『万人受けは難しい』の裏話

こんばんは。
こまと申します。

数ある中でも、私のところまで足を運んで下さり有り難う御座います。

今回は、先日あげた
『万人受けは難しい』
の裏話です。

正直、所謂詩というものに解説や解答は野暮だと思っています。
しかしこれはあくまで「備忘録」であり、先日あげたものも「詩」である以前に「備忘録」なのです。
なので、こういうことを言いたかったんだな、と少しでも伝われば良いなと思います。

本題に入る前に、これは「八方美人」が良いとか悪いとかそういう話ではありません。僕は自分のしたい様にすれば良いと思うし、それが「八方美人」になることならばそれで良いと思っています。


『万人受けは難しい』
これは、社会の中でよく耳にする「八方美人」「万人受け」に対する否定的な意見に思うことを書いた記事です。

八方美人・万人受け=誰にでもいい顔をするということ
「そんなことはやめなよ」
「自分が辛くなるだけだよ」
「自分のやりたい様にやった方がいいよ」
「本当に大切にしたい人を大切にできないよ」
「八方美人」や「万人受け」に対して、世間は意外と冷たい。みんなに優しくすること、良い顔をすることってそんなにダメなことなの?
「僕」はそんなことを常々思う。
やりたいことは「諍いなしにみんなと仲良くなりたい」
それをそういう風に揶揄されるなら、僕はそれでも構わないよ。
それでも、そんな価値観を世間や周りの人は否定する。
あたかも「僕」は「本当は八方美人になんてなりたくない」って思ってるかの様にアドバイスをしてくる。

そんな人たちに違和感を覚える。
あたかも自分は『万人』ではない。
=自分は「僕」に好かれている
そう思ってないと、そのようなアドバイスはできないのではないか。
もしも「僕」が仮に八方美人を辞めた時に、
あなたが「八方」であり「万人」であるということを知ってしまったらどうするんだろう。
「僕」の「万人受け」が故に、「僕」とあなたの関係が成り立ってるとしたら、それを辞めた時に僕たちの関係は崩れてしまうの?


「僕」は「諍いなしにあなたと仲良くなりたい」だけなんだよ。
あなたと仲良くなりたいための行動を『万人』と主語を広くされて、「それはやめなよ」って言われるんだったら
「僕」はどう行動したらあなたと仲良くなれるんですか?
「僕」のこの気持ちは実は本心じゃないんですか?
「僕」って本当はあなたと仲良くなりたいわけじゃないんですか?

決して1回の行動で1万人に好かれたいと思っているわけじゃない。
一人一人に向けた行動を1万回重ねて、
1万人のその一人一人に好かれたいだけなんだよ。

その行動を「万人受け」と評されてしまうのならば、
やっぱり『万人受けは難しい』



殴り書きの備忘録でしたが、最後まで読んでいただき有り難う御座います。
ある配信者のコメント欄で「八方美人」「万人受け」に対する否定的な意見を見た時に、ふと思ったことを書き留めていました。
このnoteにはここに書かれている以上の深い意味はありませんし、
私は「だからこうした方がいい!』だなんてそんな大層なものは持ち合わせていません。
ただ、相手の価値観を自分の物差しのみで計ろうとすることは危険な行為なんだと改めて実感しました。


最近note欲が復活してきたので、また何か書こうと思います。
その時はどうぞ宜しくお願い致します。
それでは、今回はここまで。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?