死語と云う語を死語にしたい。
死語という言葉を安易に使う人達がいる。
「それ死語ですよ」
そんな風にいともたやすく。
古い言葉は死語。
そんな単純な解釈が透けて見えるが、ほんとうにそうだろうか。
あんまり使われなくなった言葉は死語だろうか。
歴史を語る時にも、死語は使われているのだろうか。
歴史書にも死語は書かれているだろうか。
まさか、源氏物語に書かれている語を死語という人はいないよね。
所謂差別語とされてしまっているものは、死語だろうか。
言葉狩りというものがある。
これは結果的に死語をつくるものなのか。
(言葉狩りについては、別の機会に書きたい)
語が死ぬという実に乱暴極まりない語に、僕の心は傷付く。
語をなめるな。
語は、人の口を介し、また紙や画面を介して伝わっていく。
そんなにやわじゃない。
強い。とてつもなく語は強い。
さて、
岩波書店の広辞苑第六版では、
【死語】古く使用され、現在は全く使用されなくなった言語または単語
と、されている。
この定義を取れば、「現在は全く使用されなくなった」のだから、これが死語なんて、言いようが無いようにさえ思える。
全く使用されなくなったということは、人々から忘れ去られたということだろうか。
誰かが使えば「全く使用されなくなった」という条件から外れると考えるのは、安直過ぎるだろうか。
ドラマだったか、映画だったか、踊る大捜査線にはこんな言葉があったと記憶している。
和久刑事
「じゃあ、お年寄りを大切にってあれも死語か?」
青島刑事
「ええ、とっくに」
和久さんの聞きたいことも、青島の言っていることもわかる。
ただ、僕は今、
死語と云う語を死語にしたいという実に矛盾した感情を抱えている。
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