が広がってますね。これは海を欲望の象徴と考えると、現実よりも欲深い世界とも捉えられます。
最初に見える塔の門には「我を学ぶものは死す」と書かれています。主人公は迷うも、ペリカンによって押されて入ってしまいます。しかし、キリコによって助けられ、キリコとともに大海原を旅することになります。これは新たな導きの登場ですね。このペリカンが白いのも後で少し解釈します。

9 ワラワラと主、他の船
キリコと旅をする中で主を捕まえると、他の船が集まってくる。他の船は大型船であったり、ガレー船を彷彿とさせるような描写があったり、彼らは殺生はしないというのもなにかの暗喩のような気もしますが、私はわかりませんでした。他の船の船員は黒い半透明な姿に白い服という死者を思わせました。それに対してキリコの船は自由に行き先を変えられる船で、キリコが内部世界では特殊な人間というのがわかります。
ワラワラたちは主の内蔵を食べて空を飛び、元の世界で生まれるというのは少し不思議でした。ただワラワラは受精卵のような存在で、白いですね。ここで一つの解釈が確定しました。

10 白の暗喩
ここで白が幼さの象徴であると解釈しました。主人公が最初に白い制服だったのは幼かったから。そしていじめられて汚れて少しおとなになった。
ペリカンが白いのは好奇心などの幼い感情の象徴。ワラワラも幼いと言うか生前の存在ですからね。
それに対して気になるのは大人の色ですが、これはまだわかりません。

11 アオサギの治療
アオサギに矢で開けた穴を治療するシーンがあります。これは欲望の象徴であるアオサギを治療する、つまり欲望も制御すれば良き存在であることの現れなのかなと思ってますね。
ちなみに、アオサギが嘘つきや卑怯者であるというのは、キリコも知っていたようなので、これは主人公の主観ではないですね。ここでグレタ人のパラドックスが出てくるのには、数学好きとして笑ってしまいました。

12 インコの登場
インコは最初は鍛冶屋で登場します。そこでインコは赤ちゃんを持たない人間を殺して食べるということが明かされます。ここでこの内部世界が鳥のディストピア的な世界であるという考えができます。ペリカンもインコも欲望に従ったと同時に、そう生きざるを得なかったという話が出てくるので、鳥の地獄と考えるとエジプト神話に近いのかもしれませんね。

13 ヒミの登場
インコの前に登場しますが、ヒミが現れますね。彼女が次なる案内人で、ヒロインです。彼女は火を自在に操り、また火の中を自由に移動できる能力を持っています。ただこのあとの会話でヒミは主人公の母親であることが明かされます。火を操る存在が火で死ぬ、これはプロメテウスの火の暗喩に近しいものを感じますね。
そしてヒミが出す料理は洋食で、主人公が屋敷で嫌っていた食事は和食でしたね。何を表しているのかはわかりませんが、何かの象徴だとは思います。

14 夏子の産屋
夏子の産屋に近づくまでの間に、主人公とヒミは石に拒絶されます。それでも産屋に侵入した主人公は夏子からの強い拒絶を受け、札に阻まれて追い出されます。ついにオイディプスコンプレックスの崩壊が起こります。ただそれと同時に気を失ってインコに捕まってしまう二人、かなり不安になりましたね。

15 大叔父との出会い
ついにここで大叔父に出会います。その姿はおいた星の王子さまのようにも、ゼウスのようにも見受けられます。そして彼はこの世界について話しました。それは多元宇宙論とこの内部世界、そして大叔父のいる上界の関係であり、これらを維持しているのは全て大叔父であるというものでした。その世界を作るに当たって、宇宙から来た石と契約したというかかなり不思議な話でした。多元宇宙についてや積み木というのは少しだけ心理学的な解釈を後でします。

16 インコの社会
インコは人間同様に社会を築いていますが、それは近代の王国のようなものでした。そしてインコの王は大叔父と対談し、インコの国を作るように脅迫しようとしましたが失敗しました。その結果、インコは積み木を破壊してしまいます。

17 多元宇宙と積み木 
多元宇宙を統括している大叔父の世界はまるで天国のようであるという描写があります。少し無理矢理にフロイト心理学をもとに考えると、大叔父のいる場所はスーパーエゴの世界であると考えられますね。そして多元宇宙はそれぞれの人間のエゴの世界、内部世界はイドの世界という連続性があります。つまり、スーパーエゴやイドは全ての人間で共通しているというものでしょう。
積み木はフロイトではなくユングのアーキテクトのような形をしています。アーキテクトは人類共通であるという考えのもと、スーパーエゴの共通性の裏付けのように考えられます。

18 いずれ火の海となる世界
元の世界はいずれ火の海となる世界という言葉は、人類の欲望を満たすために作られた機械が人類を滅ぼすという意味の言葉かもしれませんね。

19 天国の崩壊 元の世界へ
インコの王が積み木を破壊した結果、大叔父の世界は崩壊しました。そして主人公とヒミはそれぞれの世界に戻ると、それに続いたインコは人のような姿からただのセキセイインコに戻ります。そして主人公がポケットに持っていたものは、拾った石とキリコのお守りでした。キリコのお守りは元の世界に戻るとキリコに戻りました。このときに持ってきた白い石は悪意のない石だと思います。

20 世界の王、自我の確立
物語上、主人公の元いた世界は主人公の自我の世界です。フロイト心理学的には、スーパーエゴが崩壊してもエゴでイドを抑制することが必要になります。そこで主人公はイドの象徴のアオサギを友だちとし、自分の弱さを認めると同時に、悪意のない石を持っているため、自我を確立できたということだと思います。そしてそれは、主人公がエゴの世界においての王になったという意味でもあります。

21 残る謎 頭部の傷
大叔父に天国からの世界の管理を任されそうになったとき、子供の純粋さが大切であるということが書かれます。それに対して、主人公は自分の頭部の傷を見せて、汚れの象徴としました。これは石で頭を打ってできたので、より欲に身を任せた結果の失敗であることが伺えます。
ただ、キリコも頭部に傷を持っていたので、頭部の傷そのものは戒めのようなものかもしれませんね。

私はこの作品を、共通のスーパーエゴのない世界で自我を確立することの重要性を描いた作品だと読んでいます。それは今の時代、しきたりや慣わしが風化し、欲に身を任せ自我を持たずに生きる若者への戒めのようなものかもしれませんね。
メタファーがとにかく多く、映画を見た当初はその情報量に圧倒されましたが、友人と解釈を共有し、これを書き上げる中でさらに深く作品を味わえた今は他にない感動と教訓を与えてくれる最高の作品でした。

最後に私が分からなかった謎を一つ残して終わりにしたいと思います。それは途中のキリコのセリフです。
「眞の人で眞人か。どおりで死の匂いがプンプンするわけだ」
これについてなにか考えたこと、他にもこんな解釈があるのではというのはコメントで待っております。それではここまで読んでくださりありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?