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天国へいったおばあちゃん

数日前
大好きなおばあちゃんが天国へいきました

溢れ出たのは
悲しみよりも ありがとう。。。

10年前に旅立った大好きな父を産んでくれたおばあちゃん。

いつもおしゃれで
どんな時も笑顔で

人のために生きていた。
そんなおばあちゃん。

山登りが大好きで、いつも山頂の写真をお手紙と一緒に送ってくれていたおばあちゃん。

おばあちゃんの家族は注射針からC型肝炎になり、父もそれがきっかけで肝臓癌になりました。

おばあちゃんは、
すべてのさまざまな一族の苦しみを全て背負っていたんじゃないかなと思うほど、いつも人のために生きていました。

頭をぶつけて頭蓋骨の手術をし、
転んで足を骨折をしてからは
両足も変形してしまい、
癌もしんこうしていましたが、それでも変わらず歩くのが大好きで、にっこにこで生命力に溢れ、とにかく人のために過ごしていました。

おばあちゃんと最後に会えたのはコロナ期の前。
記憶力も少し薄くなって、耳もだいぶ遠くなっているから、親戚からはもうくらまのことは覚えてないかもしれないと、言われましたが、

私とおばあちゃんの中での誰にも語れないつながりをわたしはずっと感じていたので、覚えていると確信をもっていました。

あの時本当に喜んでくれて、
お店が近くにない田舎町で、

どうやって買いに行ったの?

と思うほど豪華なワンホールのショートケーキを出してくれたのは一生の宝物です。

父が旅立ってから、
命について改めて考えるようになりました。

父が旅立つ前は父の温もりや声、笑顔にもう触れ合えないと思うだけで悲しくなる時間もありましたが、いざ父とお別れをした後に温かいぬくもりのまんまるいものが体のなかに入っていったような気がして。

体から抜けた父が私のそばで見守るために
温かい"なにか"となり体の中でお守りのようにポカポカいてくれている。そんな感覚になったんです。

それから不思議な出来事に沢山遭遇し、父がいつもまだそばにいることに気付かされ、

命は儚いものだけれど、
強く、尊く、存在するんだと感じました。

コロナでも私は沢山のお別れがありました。

今こうして形ある人間として生きている間にできることはなにか?

大好きな人たちと笑うこと
温もり。触れ合えること
美味しいものを食べること

物質の世界にいるうちにできることを沢山噛み締めて過ごしたいと思うようになったのも
私自身がこうしてさまざまな経験をさせて頂いたからだと感じます。

私の考えは私の考えであり、偏っている可能性もあるので、これを読んでどう感じられるかは皆様の自由であり、考え方を押し付ける気は全くないです。

ただ、おばあちゃんが亡くなる数日前にテレビ電話ごしに会話をしたおばあちゃんが
もう神様みたいなオーラになっていて、

いかないで!もっと頑張って!ではなく

おばあちゃんありがとう

これしか出て来なかった。
皆様もどうか大切な方々と温もりで、言葉で、沢山愛を伝えてください。

そんな素敵な循環で笑顔溢れる日々を過ごせますように、、、、


いつも応援ありがとうございます。 皆様の思いがいつも私のパワーの源です。これからも私に出来る事、皆様の生活のなにかになれることを発信し、表現していこうとおもいます。 宜しくお願いします♪