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離婚を考えている人へ。大人になった私が伝えられる「親の離婚を経験した子供の気持ち」
「子供のために離婚はしない」なんて大きなお世話だ
私の両親は、私が11歳の頃に離婚した。
正確には、10歳の頃に母親が家を出て行き、11歳の頃に離婚が成立した。
特に裁判や離婚調停などを行っていたわけではなく、何度も話し合いを持った(多分)結果、離婚する時期が1年後になったという流れだったと思う。
最初に「離婚するんだな」と気付いたのは、「おばあちゃんが足が悪いから、お母さんはしばらく実家に住むことになった」と父親から聞かされたときだった。
その日、朝起きたら母親はもう家にはいなかった。
それまで、私は母親にも父親にもベタベタと懐くことはなく、祖母に懐いていた。“おばあちゃんっこ”というものだ。だから母親が実家に帰ったことで、特に悲しいだとか寂しいだとかいう感情を持った記憶はない。
ただ、“夜のうちに母親が実家に帰った”ということを聞いた時に、「・・・離婚かな?」とピンときたのを覚えている。
10歳の頃はおそらく夜9時か、おそくても10時には寝ていたと思う。だから、「夜のうちに……」というと、早くても11時以降になるだろう。田舎で11時といえば辺りは真っ暗で車もほとんど通っていない。うちの家族はお酒を飲まないので、世間の夕飯の時間以降に外出するということは99%ない。スクーターしか乗れない母親が、真冬の真っ暗な夜中にわざわざ出かけ、そしてそこから期間未定で実家に住むという。
こりゃおかしい、離婚だな。と思った。
母親が実家に帰って1週間をすぎた頃から、祖母が夜になると父親の部屋に行き、なにかコソコソと話をするようになった。
親子とはいえ、居間があるのにわざわざ父親の部屋に入ってコソコソと話をすることも、子供心に違和感を感じ、私の中で両親の離婚は濃厚なものとなった。
そしてその数週間後、父親から
「お母さんと離婚する」
と聞かされた。
一つ下の弟はずいぶん子供っぽいやつだったので、今まで祖母と父親のコソコソ話の内容まで聞こえるくらいの距離にある部屋で過ごしていたくせに、「離婚する」と聞いてとても驚き、言葉を失い、涙ぐんでいた。
***
父親は口より先に手が出るタイプで、私たちも幼い頃からちょっとしたことですぐひっぱたかれていた。ものを壊した、弟を泣かせた、言うことを聞かない・・・、あらゆる理由で、女であろうと御構い無しでボカスカ殴られた。
でも、これは虐待ではない。私があまりにも天真爛漫すぎたので、殴られでもしなかったらもっとひどいことになっていたと自分でも思う。だから、この父の育て方は決して間違ってはいなかったと思っている。
昔のお父さんといえば大なり小なりこんな人も多かったと思う。
しかし、いうなれば父親は、昔ながらのかみなり親父。母親と言い争いになった時もテーブルにあるコップを投げている姿を何度も見たので、殴りはしなかったものの、世間一般に見ると結構厄介な親父だったのだろう。
父親は学校を出てすぐ家業を継いだため学歴がない。一般的な会社での上下関係などにあまりもまれずに生きてきた。発展的な話し合いなんて絶対にできないタイプで、そもそも感情が表に出てしまうのでおそらく自分でもコントロールできないのだろう。
それでも父親はとても面倒見が良く、よそのお父さんと比べても学校行事や少年野球などの子供の行事には積極的に参加していたし(自営業だからというのもある)、仕事で何処かに出かける時は私たち兄弟を車に乗せて色々なところに連れて行ってくれた。
テレビや冷蔵庫も調子が悪くなったら直せるし、夏休みの木工作品は誰よりもかっこいいものを作るために手伝ってくれた。
今の世の中ではちょっと時代遅れかもしれないが、私にとって、とてもいい父親の姿もたくさん見てきた。
***
そんな、話し合いのできないはずの父親に「話があるから部屋に来い」といわれた時はまさに青天の霹靂!
