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芸術と商品と小説

秋も深まり後葉から落葉の季節へと変わる頃ですね。最近は寒暖差が激しくて、私のような虚弱体質は更に負荷が増して引きこもりたい季節です。

さて、今回は少しだけ私の小説に対しての考え方を書き残そうと思います。書籍化もしていない作家ですが、こういう考え方があるんだなと思ってもらえたら幸いです。

まず結論から言いますと、この世界には商品としての小説と芸術としての小説があって、私は芸術としての小説が書きたいと思っています。
では芸術としての小説と商品としての小説の違いとは何でしょうか。それは簡潔に言ってしまえば目的の違いです。

わかりやすいのは商品としての小説です。これは商品ですから最終目的はお金を稼ぐための小説ということです。小説でお金を稼ぐためには当然たくさん売上が重要になります。そのために、商品としての小説の特徴は常に読者に基準を合わせることで、読者に手にとってもらいやすい作品になるかなと思います。
特に商品としての小説の傾向が強いのは現代ならライトノベルになるかなと思います。多くの中高生が漫画から小説への移行の第一歩として選択することを考慮して、なるべく読みやすい文体で書かれているものが多い印象です。

それに対して、芸術としての小説は作者個人で求めるものは大きく違いますが、最終目標は何かを伝えることを念頭に置いたものと考えています。つまり作者はあるメッセージを伝えるために作品を描いているということですね。そのため、作者は時に読者を選別することがありますし、売れることよりも正確に伝わっているかどうかが重要になります。
この傾向が強いのはいわゆる文学という世界でしょうか。明治時代の文豪の作品と言えばメッセージ性が強い風潮がある気がします。ただこれには、作者論からテキスト論への移行もありますが、往々にして文学は芸術としての小説だと思います。

このように、小説というのを二元論的に分けるとかなりの違いがあると思います。しかし、今の小説界隈の問題はこの2つが同じ土俵に立たされていることにあるのかなと思います。多くの人に読まれたい作家とメッセージを伝えたい作家が同じ空間に入れられていれば、当然考えの違う者同士争いが絶えないのだと思います。

ここで一度小説以外の分野を考えてみましょう。例として絵画と音楽を用いることとします。

芸術としての絵画と言えばゴッホやピカソ、ダ・ヴィンチなどの作品が挙げられると思います。音楽だったらクラシックやジャズの世界、オーケストラなどですかね。
商品としての絵画はX(旧twitter)の絵師さんの絵が一番想像しやすいですし、音楽ならヒップホップやラップ、ロックなどですかね。

これらって基本的に同じ土俵には立たないんですよ。芸術としての絵画はオークションで売られるし美術館で見ますが、商品としての絵画はネットで見たり買ったりします。芸術としての音楽はコンサートホールでのライブで聞きますが、商品としての音楽はYouTubeやSpotifyで聞きます。このように別の世界にいるので、争いが生まれることは少ないのかなと思います。ある種のゾーニングに近い状態ですね。

しかし、小説界隈はどうでしょうか。どちらも同じ文庫本や単行本、いまならネットの投稿サイトに公開されます。同じ本棚に並び、同じようにネットで読まれます。
さらに、売上やランキングと言った明確な数字での勝負を余儀なくされます。そうすれば自ずと争いが生じるのも必然なのかなと思います。

ではなぜ小説だけが同じ世界に立たされるのか。それは単純で芸術としての小説のコピーが可能だからです。
芸術としての絵画はアナログな上方ですから複製は作れませんので一枚っきりです。またライブで聞く音楽も一度きりですよね。
商品としての芸術はデジタル化が進んで複製が容易ですし、音源もデジタルファイルですよね。
それに対して、小説はどちらも同じ文字データで簡単にコピーして、何度でも複製することができてしまいます。これが小説界隈が混沌としている根本的な原因だと思いますね。ただこればかりは小説の特色ですから同しようもないものです。それならば、せめてネット上ぐらいは世界を分断したほうがお互いのためになるような気がしませんか。

つまり私が言いたいのは、芸術としての小説と商品としての小説は別の世界で生きるべきであって、お互いに干渉しないことのほうが双方に利益があると考えています。本格ファンタジーもライトノベルも同時にあって叱るべきですけれど、むやみに干渉せずそれぞれの世界で成長するべきだと思います。
その上で、私は芸術としての小説を、メッセージを込めた作品を作っていきたいなと思います。

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