ギリギリで生きていたい話

こんばんは、こまです。

たくさんの中から私のnoteを見ていただきありがとうございます。

今回は「人はギリギリを攻めたくなる」という話です。KAT-TUNさんの曲にもありますよね。
ぎりぎりでいつも生きていたいらしいんですけど、僕は安定志向だからギリギリ攻めるのは怖くてできないですね…

はじめに注意書きとして、この記事は浮気の例を挙げていますが決して浮気を推奨しているわけではありません。頭を空っぽにして見ていただければと思います。
浮気、ダメ、絶対!!

さて、よく恋人同士の会話では「浮気ってどこからが浮気なの?」論争が繰り広げられますよね。
これについていつも思うことは、
「そのラインを知ってどうするの?」
「知ったとして、そのギリギリまではそういうことをするつもりなの?」

恋人を安心させるならそもそも疑われるようなことなんてしない。なのになんで浮気ラインを知ろうとするの?ということですね。
しかし私たちは、しばしこういった会話をする。かく言う私も恋人とこういう話をしていた時がありました。
ここでいう「ラインを知ること」には、深層に「ギリギリを攻めたい」という考え方があるのではないかと?とふと思いました。
ケースを変えてみると共感を得れるかもしれません。
↓以下がそのケースです↓

【ケース】
あなたにはAさんという友達がいます。あなたとAさんは友達になったばかりですが、一緒にいてとても楽しく、仲良い友達になれそうです。
人との距離感を縮めることを度数100%で表すと、現在は20%です。しかし2人の価値観を合わせてみたところ、あなたとAさんの距離感の限界ラインは80%でした。ラインを越えてしまうと適切な距離感ではなくなるため仲が悪くなる危険性があります。また度数は可視化できず、限界ラインも2人はわかっていません。

さて、ここではAさんと仲良くなるために二人の価値観を合わせていこうというケースを用意しました。
価値観が合えば合うほど仲良くなれるが

Aさんと仲良くなりたいために、相手との距離を縮めたい。しかし相手との距離感を間違えると逆に仲が悪くなってしまう。例えば80までが限界だとすると、80まではAさんと仲良くできる。しかしそれが1つでもオーバーしちゃうと価値観が合わなくなり仲が悪くなってしまう。限界を可視化できれば、ぎりぎりまで近づくことも、ラインが見えているため超えないように努力することも難しくないと思う。
しかし、このケースではそのラインを可視化できないことが問題である。
自分たちが今どこにいるか正確にわからず、どこまで進んでいいのかもわからない。進み過ぎてしまうとせっかくできた友達を失うかもしれない。
結果として、仲良くなっていくにつれて「もっと距離を縮めたい」と「進みすぎて嫌われるかもしれない」という二つの気持ちに挟まれてしまうのだ。現実でも、ここでいう「ライン」は見えない。だから不意にどこまで近づいていいか不安になるのではないだろうか。


浮気の例とAさんの例は、どちらもラインという言葉が出てきますね。
恋人のどこまで浮気になるかの、その「ライン」を知りたい。
ラインを知ることで、相手を不安にさせないようにできると同時に、自分の楽しみを引き上げられる可能性がある。

友達とどこまで近づいていいのかの、その「ライン」を知りたい。
ラインを知ることで、相手と喧嘩したり仲が悪くなることを防ぐと同時に、自分の楽しみを引き上げられる可能性がある。

2つの例はどこか似ているところがあるのかもしれないと思います。
相手のと仲を深め、また深入りしすぎないように、
そして、自分の楽しみを引き上げたい
人がラインぎりぎりまで攻めたがるのは、現在位置から進むことで自分の楽しみを増やすことができる可能性があると感じているからなのではないでしょうか?

ゲームのように好感度が可視化できればどんなに楽なんだろうと思いながらも、見えないからこそ楽しめるものでもあるのかなと思うこまでした。

ここまで稚拙な駄文に付き合っていただき有難う御座います。
久しぶりの投稿なのでドキドキしながら発信します。
またいろんな話を書こうと思っていますので、何卒宜しくお願い申し上げます。


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