「部屋に来い」の時点で、よっぽどのっぴきならない話なのだろうと思った。なんだったら「もう離婚したから。お前ら、お母さんのことは忘れてもうこの家ずっといろよ!」くらいのことを言われるんじゃないかと思った。
逆に私は「おいおい父よ、私たちを呼び出してまともに話なんかできるのか・・・?」と心配すらした。
父親の話は、まとめるとこうだった。
・おばあちゃんの看病というのは嘘だった
・お前ら(子供)がいるからお母さんに帰ってきてほしいとお願いしているが、嫌だと言っている
・お母さんさえよければ、別に家を借りて家族4人だけで住む(同居の祖母と離れて暮らす)ことも考えている
このような諸々の話を踏まえて、来週お母さんと4人で会おう、ということだった。
正直私は、原因は夫婦仲にあり、家を出ることで解決することも思えないし、母が離婚を譲らない気持ちもわかるし、そもそも看病なんて嘘なの最初っからわかってた。
それよりもなによりも、この未だかつてない重い張り詰めた空気が嫌で仕方がなかったので
「離婚するなら、私はこの家に残るから。もう向こうにいってもいいかな?」
と言って立ち上がった。
すると、耳のすぐ横に、ガラスの灰皿が飛んできた。ギリギリかわした自分グッジョブ!と思いつつ、こりゃ話を聞かないと、次はビンタだな・・・と悟って、再び席に座った。
そして、怒りを押し殺して(こんな姿みたの初めて!)落ち着いた父が次に言ったのが
「お前らのために、離婚は避けたいと思ってる」
という言葉だった。
***
小さい頃はまだ両親の会話があった。しかし、小学校に入ってからはその記憶が乏しい。
父親がこんなんだから、父の機嫌が悪い時は家じゅうがピリピリしていた。
学校から帰ると「ただいま!」というのが普通の家だが、うちの場合は「ただいま!」と大声で扉をあけると
「うるさい!もう少し静かに扉を開けんか!」
と怒られる場合だってある。いつも、家に入る時は中の様子を伺ってからだ。
だから、見るからに機嫌が悪い時なんかは、子供であっても父親にはけして話しかけない。こういう環境にいると、子供は親の顔色や空気を非常に読めるようになってくる。(弟はバカだから読めなかったが)
母親が父親に話す機会が減っているのも、話す時は必要以上な言葉は発さないのも、とっくの昔に気付いていた。
そんな環境にいると、両親と一緒にいる時の空気が重くて仕方ない。
下手に会話しようもんなら、両方とも刺々しい言葉が飛び交うこともあるので
喧嘩に発展しないかと、張り詰めた空気に耐えることで気を使ってしかたなかった。
喧嘩が始まったらそそくさと別の部屋に移動しようとするが、そんな行動をとらざるを得ない自分も嫌だったし、別の部屋に行っても小さく喧嘩の声が聞こえるのが嫌だった。
子供にとって、大人が本気の顔をしている時ほど苦痛な時はないと思う。
大人が大人に怒っている時、大人が泣いている時、大人が落ち込んでいる時・・・
子供に見せる顔ではない大人のリアルな顔を見た時、子供は非常に困惑する。
物事の良し悪しの区別がつかないもっと小さな子供だったり、弟のように良くも悪くも空気の読めない幼稚な子だったらいいかもしれないが
小学4年生の私ならそれなりに分別もつくし、空気感も読める、感じる。
いっそのこと
「早く離婚したらいいのに」
と思ったことも、過去に何度もあった。
不仲の両親を見るより、さっさと別れてくれた方がよっぽどいい。
こんな気まずい空気がこの先ずっと続くなんてうんざりだなぁ・・・なんて思うこともしょっちゅうあった。
だから、父親が「子供のために」と言った時は
「此の期に及んでそれかよ!」
と、心の中で思わず突っ込んでしまった。
同時に、
「離婚してくれて全然結構ですけど!」
とも思った。
今思うと、「いよいよきたか・・・」というよりは「やっときたか!」という、“待ってました”感の方が強かった気がする。
世間の人は“薄情な子供だな”と思うかもしれない。でも、小学4年生の女の子、しかも長女という役割を担っている私からすると、この考えには今でもしっくりくる。
***
「子供のために離婚はしない」なんて大きなお世話だ。
大人になった今、どう考えてもやっぱりこの考えは譲れないのだが、
子供のために離婚をしないということは、本当に子供のためになっているのだろうか?
