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「働く幸せは誰にでもある」

 神奈川県川崎市高津区にある日本理化学工業は、戦前からチョークを作る会社だ。現在、日本のチョークのシェアナンバーワンを誇る。その老舗チョークメーカーの製造ラインで生み出されるのは、粉の飛散が少ない人体に安全なダストレスチョーク。

 このチョークメーカーは、昨今「日本でいちばん大切にしたい会社」「日本で一番温かい会社」と呼ばれている。
 そこには大きな理由がある。全社員数83名のうち、62名が知的障がい者なのだ。



 62名の従業員たちのほとんとが、チョークの製造に携わっている。チョーク1本1本が彼らの手で作られ、丁寧に梱包され、出荷される。

 厚生労働省は今年5月、2018年4月より障がい者の法定雇用率現在の2.0%から2.2%に引き上げる発表した。

 大企業を先頭に障がい者の雇用は徐々に増加している。が、知的障がい者雇用となると、そのハードルはなおも高い。

 そうした状況の中で、製造ラインのほぼ100%を知的障がい者が占める日本理化学工業の現場は、世界にも例を見ない。

 私は日本理化学工業とそこで働く人々を4年間に渡って取材し「虹色のチョーク」(幻冬舎刊)という本を執筆した。

 書き上げた刹那、知的障がいが大きなハンディキャップであり、親や家族にとって容易には拭うことの出来ない不幸であるという観念は崩壊した。彼らの表情は「働く幸せ」に輝いていた。彼らなくしては企業の利潤はなく、また日本の多くの学校からチョークが消えてしまうという現実があるのだ。

 障害があっても卓越した職人技を駆使して代替えの効かない者となり、ほとんどの社員が定年を迎えるのだ。

 日本理化学工業の知的障がい者雇用は、1960年に遡る。当時東京都大田区にあった会社へ都立青鳥養護学校の先生が、翌年3月に卒業する生徒の就職を頼みにやって来たのだという。

 今年85歳になる日本理化学工業の会長・大山泰弘さんがまだ27歳の頃だった。大山会長が当時を振り返る。
「生徒を働かせて欲しい、と頭を下げるその先生の姿に私は疎ましさすら感じていました。『無理です』と門前払いをしたのですが、先生は諦めない。3度目の訪問時に『この生徒たちは15歳で施設に入り働くことを知らずに一生をそこで過ごします。せめて人生に一度だけでも働く経験をさせてあげたい。その機会を与えていただけませんか』と言われ、私の心は大きく動きました」

 15歳の2人の少女が2週間の期限付きで工場へやって来た。その日を堺に、大山会長は『働く幸せは誰にでもあるはずだ』と信念を持つようになり、障がい者雇用に人生を賭ける。2人の少女は正社員となり、次々に知的障がいがある社員が入社した。工場のラインは彼らが働くに適したものに改良されていくのである。

 現在、経営を父から引き継いだ社長の隆久さんは、こう話す。
「私たちが目指しているのは『皆働社会』です。うちは小さい会社ですが、障害があっても健常者と変わらず働く環境があります」

 その誇りが鮮やかな色々のチョークに込められている。

                               小松成美

 


 私の著作「虹色のチョーク」についてのコラム、いかがでしたか。

 この文章は、今年5月「虹色のチョーク」を発売してすぐに書きとめたものです。「日本一大切にしたい会社」と呼ばれる日本理化学工業を的確に解説する事が大切だと思い、川崎にあるチョークの会社が私の主題となった核心をしたためました。

 何より、私は日本理化学工業と、そこで働く社員の皆さんとのことを知って欲しいと願いました。


 この会社のことを知れば、日本が好きになります。
 この会社の社員のことを知れば、日本を誇りに思えます。
 この会社のチョークを使えば、働くことの喜びを想像できます。


「虹色のチョーク」を読めば、人が生きること、働くこと、家族や仲間を思うこと、その温かさと大切さを、自らの胸に取り戻してもらえると思います。

 どうか「虹色のチョーク」という本を手にとってください。




『虹色のチョーク 働く幸せを実現した町工場の奇跡』

著者:小松成美 定価:1300円+税 幻冬舎・刊
「彼らこそ、この会社に必要なんです」 社員の7割が知的障がい者である
チョーク製造会社・日本理化学工業(株)の、福祉と経営の軌跡を、会長や社長、社員、その家族への取材で描いたノンフィクション。

※このコラムは、今年6月9日北國新聞夕刊に掲載しました。




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