今日までの話
この前、ひさびさライブに出た。
お笑いのライブ、NSCのライブ。
僕は最近、東京NSC29期生になったのだ。
東京に出てきて、人力舎の養成所に入った。
東京のコント(かっこいいやつ)にあこがれがあったのだ。あれはかっこいい。かっこよくなりたかった。かっこよくなりたいだろ!!!!
ハァ!?殺すぞ!!
お笑いはあんまり見てこなかったけど、
おもしろい自負もあったし、いけるやろと。
でもおもしろいだけじゃ、おもしろいネタはかけなかった。ネタはおもしろくなる仕掛けを作ってやっとおもしろくなる。技術とか知識とかそういうしっかりとしたものが要ったのだ。
僕は天才とかではないくせに感覚派ではあるので技術などは付きにくくて、コツのようなものを掴む必要があった。
学生時代も何かが上手くなる時には人や本から得たしっかりモノではなく、何回も何回も人より時間をかけてやって雰囲気でできるようになっていた。他の人よりできるまで時間がかかるのを早生まれのせいにしていた。
のに、努力が嫌いで。
どこか自分のことを天才だと思っていた。
ので、んまぁ苦しんだ。
養成所時代は地べたを這いずり回った。
それでもほんの少し、ほんの少しだけ、
褒めてくれた人がいたおかげで続いてた。
褒めてくれた人がいたせいで
気づかないフリが出来た。苦しいのも続いた。
畜生。この野郎。でもありがとう。やっぱお前のせいだぞ。くらいの割合。
所属できなかった僕はフリー芸人になった。
フリーであることを少しかっこよくないか?
と思っていた。
実際フリーでやってる先輩方を見ると
かなりかっこよく見えた。
実際かなりかっこよかった。
僕もそうなりたいと思ったわけだけれど、
出れる場所は地下の地下。
お金を払わないと出れないライブ。
3人くらいしかいないお客さん。
最前列で寝ているホームレス。(これは涼みに来ている)そこで勝ち上がったらギャラが貰えるけど、その先で負けたらまたお金を払わないといけない。そして3人。熟睡ホームレス。お金。3人。熟睡ホームレス。お金。3人。熟睡ホームレス。お金。3人。熟睡ホームレス。お金。3人。熟睡ホームレス。お金。3人。熟睡ホームレス。お金。3人。熟睡ホームレス。お金。3人。熟睡ホームレス。お金。3人。熟睡ホームレス。お金。3人。熟睡ホームレス。お金。3人。熟睡ホームレス。お金。3人。熟睡ホームレス。お金。3人。熟睡ホームレス。お金。3人。熟睡ホームレス。お金。3人。熟睡ホームレス。気がおかしくなる。
性格も歪んでいく、
うまくいってる奴らのネタを見て、
粗探しをする。
あー、ここ、出来てないよな。
ちなみに僕も出来てない部分。
このままでは壊れていく感じがした。
それが怖くて、半年何もしない時期があった。
ネタも書かず、お笑いも見ず。バイトはしていた。バイト先に芸人がいたので話とかは聞いてた。いいなぁ、お笑いやりたいなぁ。
とかも別に思わなかった。普通に麻雀を覚えてとにかく打ってた。めっちゃ強くなった。危険牌の匂いが分かるようになった。
ある月の給料日。
口座に22万入っていたのを見て、
「これはやばい」と思った。
芸人の収入じゃない。
これなら地元に帰ったほうがいい。
地元でちゃんと働いて、稼いだ方がいい。
その方が僕のためだし、親も喜びそう。
でもなんか分からんがそれも違う気がした。
僕は自分に甘々なので
もう一度チャンスを与えることにした。
東京NSC。29期らしい。
JCAの時も29期だった。
だからといって特に何も思わなかった。
芸人として死ぬなら陽の当たる場所に出てみてから死のうかなと思った。
入学金、学費とかで50万。
これを目指してバイトで死ぬほど稼いだ。
この時、ネタは書いてない。書く暇がない。
麻雀は打ってた。さらに強くなった。
当時、僕は日野市の3万の物件に住んでいた。
僕は日野市がかなり好きだった。
バイト先にも仲良しがたくさんいるし、
初めて芸人としてついたファンも日野の人だった。近くの八王子も良いところだし、隣の立川には当時彼女だった人も住んでいた。
でも職場まで1時間半。
生活が移動時間と睡眠と麻雀に蝕まれていく、
NSCに入ってもそれどころじゃなさそうだな。
そう感じて僕は割と都心の方に引っ越した。
初期費用ってすごいんだね!