これは大人のエゴや自分を正当化したいための防御策ではないか。
離婚をすることによって子供に迷惑をかける、子供を悲しませることになる、それをなんとか避けたいために”子供のために”離婚を避けたいと、自分を守っているだけではないだろうか。
両親の喧嘩や不仲、張り詰めた空気のなかで気まずい思いをさせてまで一緒にいる理由がどこにあるのだろうか。
離婚しては生きていけない(男は家事や育児、女は経済的な理由)などで両親の意見が一致しているのなら、離婚をしない選択もあるだろう。離婚秒読み状態まで行っていても、お互いなんとか修復したい気持ちがあるのであれば、それもまたいいだろう。
しかし、離婚以外待った無し状態の両親と一緒に暮らすことが、どれだけ子供には負担がかかるか。
それは、もしかしたら親が離婚をすること以上に苦痛に感じるかもしれないと、離婚を考えている人にはぜひ知ってほしい。
子供には親が必要だ。だから、子供を捨てたり虐待して親という責任を放棄したり、子供の前で親らしからぬ行動をとることはいけない。
しかし、子供にとって必要なのは、保護者や責任者ではなく、”親”という存在そのものだ。
“親”の概念はいろいろあるが、やはり楽しい時も辛い時もその楽しみや苦しみを分かち合ったり、和気藹々と話したり、いろんなところに遊びに行ったり、そんな楽しい思い出を共有するのが親ではないだろうか。
幼少期に親の悲しい顔ばっかり見て育つことと、離婚して生活は少し苦しくなっても、家庭のなかは楽しかった・・・というような環境の方がよっぽどいいのではないか、と親の離婚を経験した私はそう思うのだ。
そして、この考えは、両親の離婚話が湧き上がった時から全く変わっていない。
***
両親の離婚にあたって、私はもれなく父親のもとに残ることを決めた。
母親と暮らすことは全く考えられなかった。
父親といれば、学校も友達も環境も変わらない。スイミングスクールにもピアノ教室にも通えるし、飼ってるペットとも離れることもない。多分今まで通り、好きなおもちゃも買ってもらえるし、父の仕事について色々なところに連れて行ってもらえる。
でも、母親と暮らしたらそうはいかない。母親の実家は、今の家より部屋数も少ない。一人部屋をもらえるかどうかもわからないし、おばあちゃんはきっと犬が嫌いだと思う。母は今から職探しだろうし、母も学歴があるとは言えないのできっと収入がたくさんある仕事にはつけないだろうと思っていた。生きていくことはできても、今までのような生活はできないかもしれない。スイミングスクールもピアノ教室も通うことはできないかもしれない。
そう考えると、母親についていくなんてことはどう考えても自殺行為としか思えなかった。
弟はお母さん子だったので母親との同居を希望していたかもしれないが、父と母の前で「私はお父さんと暮らす」と堂々と宣言した私を前に「僕はお母さんと・・・」とは言えなかったのかもしれない。
それは、今考えてもちょっと悪いことをしたと思う。
でも、少し時が経ったころ両親の離婚について弟と話した時に「少年野球辞めないといけないのが嫌だった」と言っていた。
子供って、やっぱりそんなもんだよなと思う。
***
私の父は、再婚をしなかった。
口では何も言わないが、多分父なりの「子供のため」の思いだったのだろう。
今でも私はそう思っている。
親が離婚して、住む場所が変わったり環境が変わることは、大人が思っている以上に子供にとって大きなことだと思う。
離婚したからといってのびのび羽を伸ばしたり新しい恋にチャレンジする人も多い。自分の人生の再出発と考えるのも間違いではない。「母親だって女だ」なんていう言葉もよく耳にする。しかし、子供がいる以上もう男でも女でもなく父親と母親だ。離婚しても子供と離れてもそれは変わらない。
一度失敗したぶん、今度は失敗をしないようにしたいと思うのもいい。だけど、離婚時に「こどものために!」なんて強く思っていた気持ちが、離婚後の開放感や新たな出会いに気をとられて、いつのまにか薄れてしまう人も少なくないと思う。
というか、実際多い。
人それぞれだから文句は言えないし、これは子供の許容範囲もあるので一概には言えないが、
もし「子供のために離婚をしない」と考えるのであれば、そのぶん「離婚後は子供のために生きよう」と思ってほしい。
そう思えないのなら、子供のために離婚を思いとどまるなんていう無意味な選択はやめてほしい。
離婚は子供にとってマイナスではない。離婚をしないことで両親の不仲を見て育つことのほうがマイナスだ。子供にとっては「今」が人生そのものだから。
※この記事は、以前STORYSに加筆修正したものです
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