猫を守るために好奇心を殺す

こんばんは。
数あるnoteの中から、私の記事を開いてくださり有り難う御座います。

突然ですが、みなさんに怖いものはありますか?
親、部活の顧問、仕事先の先輩、刃物、暗いところ…
おそらく誰にでも「怖いもの」はあるのではないでしょうか。

今日はそんなお話です。

小さい頃からお化けが苦手だ。
本怖や世にも奇妙な物語、夏に特集が組まれる心霊体験や心霊写真
人は怖いもの見たさやスリル、日常に潜む「非日常」を体験したいが如く、そのようなコンテンツに集まる傾向にあるのではないかと思う。

自分を除いて。

大人になるにつれて、沢山のものに触れ、沢山の怖いものができたときに、ふと思ったことがある。
怖いと感じるのは「分からないから」なのだと。
相手のことがわからず、どうして良いか分からない。
なのに相手は何故か自分のことを全部知っているような気がする。
相手が自分の琴線に触れている。
それが怖いのだ。



しかし、このnoteを書きながらふと思う。

「何かが足りない」


怖いと感じるのは、分からないものを「知ろうとするから」なのだと。
分からないものを理解しようとするから、人は怖いという感情を抱くのではないのか、と。


お化けとはなんなんだろう?
…考え出すと怖くなる。
ただ、分からないなりに線引きをすることでその怖さは薄れていく。

「なんだ、こんなもんなんだ」と。

それからは「わからないもの」に極力近づかないようにしている。
自分の理解の範疇を超えようとしなければ
相手のことを過度に理解しようとしなければ
相手の気持ちに気づかなければ
それが「怖い」ということに気づくことは無いのだ。

「好奇心は猫を殺す。」
だからこそ、好奇心を殺すことで猫を守るのだ。
嫌われた理由も、離れていった理由も、

見なければ、
聞かなければ、
知らなければ、
分からなければ、

それは「無いもの」と一緒だと思える。
自分が知っているのは良かった時の思い出だけ。

「それでいいんだ」と思える。
これが自分なりの処世術なのだと。



逆に、自分が相手の猫を殺さないためには「分からない」ことは排除しなければいけない。
相手を怖がらせないために。
最初から100%を見せておけば、相手が踏み出さなくても済むはずなのだ。
相手は知ろうとしなくても、気づいたら勝手に知ることができる。

それでも、
私は「それでいいんだ」と思える。


今日はここまで。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
久しぶりのnoteでした。
ふと書きたくなったので描いてみるとやっぱり楽しいですね。
自分の頭の中が整理されていくような感じがします。

また、書きたくなったら書きますので
どうぞよしなに。
明日からまた月曜日頑張って行きましょうね。

お休みなさい。



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