貯金がほとんど消えていったんですけど!
僕は泣きそうになりながら親に電話した。
50万貸してください。これで最後です。と
ポン。と50万出してくれた。
なんとすごい親か。
僕がこいつの親だったら顔の形が変わるまで引っ叩いてると思う。
期待してくれているのか。
そう考えはしたけど、そんなわけない。
この2年間、結果という結果は出してない。
映像とかは見てくれたけどそんなにウケてはなかったし。
そうこうして、お金は払えた。
そして面接だ。
ここで僕はつまづくことになる。
入学書類の提出期限を守れなかったのだ。
なにをしているんだ。
そして、NSCに問い合わせると。
「大丈夫です」と。
なんて凄い組織だ。
僕だったら顔の形が変わるまで引っ叩いてる。
そしてリモート面接。
みんなが各々の熱い志望理由を語ってる中で
「僕は麻雀の仕事がしたいです!」
悲しいことにその時僕の躰はすでに牌に、
役に、そして点数に侵されていたのだ。
1番好きな役は七対子です。
嫌いな待ちはシャボ待ちです。
なんか受かって(基本落ちない)
入学書類の提出期限をまた破った。
「すいません…、これ大丈夫ですか?」
「大丈夫です!」
「入学式もでたいんですけど…」
「まぁ…、大丈夫です!」
すげーー!!!!!!!!!!!!!
マジか!!!!!!!!!!!!!!
えぇ!?!?!?!?!?!?!?!
そんでそんで入学して、
相方も見つかって、初ライブなわけで。
書いてなかった時期がかなり空いてたのがよかったのか、僕は自分のネタを俯瞰で見れるようになっていた。肩の力を抜いてネタを描けるようになっていた。
野球漫画MAJORの海堂高校編で早乙女トレーナーに折り紙を折ることを勧められた茂野吾郎がぶつくさ言いながらもそれを遂行し、そのあと見違えるように球が速くなっていたように。僕に必要なのは肩を休めることだったのだ。
ネタが良くなってるのを肌身で感じることが出来た。「これはウケる」と思ってネタが出来るのは初かもしれない。
作家陣から評価を貰ったのかは分からないが、
選抜された90組が出ることのできるライブに出演することになった。
久々の舞台が神保町の劇場。
キラキラした芸人たちが立つ舞台。
緊張しないわけがない。
しかし、緊張はなかった。
見窄らしいフリーの底辺だった人間が
そこに立つ後ろめたさはあった。
相方がかなり緊張してたのだ。
たぶん、かなり緊張してたと思う。
初舞台だもんな。
でもこいつは緊張していい人間ではないと僕は思う。全てがずさんで自堕落でいつもヘラヘラしている。
少し、ムカついたから何か言おうと思ったが、
ネタ飛ばされたら困るな。ってやつと
こいつなりに演技頑張ってんだよな。
と思って、舞台袖で背中を叩いてあげた。
この行為は思い出すだけで自分でもキツい。
かなりぎこちなかったと思う。
すると相方は、
「えっ!!おれまた何かやらかした!?」
みたいなリアクションをしていた。
舞台袖で2人とも見事にカッコ悪かった。
普通誰もがカッコよくなるはずの場所だろ。
出番が終わった。
ウケた、か?って感じの感触。
滑ってはなさそうだった。
でも舞台の上の記憶があまりない。
僕は同期の友達と合流し、
喫茶店でタバコを吸って談笑しながら
こそこそとエゴサをしていた。
そこでいくつか僕らのネタのことを書いてもらってるツイートを見つけて「あぁ、良かったんだ」とやっと一息つけた。
その日の夜、TOP10発表。入ってなかった。
まぁ、そうだろうな。という気持ち。
でも少し悔しい気持ちもあった。
もしかしたら少しお笑いが楽しいのかもしれない
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